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政治についてまじめに考えてみた⑩ 石丸伸二考その拾

オリンピックの女子ボクシングでXY染色体を持つ方が女子の部に出場したと話題になっています。
性自認は個人の自由なので、そこに踏み込んでどうこう言うつもりはありません(ただし思春期のように揺れ動きやすい時期に性自認に関する情報を仕入れすぎると後天的に性自認が左右されるということがあるそうです。合わせて性転換手術後にホルモンバランスが崩れて精神的に追い詰められる人もたくさん出てくるということなので、本当に気をつけなければならない話だと思います)。
ただ、例えば柔道やボクシング、レスリングなどでは厳密に体重が決まっていますから、「いや、自分の体重は5年前は◯◯kgだったから、私はこの階級で試合に出ます」などと言っても誰も耳を貸さないのと同じように、性別に関しても客観的な事実こそが出場の可否を判断する材料になるはずだと思うのです。
少なくとも現代の科学において客観的に性別を区分するものは染色体しかないわけで、出場された選手には気の毒ですが、本来ならば出場を認めてはならなかった(実際、ボクシング協会は出場を認めなかったそうですが)のではないかと個人的には思います。

いや、もちろん個人にフォーカスをすればたいへんに判断の難しいことです。身体的にも女性の特徴を持って生まれ、女性として育てられて、ところが染色体の上では男性だとされるのですから、ご本人としてはたいへん苦しい思いをされている、というのは理解できます。
しかし、そこで彼女(彼?)が「可哀想」だから、という理由だけでだけ出場を認めたら、他の選手は「可哀想」ではないのか、そもそも事後に彼女(彼)が世界的なバッシングの対象になることも十分考えられるわけで、ここはIOCが盾になってでも彼女(彼)の出場を止める、またはそれこそパラリンピックでそういう枠を設けたらきっと丸く収まったと思うのです。
ちなみに御本人のSNSには男性的なファッションを楽しんでいる画像もアップされているようで、正直なところどうなのかな、とは思っています。疑わしきは罰せずというのが私の基本スタンスなので詳しいコメントは差し控えますが、万一とういことがあるなら、これは本当に苦しんでいる人への冒涜でしかないとふつふつと沸き上がるものがあります。

「気分は女性」のご本人インスタグラムより



ともあれ最近、この手のノイジーマイノリティの権利に配慮するあまり、マジョリティの権利が無視される、という事例が後を絶ちません。
多分に偏見があることは否定しませんが、この手の「マイノリティへの配慮」っていわゆるリベラル派を自認している方が主張している率がかなり高いような気がします。考えてみればリベラルとは公益よりも個人の自由を尊重する立場ですから、どうしても判断基準は個人の感覚になりがちなのかもしれません。

私からすれば「自由には相応の責任がつきもの」というのが大前提にあって、何なら「責任なき自由は他者の権利の侵害」くらいに思っていますので(これが保守的な考え方ということになるのでしょうか)、どうにも個人の権利や自由を先出ししてくる感じにはどうも馴染めません。
たぶん、石丸伸二氏を叩く人たちというのも個人の自由とか権利とかいうのが念頭にあるから、「滅私奉公」的な石丸氏のスタンスは全く理解できないものなのだなと(だから盲目的に叩くのだなと)妙に腹落ちしております。


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