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学生である、とはなにか。

とりあえずまずは行動って言うからさ、

箕輪学生チームのミートアップとやらに行ってみたのさ。


計20人ちょい。部屋の大きさはちょっと小さいかなってくらい。

女子は自分含めても5人。正直ビビった。


そこでまあ、

自己紹介して、絵文字で人生を表すやつやって、雑談して、椅子取りゲームしたんだ。うん。なんとも緩い集まりだ。

その中でよく話題にあがっていたのが、

「学生チームで企画するイベント」の話。


やっぱり、学生チームというのは他のチームの二の舞のように言われてしまうらしい。うーん。


学生って、なんだろうなあ。


「である」ことと「する」こと


丸山真男っていう人がいる。

倫理の時間に出てきたはずだから覚えている人もいそうだけれど、「日本の思想」っていう本を書いている。

難しいは難しいけど、それなりに読める本だ。

その本の最終章に、「である」ことと「する」こと、というタイトルがついている。

まあ、この本自体は政治や経済のことにおいて重点を置いているので

今からする話と「表面上」は異なっているかもしれない。


しかしながら、組織として動いたり社会として活動を考えると結構ひっかかるんだな。



学生「である」こと


学生チームに入る条件は学生「である」ことである。

そして、私たちは学生「である」ことを利用してグループに「入る」。

まあ、当然っちゃ当然さね。

この時、私たちは「学生」という権利を持ってそれを使ってグループに入っていると言えるでしょう。


でもさ、周りにはそんなことしないで学生生活ウェイしている人もいるわけだ。

そうすると、まあ、10年以内には卒業するよね。

社会人になってから心が変わって箕輪編集室に入っても、その人は学生じゃないから学生チームには入れないわけさ。

これは、学生という権限を使わなかったので、学生チームに入れなかった。ともいえるわけ。

もうすでにこんがらがりそうね。要するにですね、


「学生である」というのは権利なんですよ。



「学生」の権利を使うこと。


日本の思想っていう本には、権利は使うことによって初めて守られるって書いてある。

自由人を例にした表現では、

「自由であると信じている人間は、自分の中に住む偏見からなかなか自由になれない。逆に、自分が自由でないと思って何とかしてそれを直そうとする人はそこで努力するので、相対的に自由になる」

この場合、自由になろうと行動「する」から自由になると言えるだろう。

とある。また、民主主義についても同じようなことを言っている。どう省略したらいいかわからないので省略するけど。

これを学生にあてはめると、疑問になるのはこうでしょう。


学生は、何をするから学生なのか。


他の箕輪編集室だとこれはめちゃくちゃわかりやすい。

メディア編集をするからメディアチーム。

デザイン編集をするからデザインチーム。

女性チームは何やってるかいまいちわかっていないけれど、女性の生き方について考えたりしているのかもしれない。そうでないなら、同じように迷走していると思う。

でも、とりあえず近くにいた人に聞いた時、答えられなかったのよね。

みんなはどう思うのかな。


「学生」について

学生という言葉を辞書で引いてみると、大学等に籍を置いて教育を受けるひとって出てきた。

教育を受ける権利を得てるんだね。学生は。

教育っていうのは、教えて、覚えさせることだって。

つまり、学生は

いろんな人に教えてもらって、いろんなことを覚える権利

があるんだね。


学生は、いろんな人に教えてもらい、それを覚えるから、学生だ。


んでもって、

これをちゃんとすることが学生チームがすることなんだと思う。

だから、新しい企画とかやりたい事を考えるときには、若い人に教えてあげたいっと思っている人を捕まえたり、特別講師を呼んで教えてもらいつつ楽しむ形を目指せばいいんじゃないかな。

そのジャンルが難しいんだとは思うけれど、

例えば、若者には会社に入るのは向いていないって言っている人とか。逆に、大企業のどこがいいか熱く語れる人とか。若いうちに本を読めっていう人のスペシャリストとか。なんか、そんな感じの人なら来てくれそうだし、学生チームっぽいかなあって。


これを提案として提出するよー。

集まり自体は、いろんな人がいてたのしかったです。

ここまで読んでくれてありがとうございます!!



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