鶏解体備忘録(5月28日開催)
鶏解体ワークショップ、約3ヶ月ぶりに開催できました。
1年間強、天候に恵まれ雨天中止もなかったのですが、ここ2ヶ月はお天道様と相性が合わなくなり、2月以来の開催となりました。
期間は空いてしまいましたが、時間通りにも終えられ、全体的な段取りも順調に行えたかなと思います。
自分の反省点ですが、まず久しぶりということもあり、人への説明が上手くいかなかったことが多かったです。
鶏舎に入って鶏の捕まえ方をレクチャーしたのですが、上手く誘導できずに捕まえるのに時間をかけすぎてしまいました。
今これを書いてる時に、「捕まえる難しさを伝えるのも鶏解体の意義の一つなのかも」と思ったのですが、大人数開催となった時も考え、教える時のイメトレなど準備をし、スムーズにできたらなと思います。
あとは養鶏場でアルバイトしてた時の話をもう少しできれば良かったです。
自分の数少ないオリジナリティな要素だと思ってるので、食肉用の鶏との違いなども説明できればなと思います。
まあ、他にもいくつかあるのですが、あんまり長く書いても飽きる思うので、反省点はここまでにしておきます。
今日は見学含め、5人に参加していただきました。
そのなかで、大学のサークルの後輩が1人来てくれました。
MOTTAIのインスタ投稿を見て、参加してくれたとのことです。(メンバーの中野翔太@shota_nakan0 くんが担当してくれてるのですが、丁寧さ溢れるとても魅力的デザインです。詳しくはインスタをご覧ください。)
解体をやる前に心境を尋ねたところ、彼は「殺すのが怖い」と言っていました。
解体後に、やる前のイメージと変わった部分はあるのかなと思い、再び心境を聞いたところ、「やっぱり殺すことには慣れない、慣れる気がしない」と答えていました。
彼の言葉を聞いて、1年半ほど前、初めて鶏を殺した時のことを思い出しました。
生きている動物の首を絞めて切り落とし、命を終わらせる。
そのことへの恐怖心はあの当時、非常に強く持っていたと思います。
回数を重ねた今でも、全く無いという訳ではありません。
ただ、殺した先に「食べる」という着地点に到達できた時、今では恐怖心よりも感謝が勝るようになりました。
もう一つ、後輩の言葉で印象に残ってるのは、恐怖心の話をしてるとき、「もし人間が逆の立場だったら、つい考えてしまった」と話していたことです。
その視点はとても興味深いなと思いましたし、自分も以前このように考えたことが何度もありました。
たまたま弱肉強食の頂点に生まれただけで、食べられる側の立場は考慮しなくて良いのか、と。
正直に言うと、自分はこの問いにはまだ答えられていません。
無理矢理答えを出そうとしても、結局都合の良い言葉を使っているだけになってしまいます。
ただ思うのは、いままでの23年間、見えない誰かが殺した生き物を食べ物として享受してきたお陰で生きているのは事実であり、その環境には感謝しなければならない、というのが本音です。
質問の答えにはなってないかもしれませんが。
話が脱線しました。
今回の5名の参加者の中には、前回参加して頂いた方が、知り合いの方達に声をかけて再び来て下さりました。
このイベントは、以前参加して頂いた人が起点となって、新しい参加者が来るという流れが作りやすいと思います。
こうして、参加者が参加者を呼び込むという人の輪ができるのは主催側にとっても嬉しいことです。
参加していただいた5名の方、本当にありがとうございました。
次回は6月下旬に行う予定です。
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