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人生で初めてニワトリを殺めた日

【注意】
鶏を殺める際の様子を綴っている表現があります。苦手な方はブラウザバックすることを強くお勧めします。

























食べ物が作られてる背景を知りたいと思い、真っ向から命と向き合えるのでは、という考えで狩猟を免許を取得して以来、自分と同じような動機で始めた人はなかなかいないということを知った。(詳しくは以下の記事)

そのため、自分と同じ価値観で狩猟をしている人間と話したいと思い、ネットサーフィンをしていた。

そこで出てきた人が、鶏の解体から食べものと命について考えるようになり、狩猟免許を取得したのち、食料廃棄について考えるための狩猟体験事業などを行うNPO法人「MOTTAI」を設立した菅田悠介さんという人の存在を動画で知った。

それを見た瞬間、「これだ」というのが電撃のように走り、気付いたら応募フォームを送って、昨年の10月にMOTTAIに参加することになった。



そんな昨年末、菅田さんから「ニワトリの解体ワークショップに参加しないか」というメッセージをもらった。

MOTTAIと神奈川県大磯にある養鶏所との共同で、鶏の解体ワークショップをやることになったらしい。(開催済み

それにあたり、まず自分含を含めたニワトリの解体を行ったことがないメンバーが、イベントの事前に実際に行うことになった。

ニワトリ解体。解体と言う言葉を聞いた時、なんだか生き物というより物に対するイメージが強かった。

そのため、話を聞いた当初は生き物を殺めるんだなという実感は湧いてこず、どこか遠い未来の話を聞いているような感覚だった。



まず、その予習として鶏を屠殺と解体の動画を見ることになった。

それを見た瞬間、本当に鶏を殺すんだという実感は恐怖心と共にやってきた。

もちろんだが、これまで鶏に限らず生き物の首を絞めた経験はまずなかった。

本当にできるのかこれ。手が震えたりはしないのか。上手くできずに失敗したらどうしようか。

色々な考えが濁流のように頭の中に流れ込んできた。



いざ、解体を行う日がやって来た。まず菅田さんが見本で自分の目の前でやってくれた。

ケージが足を掴まれて連れてこられたニワトリは寝かされると、羽交い締めされたそして間も無く、首を何度か捻ると気絶し、すぐさまナイフで首が切り落とされた。

屠殺する手順は流れるようだったが、その手順ひとつひとつが鮮明に残っていた。

動画を見た時と同じく、怖いという気持ちがこの時はまだ勝っていた。




そして、自分が屠殺する順番になった。

ニワトリの足を掴んだ瞬間、手袋越しから「生きもの」の体温を感じた。

次に、羽交い締めを行った。割と冗談でよく使ってきた用語だったが、本当の意味でこの行為をしたことはなかった。

上手くいかず、何度かやり直すたびにニワトリは悲鳴にも近い声で鳴いた。

鳴くたびに、自分が感じていたら恐怖心よりも早く楽にさせてやりたいという気持ちが混ざってきた。

その気持ちに急かされて、気がついたら首を絞めていた。

ニワトリはくちばしで捻っている手を突き、抵抗してきた。




そこで完全にスイッチが切り替わった。

「これ以上苦しませてはいけない。」

むごい、怖い、不安などの感情は自然と消えていた。

そして、ナイフを使い、首を切り落とした。

自分の手で命を頂いた瞬間だった。

この時、鶏の表情を見ることはできなかった。 



これを行う前の日に、屠殺から解体の流れの中で「生きもの」から「食べもの」に見える瞬間があり、人によってそれは異なるという話を聞いた。

おそらく、首を切り落としてから食べ物に見える人もいるだろう。 

首から上には顔があり、生きているか死んでいるかは表情で判断するという意味で、顔は生き物の象徴であるとも言える。

なので、顔がなくなったということは、「生きもの」ではないという見方もできる。



しかし、首が切り落とされ、顔が消えてもなお自分の中では「生きもの」だった。

ニワトリはは首を落としても、首から下はジタバタと動いていた。それがこのように感じさせたのだろうか。

血抜きが終わり、毛を抜き取りやすくするためにお湯につけて、しばらく経ってから毛を抜く作業に入った。

毛抜きは苦戦した。その中でも羽の部分が一番抜きにくかった。

鳥にとって、飛ぶという動作が入る以上、それだけ重要な部位になるのだろうと、なかなか抜けない羽毛を見て思った。

毛を全て抜き終えたら、ブツブツとした桃色の鶏の肌が現れた。

まさしく「鳥肌」が立っていた。

昔の人間の知恵が奥深いということを感じさせられた。

羽を全て抜かれたニワトリはクリスマスでよく出されるチキンとほとんど変わらず、「食べもの」としてよく見る状態になっていた。



けれでも、自分の目には、どうしても「食べもの」の範疇には入らなかった。

ただし、だからと言って「生きもの」の範疇でもなかった。





「生きもの」から「食べもの」に変わる瞬間があると聞いたとき、自分のイメージではそのままスーっと移行していく感じだと勝手に想像していた。





しかし、その間に「生きものだったもの」という生き物と食べ物の間の中間地点のような見え方が生まれていた。

屠殺は養鶏所で行ったため、後ろではニワトリの鳴き声が絶え間なく響き渡っていた。

それが「食べもの」に見えることを防いでいたのだろうか。



解体をするために、養鶏所を離れて解体所に移った。

そこで、さっきのニワトリを見ると、見方がまた変わっていた。




そう、完全に「食べもの」に見えていた。

同じ状態のニワトリなのに、周りの環境が違うと見え方は変わっていた。

「食べもの」に見えてからは、不思議と生きものを殺めたんだという感情は薄れていた。



もし、解体まで養鶏所でやっていたら、ずっと「生きものだったもの」のままであったのだろうか。

そうなれば、ずっと生きものを殺めたんだという感覚のまま、解体にあたっていたのだろうか。

解体の時にもずっと生き物を殺め続けていると思っていたのだろうか。



「環境変われば見方も変わるよ」

という普段目上の人間からよく言われる体の良い言葉が、この時は重くのしかかっていた。



そして何よりも、「生きもの」から「食べもの」に変わってゆく過程を見たことで、「命を頂く」という言葉の深さを知った。



「いただきます」という何気ない言葉。

当たり前のように使われている言葉だが、当たり前は常に誰かによって支えられ、作られている。そんなことを感じた。


人生で初めてニワトリを殺めた日は、「生きもの」から「生きものだったもの」、そして「食べもの」に変化する一部始終を見た初めての日であり、「命を頂く」という言葉の重みを知った日であった。


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