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「意味なんていらない」という懐かしい感覚

ちょっと前まで「行きたい」という純粋な気持ちだけでひとり旅ができていたけれど、国内旅行しすぎると、または歳を重ねたからなのか、なんらかの「意味」がないと最初の一歩を踏みだすのが難しくなった。
(直近だと九州旅行は仕事のついでに、その前の四国旅行は友人に会うついでに、とまあそんあ具合に)


これは、旅行以外にも当てはまるかもしれない。


先日、たまたまバーで知り合った人から「ライブをするので見にきてよ」と誘いがあった。

即答できなかった。

仕事柄、あまり好きではない音楽のライブに行くことは多い。
ましてや仕事でもないのに好きかどうかわからない音楽に時間とお金を使うことに抵抗があった。
でも何曲か配信をしていたので聴いてみたら、すごく良かった。
なにかのご縁だと思い、お金を払って小さなライブハウスに観に行くことにした。

たぶん、ふだんからあまり音楽に馴染みのない人だったら、
または人からライブに誘われることの少ない人だったら、即OKと答えていたんじゃないかと思う。


「慣れ」には、「知った気になる」という側面がある、と思う。


役者の気をつけることのひとつに「慣れないこと」がある。
たとえば「悪役」のドラマがあったとして、次の作品も「悪役」で同じような役柄が求められていたとき、前作のままやってはいけない。
「同じようなもの」かもしれないけど、「同じもの」はあり得ないから、だ。

じゃあどうすれば良いのか。
それは、慣れるのではなく「ひとつの経験」として、芸の肥やしにしていくこと。
過去の経験はかならず生きてくるけれど、新たな作品に臨むときはつねにフレッシュな気持ちであることが大切なのだ。


ライブハウスには20〜30人くらいが集まった。
対バンだったのだが、目当てのバンドはもちろん対バン相手もかなり良かった。
ライブハウスからドームクラスまでたくさんのライブを見てきたけれど、このライブには本当に心を動かすものがあった。


それと同時に、ふいに「もったいないな」と思った。


こんなに良いのに売れないのはおかしい!という素人みたいな想いだ。
「良いもの」=「売れるもの」ではないことくらい頭が痛いほど知っているけれど、それでももっと「売れて」も良いのではないのか。

だけど、売れたいのならもっと宣伝のしようもあるだろう。
彼らはそれを全力でしているようには思えなかった。(その術がないとも思えなかった)
つまり心の底からめちゃくちゃ売れたいとは思っていないということなのか?
じゃあこの集客で良いってこと?
などと悶々とした。


ライブ終わり、彼らの新曲がアップロードされたdropboxのURLをもらったので聴きながら電車に乗った。
全力でステージでパフォーマンスする姿が脳裏に焼きついており、呼び起こされた。


ああ。


もしかして「意味」なんてないのかもしれない。


3年前、僕はなんの意味もない自主映画を作るために会社を休み、会社に復帰すると、大阪への左遷が決まっていた。
それでも後悔はまったくなかった。
今でも尾を引いているくらい出世には大きく響いたけれど、もう一度、同じ人生があっても同じ選択をすると思う。
「作りたいから」「楽しいから」なんて簡単な言葉で表すのも野暮なくらい、作って当然、休んで当然、だった。
むしろその選択を取らないほうが、自分を自分ではないものにする確かな予感があった。

大阪で会社のエライ人と飲んだとき、その選択を「もったいない」と言われたことがある。

「もったいない」って、なにが???
たぶんですが、その選択を取らなかった僕は「会社から求められている僕」ではなくなりますよ???


なんて言えるわけもなく、ウィスキーのストレートとともに言葉を飲み込んだ。


彼らに、失礼なことを思ってしまったかもしれない。
仕事に躍起になって、お金のことばかり考えて、大切な感覚を失いかけていたことに気づいた。

お詫びの代わりに、今度、お酒を奢ろうと思う。


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