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#0 気高くあれ

紹介文にあるように、私は都内で生まれ育ち、現在は山形県の庄内地方にある小さな村に農家の嫁として移住してきました。
まずは#0、自己紹介をさらっと。

これまでの暮らし

東京。すぐそこに東京タワーがあるような場所で生まれ育つ。家を出れば歩いて5分でスーパーもコンビニもある。電車やバスもたくさん通っていて、行きたいところにすぐに行ける。食べたいもの、欲しいものだっていつでも手に入る。

小学生の頃から両親は共働きで、学校が終わって家に帰っても誰もいない生活だったけれど、小学校3年生から塾通いだったし、習い事もあったので、日々は淡々と過ぎていくような生活だった。
特別楽しい訳でも、特別寂しい訳でもない。

ただ今思えばとても恵まれた環境だったと思う。

中学受験で中高一貫校、あわよくば大学もついているような学校へ入って、良い会社に就職し、都内で働くような未来へのレールが用意されている。みんながそう言う思考をしている環境だった。

そんな中で中学受験は希望校全敗で挫折、6年間の女子校生活でのいじめ、大学受験でまたしても挫折、そしてそこから新たな夢を持ち、現在へ。

今現在の暮らし

山形県鶴岡市。庄内地方の南部にあり、ユネスコ食文化創造都市として認定されている。その中でも私が暮らすのは新潟県の県境に位置し、現在は100世帯240名ほどが暮らす小さな村。(令和5年3月31日時点)

家を出れば古い家屋が並び、その背景いっぱいに山々が広がっている。もちろん車がないとコンビニもスーパーも行けないし、雪が降れば除雪なしには生活できない。

幸いなことに、地域の保育園・小学校・中学校は車で30分圏内にあるが、もちろん受験なんてないので同級生はずっと同じメンツで中学生までを過ごす。高校受験はもろとも、就職活動だって都内ほど気合が入っている訳ではなく、新潟や関東圏の大学に行って、そのまま就職するようなパターンが多い。

そんな土地で私は2児の母として暮らしている。
大学時代から付き合っていた旦那は結婚してから家業の養豚業と農業に勤しみ、私は育休中。日々が目まぐるしく過ぎていく毎日の中にいる。

noteで残したいこと

これまで、そして今現在の暮らしだけでもツッコミどころ満載で、書きたいことが溢れている。

なぜこうなったのか、少しずつ紐解きながら、自己分析しながら、備忘録的にこのnoteに記録していこうと思う。

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