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書くことで自分を救う。

僕が書く文章に救われる人なんて居なくてもいい。ちょっとでもいたら嬉しいけど。書くことによって救われるのは自分自身だよ。だから書き続ける。僕にとって救われるということは楽しいこととほぼ同じで、それは朝起きて焙煎をするという行為。こうして文章を書くという行為。珈琲を飲んでぐうたらする行為。それら全てが自分のことを救い続けているんじゃないかとふと思った。隣の居酒屋さんからいただいたつけ麺がうますぎて脳みそが覚醒している。お客さんがいくら来ないからと言って、落胆する暇があるなら文章を書き続けよう。しかもどんな文章であってもいい。誰かを傷つけてしまうような文章さえ書かなければ。いや僕の文章で誰かを傷つけてしまっているのならごめんなさいなんだけど。読書ができなくなる時がある。そんな時は文章が書ける。逆もある。ここ1週間は文章が書けなかった。書こうと思って数百文字打って全て消す。というのを繰り返した。でもその代わりに本が読めた。だからおっけい。全部いい。そう全てのことには「おっけい」「いいね」がついている気がする。何か仕事でミスをしても、ミスしたからちょっと仕事覚えたいいね。みたいな。もう感じ方次第ってとこあるけど。でもきっと良いことがある気がするんだよね。だから諦めずにちょっとずつでいいから何かをやり続けてみよう。睡眠をやり続けるのも面白いと思うし、ゲームをやり続けてもいい。そしたらいつか飽きるから飽きたら別のことをすればいい。その繰り返しでしかない。飽きたら別のことをやるチャンスなだけ。飽きたからダメになるわけじゃない。そう思ったらなんとかなる気がしてくる。僕なんて今日は朝のリーマン珈琲以外で来客は0だ。だから一日中なんでもできる。今は文章を書いているし、さっきまではおやつとしてつけ麺を食べた。昼間にはサイゼリヤで肉を食べたし朝はバターパンを食べた。食べてばかりだけど、これら全てお客さんがいないからできたことだ。できちゃいけないことかもしれないけど、そんなことはなくて。多分いつかはできなくなるから今のうちにやっておいた方がいいと思う。なんかっていう言葉はあんまり文章の中に入れるべき言葉ではないかもしれないけど、僕は話すたびになんかってLINEでもなんかって言っちゃうからここでも言っちゃうし、言ってもいいかと今自分自身に許可したのでオッケーです。こうして脳みそが覚醒状態の時に書く文章は自分でも意味がわかっていないけど、こうして書くことで自分が満足するので今日が終わるまできっとハッピー。それでいいんだよ。きっとね

6月最終日にゴミを拾った。だから7月は良い月になるんだろうなあって思ってたら今の所良い日が続く。もう全部は気持ち説あり。

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