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人の為に精一杯生きる、でも無理はしない。

僕はやっぱり映画が好きなんだと思う。というか好きだ。ホテルが結構暇なので、休憩中もそうでない時も、買った映画をiPhoneで観ています。何度見ても飽きないのはマーベルシリーズ。ててーてってててーーてーてーとあの音楽が流れた時は興奮しますよね!!

好きなことってなにかしら皆持っているんだと思うのです。なにかしらありますよきっと。僕は人を愛すること、映画を見ること、コーヒーを浴びるように飲むことが好きです。いつか親友と何か始めるとしたら僕はコーヒー屋の店主がいいです。それでずっと映画見てる。親友の為に夜も読書が出来る最高の場所を作っておきたい。多分世の中には夜読書をしたい人がおおぜいいるだろうから。

人を愛することが一体どんなことなのか曖昧なのですが、僕はよく人に何かを上げたり、好きな人をとことん好きになったりします。与えたい精神がとても多いのです。自分で言うのはどうなのか分かりませんが。実は昔から誰かの為にを軸に生きてきたように思います。でも大学を卒業するまでは「誰かの為になら自分を犠牲にしても良い」と思っていたのか、よく自分がつらくなってもいいやっ。と他人の為に行動してきた。それが最近ではというか、親友や恋人のおかげで、「人の為に精一杯行動はするが、無理はしない」を少しずつできるようになってきました。

それでも自分が気付かない間にしょうちゃんは無理をしているな。と気づかれてしまったり、そう思わせてしまうことはまだまだあるので、無理をしているときはちゃんと自覚すること。無理をしていないのにそう思わせてしまうことはそう思わせてしまう原因を突き止めて改善していこうと思う。

人のために行動することは昔から得意だと思ってる。小さな時から喧嘩をしても必ず僕から謝るようにしていたし、そこも謝る?すごいね笑みたいなことも先生から言われたことだってある。喧嘩自体嫌いですぐ泣いてしまうから負けを認めていただけかもしれませんね。でも誰かのためなら自分を犠牲に!が結構あったように思います。でもそのおかげでしょうたろうは人のために行動できる人だねと褒められて、体育委員長に推薦されたことだってある。本当は嫌だったけど恩師に推薦されたらやるしかないなと言う生半可な気持ちで生徒会に入ったけど、まあまあ楽しかったし良い経験もできた。でもどこかでやっぱり無理をしていました。

高校生になっても、自分の意思を通すことは苦手なままで。帰り道が同じ4人がいて、その1人が少し難癖で変なところでキレたりする。でそこで「しょう帰るで」と言われたら他の人と帰りたくても、キレられるの面倒臭いしと思って一緒に帰る。そしたら別の人に「お前〇〇にビビりすぎだろ笑」っていじられる。んで僕はまた言われることに反論することもできずにモヤモヤしたまま帰ってた。今思うとそこに「自由度」がなかったんだなと。


大学生になって大親友であるつよしと出会って(最初は全然話もしなかった)一緒に読書を始めたり、SNSでフォロワーを増やす方法を模索したり、noteを書き始めたり、つよしと一生懸命将来について語り合ったりと、自分の意思をちゃんと受け止めてくれる人ができた。

今は自分の想いを文章にして発信することができるようになった。読書で発する言葉の大切さもわかってきた。これからも人のために精一杯生きていく。無理はしない。


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