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敗北宣言

東京堂書店のブックカバー(ヘッダ写真)がとても好きなんですが、連日お風呂に持ち込む文庫本を守るために使っていたら見た目がずいぶんくたびれてしまいました。今のところこの一枚しか手許に無いので「破れるまでは使おう」と「そろそろまた行こう」がせめぎ合いの胸中。
さっき調べたら日曜・祝日は併設カフェが営業していないようなので、行くなら土曜かなと思いました。でもあそこ11時オープンなんですよね。コロナ禍の影響でこれまで以上に人混みを避ける習慣がついた結果、早い時間に出かけて遅くとも12時過ぎには食材を買って帰宅するという流れが身についてしまっているので11時オープンとなると躊躇が先立ってしまう正直。でもそれならいやだからこそ、翌日も休日が約束されている土曜日に行くべきなんじゃないのか。それなら帰りが多少遅くなろうとも気にするに及ばずというやつなんじゃないのか。自己解決。あったかくなったら行きます。
どうでもいいけど破れるよりも先に敗れると変換してくるうちのノートパソコンさんもうちょっと頑張ってくれ。直前にブックカバーとかいろいろ書いてるじゃないか。


おうち大好き人間の日曜日です。
だいたいほとんど同じ場所にいるから、たまにお手洗いとかで立ち上がって部屋に戻ると毛布が自分のかたちをしている光景が視界に入って得も言われぬ幸せを感じます。そこに午後のいい感じの陽が射してたりとかすると花丸です。自分の部屋が一番好き。


晩ごはんに煮麺を作りました。
ノートパソコンが煮麺を一発で変換してくれなくて乳面とかいうぼんやりした候補しか出してこない事に衝撃を受けたのですが気にせずに続きを書くぞ。
お肉とお野菜(今日はにんじん豆苗もやしエリンギ豚肉)を水から煮込んで、鶏がらスープ・チューブにんにく・醤油・豆乳・お味噌の順で入れて豆乳スープが出来ます。
そこに茹であげたアツアツのお素麺を入れて馴染ませて完成です。
やわらかいお素麺が好きなので茹でた後は水洗いしない派なのですが、麺が伸びるのが苦手な方は一度水洗いして水気を切って、豆乳スープに入れてひと煮立ちさせると良いかと思います。実際わたしも出来上がった後はスピード勝負で一気に食べてる。
どうでもいいことですが、お素麺の揖保乃糸って一束だと少なくて物足りないけど二束だと多くて終盤必死に食べることになったりしませんか。たぶん冷たいお素麺なら二束つるつるっといけるはず。あったかくして食べるからスープを吸いまくる影響でこういう葛藤が生じる。それでも美味しいから毎回選ぶ。本日二度目の自己解決。
そして腹立たしいので最後に書きますが、うちのノートパソコンが「水から煮込んで」を「自らNikonで」と変換してきたことには衝撃を通り越して大笑いしてしまいました。こういうのにめっぽう弱い。確かにこないだNikonって変換したけれどもやな……。


今日読んだ本。
『BUTTER』柚木麻子(新潮文庫)
実際に起きた事件を題材にしているようですが、読み進めるうちにフィクションとノンフィクションの境目など全く気にならなくなってきて没頭からの一気読み。面白かったです。
ここから下は若干ネタバレを含む可能性があるので改行を挟みます。

同じ被写体でも順光か逆光かで印象がガラッと変わったりするものですが、結局それってどこから見るかの違いでしかないんですよね。全く同じ一面しか持っていない人間など存在しないのだし(いるとしたらとんでもなく薄っぺらだ)。だから伶子の行動基準と、里佳が伶子を時として厄介に感じながらも突き放さず許容する事がなんだか印象的でした。カジマナを求めた男性達が極端な二択しか持ち得なかった人々として描かれていた事を思い出し、中庸ってこういうことなんだなと。育む事に立ち向かうから自分一人だけでは決して見る事が叶わなかった視点で世界を見れる。
あと「自分の機嫌は自分でとる」ことが重要視される昨今ですが、そのためには自分を認めることや自分自身を許すことをうまく出来るようになるのが先なんだなとも思いました。男性側にも女性側にもはびこる根深いジェンダーバイアス。ぜんぜん別の作家の某小説(書名も出したくない)を読んだ時にはキレ散らかしたものでしたが、本作はまっすぐ届きました。従属を書くことで解放を伝えるって小説の凄さだよ。

読みながらどうしてもバター醤油ごはんが食べたくなったので、お昼にちゃんとごはんを炊きましたよ。うちにはマーガリンしか無いけど。一応無添加でトランス脂肪酸不使用が売りのマーガリンなので許してほしい。
それにしてもあれだ、ハレとケで言えば完全にケであるひとりおうちごはんの代表のようなバター醤油ごはんに始まり、あんなふうに終わるってところもいいですよね。