先に伸ばすべきは部分か、それとも全体か?
おはようございます!!昨日は節分ということで、鬼退治されました。
何が辛いってやせ細った脚にびっくりしました(笑)
社会人になって痩せたねって言われる事多かったけど、
あんま自覚なくて、筋トレ頑張ります(笑)
さて、昨日はPTの入職1名と応援1名のアナウンス、
代表との打ち合わせやリハのミーティングに
パーキンソン病の方の入居とパワフルな1日でした(笑)
入職の方のオリエンテーションと訪問の同行に行く中での気づきをシェアします*
◆ ゴールを先に決める
まるっと1日過ごしてみてもらって、最後に1日どうでしたか?と
尋ねた際にこう返ってきたら合格!ってのを先に決めました。
今回は「なんとなく1日の流れがわかりました」にしました。
1日目だし、ブランクがある中でも元々病院に6年間いたPTさんで
"訪問"のイメージもわいていない状況だったからこそ、
まずは全体像を理解してもらう事に注力しようと思いました*
そうなると、具体的に1人1人のカルテを見てもらう時間よりも
介入の意図を詳しく話すよりも
こんな状況の人が何人くらいいる とか
病院ではこう、在宅ではこう、でもここの場合は..とか
そうした全体像の話をするようにしました(^^)
◆ 部分が先か、全体が先か
皆さんはどうですか?今回の入職者へのアナウンスだけでなく、
色んな場面でこうした機会がありますよね*
自分の場合は圧倒的に後者
理学療法士の専門性を突き詰めて、そこから枝葉を伸ばすのか
色んなところの土を耕してそもそもどこにタネを植えるのか俯瞰で捉えて、
その後に育てて行くのか
きっと前者の方が検索はしやすくて、
「あの人は何屋さんだよ」とか「ここに木が生えてるよ」ってわかりやすい
でも反対に、そこ以外を知らない。
そこしか知らない中で選ぶということは、選んでいる訳ではなくて、
今の環境に適合するっていう行動をしているだけ。
複数の選択肢があるからこそ選ぶっていう行動が起こる
だから仮に検索しやすくても、自分の人生という俯瞰で見たときに
そこに合っていない可能性もある訳で。
だからやり方よりもあり方が大切だし、
働き方よりも生き方が大切だと思う
自分は"教育"に興味があって、話題になったモンテッソーリ教育の中に
「全体から部分へ」という流れの中では、子供に伝えようとする対象のなるべく全体像を、出発点として設けることに心がけます。
ある程度全体像がとらえられていれば、それ以降伝えられることがどういうことなのかを意識し、
秩序づけながら理解していくことができるようになります。
<松浦:モンテッソーリ教育が見守る子どもの学び―環境を征服する子どもたち>
やっぱり全体が見える枠を作ってから、中身を埋めて行く
そんなイメージで施設作りも進めて行こうと思います(^^)
結果、昨日のスタッフには狙い通りの言葉をいただけて、
ひとまず自分の中では合格点*
ちゃんと仮説を立てながら行動するとちゃんとフィードバックが返ってくるからいいね(^^)その辺もまた記事にしよう*今日はこの辺で!
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