幸福は創造の敵


映画大好きポンポさん3回目を見てきました。
胸に刻み付けた過ぎる作品だったので上映中できる限り観に行くと思う。

今回はポンポさんの内容に触れつつクリエイターとして自分の思っていることを書き綴っていきたいと思います。
※映画のネタバレを含みます。

ポンポさん、pixivの漫画の方は実は読んでおらず、Twitterで映画の公開について流れてきたのでなんとなく、へぇ面白いのか、本当か?という気持ちで観に行った。別の映画とはしごするという本気度の少ない観に行き方であった。花譜ちゃんとカンザキイオリさんの曲を映画館で聞いてみたい気持ちの方が大きかった。

こんなに泣くとは思わなかった…

とにかくストーリーの構成が上手すぎると感じた。ナタリーの主演とジーン君の監督が決まってから工事現場のシーンへ戻り髪を切ってきましたに帰ってくるところがいいなと思った。場面の切り替えの際のなじませ方とか、終盤、現実とMEISTERの登場人物を重ね合わせて話を進めるのとかも、DJでいうつなぎの上手さみたいなものを感じた。
あと、ジーン君がマーティン・ブラドックの過去の指揮者経験について語っているところと、ミスティアさんがMEISTERの追加撮影分の本読みをしているところ。何か乗り移っているようなとりつかれたような状態の人間大好きなんだ。デフォルメ絵柄でアレやって、鳥肌立つのですごいと思った。
映像としては個人的に紫色の使い方が上手いなーと思った。夜のシーンとかで多様されていたように思う。髪の線画をネオンカラーで光らせるのも好き。ジーン君の編集中のマウスの動きを前から撮るカットも気持ちよくて大好き。あれだけでも何回も見れると思った。

アニメオタクの画面や構成に対する感想はこれくらいにして内容に触れていこうと思う。

まず最初に泣いてしまうシーンが、ナタリーが水たまりを踏むところをジーン君が見つけて「いい画(え)だ…」って言うところ。
私も絵や漫画を描くので、日常の景色を切り取るということはよくある。ただ、いい画に偶然出会えることは少ない。見つけたときには世界が止まるのがわかる。そんな息が止まる瞬間をもっと切り取る力をつけたいし大切にしていきたいと思った。

次にジーン君の初編集シーン。「他人の生活とかどうでもいい…楽しい…」(セリフ正確ではないです…)って気持ち、わかる!わかる!好きなことに没入できる瞬間、全てどうでもよくなって自分が天才の気がしてしまうの、楽しいよね。

そして、アランのプレゼンのシーン。ここで流れる「反逆者の僕ら」と劇中の台詞の掛け合わせ具合が神がかっている。編集の人ありがとう…と別の視点でも感動してしまった。サマーウォーズをうっすらと思い出させる、ネットのみんなの応援メッセージが流れるシーンはいつだって感動する。インターネットの社会に生きてよかった。

最後に、MEISTERの最後の1週間の編集シーン。
「友情を切れ」「家族を切れ」「生活を切れ」の言葉がグサグサ胸にささる。私はそれらを切るほど真剣に制作に向き合えたことがあっただろうか。何かを手に入れたければ何かを犠牲にしなければならない、その言葉が嫌いだった。私は貪欲で全て手に入れたかった。でも本当はそうじゃない。何かを切らなければいけないのだ。わかってる、わかってるけどできないんだよ。
ここで流れる花譜の「例えば」。正解なんてないけど、全部捨ててでも憧れを追いかけるという歌詞にのせた、壊れそうでありながらも強い花譜の声が刺さる。

本当に出せばもっともっと好きなシーンあるけど、このように、ポンポさんが序盤で言ったような泣かせ映画じゃないのに泣かせる方がかっこいいというのがまさに体現されている。

あと、ポンポさんの映画自体が上映時間90分なところ。本当にすごい。
ありがとう、製作者の皆さん、と思ってエンドロールでまた泣く。

しかし、この作品には共感できるシーンは沢山あるが、決定的に自分にシンクロできない部分がある。それは「才能」。この作品の登場人物はみんな生まれ持った才能がある。私には才能がなかった。
そこに救いを持たせているのがアニメオリジナルキャラクターのアランなのではないだろうか。何者にもなれない自分でも、ずば抜けた才能がなくても、根性と恐れ知らずの行動力さえ持てば何かができてしまうのだ。

私は、昔は漫画家になりたかった。ただ、今はイラストを描いたり、たまに漫画を描いたり、アニメーションを作ったり、2Dモデリングをしてみたりと本当にフラフラしている。どれもやれば脳死でも人並みにできる、だけどどれも飛び抜けてできることはない、これは私にしかないと誇れるものは何もない。何をやっているんだろう何を目指しているんだろうと迷うことがある。
言いたいことがあって漫画を描き始めた。好きな人に言えないことがあってあとで漫画に描けばいいや、絵で表せばいいやと思って絵を描いていた。
最近になって気がついたことがある。いつも側にいるのに自分の手の中にないものがあった。それは「音楽」だった。絵を描く時かならず音楽を聴いていた。音楽を聴けば情景が浮かんだ。感動するのはアニメと音楽がシンクロした瞬間だった。これはずっと前から言っているが、耳が聴こえなくなったら私は絵が描けなくなる。
絵と音楽をマージさせて人の心を動かすこと、それが私の目指すところの終着点なのかもしれない。それをこの映画を見て改めて思い知らされたような気がした。そのために今やろうと思っていることあるから待っててね。

最後にタイトルに触れておく。
「幸福は創造の敵」
これはずっと昔から私の脳裏にあった言葉でもあった。作家は孤独でなければならないと思っていた。だからいつも一人だった。
去年の夏に最低な出来事が起こってそれ以来私は地獄にいると思っている。でも何でも楽しい性格なので地獄で楽しくやっている。地獄で一人で笑っている状態が一番良い作品が作れると思っている。だから、ありがとうね。

しかし、きっとこれは、幸せになってはいけないという意味ではない。今の状況に満足している、満たされている状態では良い作品は生み出せない、という意味だと思う。私は、常に何かを探しているし、欲しがっている、憧れと焦燥がある、幸福も不幸も全部作品にしてあげるから大丈夫だよ。



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