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大貧民とスクールカースト

大貧民の革命とスクールカースト

私はトランプなどのカードゲームが、昔から何故か強い。

周りからは「一番そういうの苦手そうなのに」と言われることも多い。
頭お花畑のおバカちゃんに見えているのかな?

数あるゲームの中でも、大貧民が大好きだった。
社会人になってからは、やっていなかったが、職場の飲み会の時にやってから、ハマり、スマホアプリのオンライン上で対戦できる大貧民で、かなり上位まで勝ちあがってしまったこともある。

大貧民をすると、なぜか私はいつも「革命」を起こそうとする癖がある。隙あらば、革命を起こし、上位層を大貧民の奈落の底に落とそうとする。

単に私の性格の悪さなのかと思っていたが、なにか違う。私はいつも突き動かされるように「革命を起こしたい欲」に駆られるのだ。

私のDNAに刻み込まれた何かが、そう思わせているのかもしれない。
前世でよっぽど、上流階級市民に虐げられていたのか、チェ・ゲバラのような革命家だったのか、真意の程はわからない。

思い当たることがあるなら、私は、学生時代、今でいう所のスクールカーストみたいな構造が、大嫌いだった。

私自身、外見なのか、第一印象でなのかわからないが、必ず新しい環境に行くと、カーストでいう所の、派手なグループの人間が近寄ってくる。

私も初見で、人を判断するのも嫌なので、ひとまず、派手グループの人間と行動を共にしてみるようにはしている。

だが、たいてい一週間弱で「つまんない。合わないな」と感じる。
派手グループの話は、決まって「可愛いもの話、流行りもの話、かっこいい人話、好きな人話」に重きを置かれており、私が話したい「面白い話、どうでもいい話、深い話」は一番彼女たちから遠いものだったからだ。

私が、やはり合わないと思い、グループを離れ、彼女たちが言う所の地味グループに入ろうとすると、決まって言われることがあった。

「のんちゃんって、そっち系の人なんだ」

え?そっち系?

そもそも、その発言自体、自分が優位な立場におり、自分たちの方が優れているという比較意識を持っていない限り、出ない発言である。
私は、心底この発言にがっかりした。中身がない。薄っぺらい。と感じた。
この人たちにとって重要なのは、何よりも見た目なんだと確信した。

少なくとも、彼女たちが下に見ている地味グループの人は、優劣をつけるような発言をする人はいなかったし、話す内容も、みんな観察眼に優れ、各個人面白いものの見方を持っていたし、時折触れる、深い分析に感心させれられることも多かった。

そして何よりも優しかった。
優しくて、懐が大きくて、面白かった。

こんな最高な人たちを、関わりもせず、ただ見た目だけで、下に見らせるのがずっと悔しかった。

そんな思いの積み重ねが、私の深い意識に叩き込まれ、大貧民という一種のゲームの中で、このピラミッド構造を逆転させようと、革命を起こさせたがっていたのかもしれない。

これは社会全体においても同じだと思う。
それぞれが肩書とか、見えているほんのちょっとのところで、、勝手に区別して、関わろうともしないまま見下したり、負い目を感じたりする。

全く違うもの同士も、たまに掛け合わせたら、面白いものができそうな感じもするのに。もちろん混ぜるな危険もあると思うけどね。

そんな私は、この人生においても、大貧民のゲーム中のように「何も強いカード持ってませーん」みたいな顔して、着々と革命を起こす準備をする人間なんだろうなと再認識した曇天の昼下がり。

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