“公共空間“を考える③
コーヒー好きのわたしとしては、オーストラリアでの楽しみの1つがカフェ巡りだった。
カフェ文化の本場ということもあり、コーヒーの味だけでなく、その地域の文化を垣間見ることができた気がする。
③公共財としてのカフェ/コーヒースタンド
犬を飼っている人が多いからなのか、
犬を連れて散歩に行きがてら、道中でコーヒーを買って楽しむとか、
ランニングの帰りにカフェに立ち寄るとか、
日々のルーティン的な楽しみ方をしている人が多かったように思う。
ブルーカラーの人が仕事着のまま訪れるシーンも何度も目撃していて、
カフェが多くの市民にとっての居場所になっていることを感じずにはいられなかった。
文化の違いと言ってしまえばそれまでだが、
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」ではない、
人間としての会話がレジで繰り広げられる。
「今日はどうだった?」「いやーそれがさぁ、、、」と店員とやりとりが始まる感じ、
おそらく1分にも満たないその時間が、とても豊かに見えた。
なぜこれが可能になるのか?
想像の域は出ないが、コーヒーの値段は1つの要因だろう。
オーストラリアに来て唖然としたのは、物価の高さだった。
物によって安い高いはあるとはいえ、ご飯は基本的に2倍。
宿や諸々もざっとそんな感じだったように思う。
一方で、ロースターの良い感じのラテやフラットホワイトでも大体4.5AUD。
そのときのレートだとちょうど450円くらいで、日本と全く変わらない。
むしろ値上げ祭を経た今では、少しお手頃な気すらする。
日本の工事現場には大体自販機があって、自販機の飲み物とタバコで休憩をしているイメージがある。
コンビニに行けば、もうちょっとマシなコーヒーも100円ちょっとで買えてしまう。
オーストラリアには自販機もなければ、コンビニも多くない代わりに、
美味しいカフェやコーヒースタンドがたくさんある。
日本のコンビニでコーヒーを買う感覚と、カフェでコーヒーを淹れてもらう感覚が、
そう遠くないのだろうと想像がつく。
誰とも関わらなくても買える缶コーヒーやコンビニコーヒーに対して、
誰かと話さないと買えない美味しいコーヒー。
うまく言えないが、普段の当たり前の選択の1つ1つが、
公共空間の空気をつくっているような気がする。
のんびり気ままに更新します^^