15回:デート日和

 どんなものにも終わりは来るが、始まりは曖昧な場合がある。特に人間同士の関係は。関係の終わりはメルクマールとして記憶しやすいが、好意を抱いた発端はどうにもつかみにくい。ふと出会い、なんとなく微笑み、漠然と良いなと思う。より良い関係を築くためにデートに誘ったりする。一緒にどこかに行くなら映画がいい。映画ならなんだっていい。人が死ぬものでも、愛し合うようなものでも、死んだ人が突然起き上がったりするようなものでも、ドキュメンタリーでも。
 僕が初めて人と一緒に映画を観に行ったのは2008年の2月、桜坂劇場で公開されていた『歓喜の歌』だった。ママさんコーラスの話で、立川志の輔の落語が原作だったと思う。そんな内容関係なく、とても舞い上がっていた。当時好きで好きで仕様がなかった人と、その人が運転する車で那覇に行ったのだ。信じられないほど軽い足取りで平和通りを歩いた。コーヒーを飲んだ。僕だけ余計はしゃいだ。当時の自分はこの世に他者が存在することをようやく知ったような未開人だったので、適切な距離のとり方や他人に感情が存在することまではうまく理解できていなかった。だから会話のキャッチボールなんて高度な事はできず、ひたすら壁に緩いボールを投げる万年補欠の野球少年みたいな感じだった。相手も困ったと思う。僕はその困惑に余計に焦った。焦ったまま帰路に就き、軽く夕食でも取ろうという流れになり、西原のJEFに寄った。A&WではなくJEFだよね、ということぐらいしか共通見解がなかった。僕らはぬーやるバーガーを食べながら美味しいねとか面白かったねとか当たり障りのないことばかり話して貴重な時間を費やした。そして僕は当時住んでいた琉大の寮まで送ってもらった。ひどく落ち込んだ夜だったと思う。

 その後、5月に告白して無事フラれた。怒り気味に断られた。デート?からの3ヶ月間たまに会ってご飯を食べたり、話したり、ご飯を食べたりした。相手が恋愛感情というものを抱いていないことを察しつつ、ふいに告白してしまった。若気の至りかつ過ち。泣くにも泣けないような曇った状態でしばらく暮らしていた。2週間ぐらい経ってからフラれた実感が湧いてきて、泣き始めた。膝をついたり仰向けになったり色んな体勢で泣いた。酒にもドラッグにも風俗にも流れず、涙と自己批判を繰り返した。たぶん、そういうところが良くないのだろう。
 今思い返してもえぐ味のある思い出だけれどこれなしには文学について学ぼうとも思わなかっただろうし、美術に対してもフェードアウトしていただろう。いや、そうでも思い込まない限りやってられないというのが実際のところ。やるせのなさを振り切り意地とかを振り絞ってそこから何とか10年生きてきたが、未だにデートの要領をつかめません。

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