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【ブックレポート1 『吃音 伝えられないもどかしさ』近藤雄生著 新潮社 初版2019年1月30日】


『吃音: 伝えられないもどかしさ』 近藤 雄生著 新潮社 2019

【筆者/作品の概要】

筆者である近藤雄生氏(以下敬称略)は1976年東京生まれのライターだ。
大学院卒業後、結婚、5年半の間妻とともに世界を旅しながら週刊誌にルポタージュを寄与していく。
帰国後、京都市に住み、主にサイエンスライターとして活躍中。
この本は筆者自身もそうであった吃音をテーマとして行った吃音者への取材をもとにしたノンフィクション作品だ。

【感想】

私自身複数の障害を持っており、普段から周りに吃音者がいたため吃音について詳しくない方だと考えていました。
しかし、実際に読んでみると、吃音者は吃音を経験していない人が想像しにくい悩みを常に抱えていることを感じられます。

【1.吃音自体の複雑さ】

一般的に、吃音者やその家族以外の方々は吃音についての十分な知識を持っていません。
そのため、当事者とそれ以外の方との間には常に吃音に関する認識のギャップが生じます。
例えば、私自身もこの本を読んで初めて知ったのですが、吃音自体明確な原因は分かっておらず、はっきりとした治療法も確立されていないそうです。
そのため、どうしても医師や家族は吃音者に対してそれぞれのケースに対して別々の対応をとる事になります。
つまり、吃音に対する対応に正解が存在しないんです。
しかし、当事者以外の方(とりわけ吃音者の職場の方)はそのような事情を知らないため、吃音について「何度注意しても改善しない」「改善する気持ちすらなさそう」と判断しがちです。
実際は、当事者自身がどうすれば吃音を改善できるのかという答えすらいにのに…

また、吃音はコミュニケーションに関する障害であることから複雑さを増します。
この本にも書かれているのですが、吃音は「他者が介在する障害」という特徴があります。
つまり、吃音は自分一人の時は支障はなく、他者とコミュニケーションを取るときにのみ障害が生じるだという事です。
だからこそ、吃音者本人にとっても障害者と健常者のはざま存在としての立ち位置を求められ困惑します。

そして、このコミュニケーションを介した障害だからこそ二次障害を誘発しやすい特徴も生まれてきます。
この本の中で取材を受けた人たちに共通して言えることは、コミュニケーションの難しさから生じる不安感とコンプレックスです。
私自身吃音状態になった経験がないため想像が難しいですが、常に自分の思考と発話に時間的な隔たりが生じる事へのストレスは非常に大きなものの様です。
聴いている側はそれほど気にしていないと思われますが、当の吃音者にとっては相手に不快な気持ちを与えていると感じることが多いようです。
そのため、幼いころからコミュニケーションに対して消極的になりがちなため、成長する中で余計にコミュニケーションを取ることが難しくなるという悪循環を生んでいるようです。
ですので、個人的には吃音を大きな問題にしているのは吃音という症状自体よりも、むしろ高いコミュニケーション力を持つことに価値を与え、それを常に要求している経済社会構造にあると感じました。
ある意味、現代社会はコミュニケーション至上主義であり、場面場面においてコミュニケーションの「正解」を問われている社会と言えるのでは?と考えさせられました。
そして、そういった「空気感」が吃音者を追い詰めているのだと思います。

【2.吃音と「希望」】

2つ目のポイントは「希望」についてです。
この本の中で何人かの吃音者は吃音の改善の訓練を受けています。
その中の一人がこのように言っていたのが印象的でした。

「治す努力をやめるのが怖かったんです」

先ほど述べたように、吃音は明確な治療方法は確立されていません。
そのため、吃音者は効果があるかどうかわからない訓練を長年続けている事が多いという現状があります。
実際、その効果は人によってまちまちの様です。

では、なぜ吃音者はそのような治療法に対して長い時間と労力をかけ続けるのでしょうか?
その答えが「希望」だと思いました。

吃音者でない方に比べ、多くの吃音者は何かしらの不安を抱えていることが多いのは納得できるかと思います。
その不安が吃音によるものであればあるほど、吃音を治せるかどうかは大きな問題になります。
だからこそ、効果があるかどうかとは別問題で、治せる可能性があり、その努力を自分はしているという実感こそが支えになっていると感じました。

実際、私自身も過労から職を失い、複数の障害や難病の診断を受け絶望的な状況になりました。
しかし、障害を持っていても生きていける手段を自分の出来る範囲から積み上げていく事で精神的な安定を得られていたと感じます。
つまり、希望こそが自殺への一番の薬だと思うんです。

だからこそ、この本で取材を受けている方のこの言葉には複雑な思いになりました。

<私にとってクリニック(=矯正所)は神様みたいな存在だったんです>

つまり、その希望(吃音の改善)が効果があるか/ないか、ちゃんとした医療行為なのか/詐欺行為なのか?といった事は当人にとっては関係ないことだという事です。
まさに言葉通り、宗教(=神様)への信仰に近いものを感じました。

【3.吃音と就労】

最後のポイントは吃音と労働に関する点です。
私自身障害者であるため、障害者と労働の問題は身近な話題です。
どれだけ障害に対する認知が広がっても、制度が整えられても、健常者が中心の社会であるため、障害者は常に不利な立場におちいります。
火の事に関する価値判断は別として、生きていくためにはこのことはどんな障害を持っていようと受け入れざる負えません。

しかし、それでも健常者並みの生活を求めるのは当然の感情です。
ですので、吃音者だけでなくほとんどの障害者が障害者就労に夢を抱くのが個人的には一般的な事実だと思います。
実際、私自身も常にユートピア的な障害者雇用と現実の狭間で生き続けている実感はあります。

ですが、私のまわりを見ても障害者雇用でしっかりと就職できる方は少数派です。
また、仮に就職できたとしても当初伝えられていた配慮がなされていなかったり、最初は配慮されていたけど上司や同僚が変わったことで配慮がなされなくなり体調を崩し、結果離職というケースがほとんどです。
このような事実は障害者にとって長期的に働くことがいかに難しいことかを物語っていると思います。

もちろん、このことは吃音者についても同様です。
ですので、吃音と就労に関する話は非常に強い共感を感じました。
症状は違えども、問題の根っこは同じなのだと感じたんです。


以上、この本について私なりの視点で感想を述べてみました。
本自体はわかりやすく読み応えのあるノンフィクション作品といった印象でした。
さながら考えさせられるドキュメンタリー映画といった感覚です。
しっかりと取材対象の方々にフォーカスされていて、その様子が淡々と書かれています。
また、合間に吃音に関する社会背景、医学、法律などの説明もちりばめられているので、吃音についての知識が低い方でもスラスラと読める内容です。

個人的には吃音にたいして関心の低い方ほどのめり込めるような本だと思います。
このレポートで関心を持たれたのでしたら、是非一読していただければ幸いです。



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