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その心理学研究は日本人にも当てはまりますか?【心理学】




要約:東洋人と西洋人では心理の傾向に違いがあることが確認されています。西洋人を対象として行われた心理学研究の成果を東洋人に当てはめるときには注意が必要になるのです。





行動経済学や社会心理学の研究は面白い。企業セミナー、ハウツー本、学術書、YouTube動画などでもよく参照されている。

しかし、これらの研究は多くの場合、西洋人のみを対象として行われている。果たしてそのまま日本人(東洋人)にも当てはまるものだろうか?

当てはまらないというなら大変だ。あちこちでお門違いな知識がばらまかれ、見当違いな施策を誘発していることになる。

こうした疑問をもつことは度々あったのだが、ニスベットの本にはその問いへの応答が書いてあった。結論からいうと、西洋人と東洋人とでは行動様式に質的に大きな差があるという。


ニスベット 2004年
「東洋人と西洋人の違いは、われわれが実施したほぼすべての研究において見出され、その差はたいてい大きなものだった。ほとんどの場合、東洋人と西洋人の行動様式は質的に異なっていることが明らかとなった。(中略)これらの質的な相違は、心理学者にひとつの教訓を与えてくれる。これまでのように西洋人だけを対象として実験を行い、そこから人間の知覚や認知のプロセスについての結論を得たとしても、決して一般的なものとは言えないということである。西洋人のデータのみから普遍性を結論づけるという過ちは、本書のなかで紹介された数多くのトビックに関して実際に行われてきた。知覚や認知のプロセスのうち、どこまでが普遍的であり、どこからは集団によって変化しやすいのかということを、もう一度考え直す必要がある。過ちはさらに深く、別のトビックに関しても続けられようとしており、今日もなお疑われることは少ない。」
リチャード・E・ニスベット ミシガン大学心理学教授 村本由紀子訳『木を見る西洋人 森を見る東洋人』ダイヤモンド社 2004年 213-4頁



東洋人と西洋人の違いが「ほとんどすべての研究に見出され」、「その差はたいてい大きいもの」で、両者の「行動様式が質的に異なっている」となれば、西洋人を対象とした心理学研究の成果がそのまま日本人にも当てはまるかのように流布されている現状は、ちょっとまずいのかもしれない。西洋人だけを対象にした実験結果は「決して一般的なものとは言えない」のだ。

ちなみに、この「大きな差」とは具体的にどのようなものなのか?

ニスベットの本には、たくさんの実例が書いてある。傾向をみる限り、「日本人は協調主義で云々」とかいうステレオタイプも、割と真実を捉えているようだ。
文化によって心理が異なるという点はなかなかに興味深かったので、少々ネット検索をかけた。すると文化心理学者である内田由紀子氏による研究紹介の記事や、YouTubeでの講演がいくつか見つかり、どれもおもしろい。ニスベットの本の内容と合わせて紹介していこうと思う。

なお、価値観・世界観には個人差があるので、これらの研究で示されるものの見方に全く同意できない日本人も少なくないはず。本記事で紹介される「日本人の傾向」というのは、単純な話、「現在」の「集団としてみたとき」の傾向の話である。自分はそうではないという人にとっても、「こんな風に感じる人が多いんだな」との理解は何かの参考になると思う。



★ 幸福感の違い 獲得的幸福感と協調的幸福感
・「幸せ」という言葉から何を連想するだろうか。アメリカ人は、「幸せ」という言葉から連想するもののほとんどがポジティブなものだった。「幸せ」は良いことだという明快な理解をしている。しかし日本人が連想するもののうち3割は、ポジティブとは言いがたいものだった。「妬まれる」などのネガティブなものまで連想されていたのである。日本人が求めるのは「バランスのいい幸福感」であるらしい。社会心理学者の内田由紀子氏は、次のように語っている。

内田由紀子 2019年
「一口に幸福と言っても、アメリカ人と日本人では違いがあります。以前、「幸せ」について、いろいろな側面、特徴、効果を5つ書いてもらうという調査をしたところ、アメリカ人は「うきうき」「何かを達成した時」「人に優しくなれる」など98%ポジティブな答え。これに対して日本人は、「長くは続かない」「求めればきりがない」「妬まれる」など特にポジティブではないものが3割も出てきたんですね。日本人には、良い部分だけに目を向けるのはアンバランス、あるいは、悪い面を無視したらいつかしっぺ返しが来るような感覚がどこかある。一気に大きな幸せを追求するより、小さい幸せが少しずつ積み上がってできた、安定的で平穏な幸せを求める価値観があるような気がします。」
内田由紀子 京都大学 こころの未来研究センター教授 「緩やかな関係性のある組織が個を救う」2019年10月03日 


このことは、よくある「幸福感の国際比較」の妥当性にも疑いをさしはさむものになるだろう。

内田由紀子・荻原祐二 2012年
「より重要なこととして、文化的幸福観の差異により、それぞれの文化における「最適な幸福」のあり方が違っていることを考慮する必要がある。たとえば、人生満足度評価は獲得志向的幸福観を背後に持ち、自尊心と強く結びつきやすい。日本では「幸せすぎるとかえって良くない」という考えがあることも先に論じたとおりである。そのため、幸福や精神健康、抑うつ傾向などを日米で比較してみると、しばしば実際以上にアメリカの方が幸せで健康的,そして抑うつ傾向が少ないというような反応が現れることがある(Norasakkunkit & Kalick, 2002)。ゆえに、単純な平均値の比較には情報価が少ないうえに、結論を誤る可能性がある。平均値の国際比較は参照点としては非常に重要であるが、それにより目標を見誤るべきではない。」
内田由紀子・荻原祐二「文化的幸福感——文化心理学的知見と将来への展望——」心理学評論 Vol. 55 No. 1 2012年 39頁



★ 北米的幸福感と日本的幸福感の対比
内田由紀子は、2020年におけるYouTube講演で、北米的幸福感と日本的幸福感を対比させている。そこでは以下のような整理がなされていた。

・北米的幸福感
1 個人の自由と選択
2 自己価値の実現と自尊心の高さ
3 競争の中でもまれる
4 それが翻って社会を豊かにするという信念
5 獲得的幸福感
→ ただし、これらはいずれも、現代の日本においては馴染みのあるものになってきた。資本主義の浸透に伴い、こうした幸福観はいろいろな国々に広がっていて、今後の展開が注目される。

・日本的幸福感
1 幸福の「陰と陽」
→ 幸せ過ぎると怖いと感じる人が多い。宝くじを当てると、後に悪いことが起きるのではないかとびくびくしたりする。運を定量と捉え、幸運があると、「運を使ってしまった」などと考える。
2 他者とのバランス
→ 自分だけの幸せを後ろめたく感じる傾向がある。自分の幸せは誰かの幸せを搾取していないか? などと気にしてしまう。
3 人並み志向
4 まわりまわって自分にも幸せがやってくるという信念
5 協調的幸福感
(内田由紀子:2020年 YouTube講演)

★ 理想とする感情の違い
・北米人と日本人では、理想とする感情が異なる傾向にあり、この点は覚醒度の高低によって説明されるらしい。北米では、ウキウキするような興奮度の高い感情を理想的だと考える傾向が強い。日本だと、ホっとするとか、「今日も一日お疲れ様」とお風呂に入った瞬間などに一番幸せを感じるという。(内田由紀子:2020年 YouTube講演)

★ 主体性・自己のあり方の違い
・主体性・自己のあり方について。北米人は相互独立的な見方をする。自分と他人は境界線の内と外で切り離されている。対して、日本人は相互協調的価値観が強い。人間というものは他の人との関係性、その人の置かれた状況と切っても切り離せないと考える。(内田由紀子:2020年 YouTube講演)

・文字のアナグラム課題を解かせる場合、アメリカ人は自分で課題を選ぶ条件で最も高い意欲を示した。アジア人の子どもは、お母さんが課題を選んだという条件で最も高い意欲を示した。(ニスベット:2004年 73頁)

・5歳ほどの子どもに、ビデオゲームのプレイヤーとして何色の飛行機を使うか選んでもらうことにする。三つの条件下に分けて実験を行った。条件一では、子ども自身に色を選ばせる。条件二では、実験者が「これだけあるけど、あなたはこの黄色でやってね」と選んで渡す。条件三では、実験についてきたお母さんに「あなたは青が好きだし、青でやろうか」と選んでもらう。結果はどうなったかというと、アメリカのヨーロッパ系の人たちは、条件一のとき、すなわち自分が色を選んだときに一番頑張った。自発性がやる気の源になっているのかもしれない。他方、アジア系の子どもたちは、条件三のとき、親に選んでもらったときが一番頑張った。期待に応えたいのかもしれない。(内田由紀子:2012年)

・目的達成のために必要なルートをどう考えるかについて、オリンピックの報道についての日米比較があるという。それによると、アメリカでは、選手の強さにフォーカスを当てて報道をする傾向がある。水泳選手だと「こんなに手が大きい」とか、「体が大きい」とか、「ライバルとこんな風に戦ってきました」などの報道がなされる。達成のルートはとしては、凄い才能のある人がストレートに進んでいくものとして報道される。日本では、選手をめぐる泣ける話などが報道される傾向にある。「子供の頃に何回も負けました」とか、「それを乗り越えてここまでやってきました」とか、「普通の人だけれども、努力して、周りに助けられ、失敗してきた」という面を見せる。達成のルートは山あり谷ありのものとして報道される。(内田由紀子:2020年 YouTube講演)

★ 自己実現・自尊心・他者とのバランス
・ものの見え方や思考スタイルとして、北米の人は物事の中心となる事象に注意を向ける傾向がある。対して、日本の人は全体に注意を向けがちである。(内田由紀子:2020年 YouTube講演)

・日本人は「気持ち」を重視する。アメリカ人の母親は幼い子供と遊ぶとき、物について質問することが多い。日本人の母親は、気持ちに関する質問をすることが多い。(ニスベット:2004年 73-74頁)

・同じく「気持ち」の重視の例。魚のビデオ映像をみた場合、日本人学生は、アメリカ人学生よりも、魚の気持ちや動機を報告する。(ニスベット2004年:74頁)

・日本人は、関係性を重視する。水中アニメの記憶報告実験。水中のカラーアニメーションを、約20秒ずつ二度見せて、記憶内容を説明させた。そこには中心的な大きく明るく速い魚、動きの鈍い生物、水草、石、泡などが描かれていた。日本人は水や石、泡、水草、動きの鈍い生物といった背景的な要素について、アメリカ人より6割以上多く報告した。背景の無生物と他のものとの関係についても、アメリカ人の二倍多く報告した。日本人は第一声で環境について述べることが多かった。(ニスベット:2004年 106-109頁)

・周囲の人々の感情の重要視。カナダの増田貴彦氏による実験。「人々が書かれた絵」を見せて感想をきく。「真ん中と周りの両方が笑顔の絵」を見せると、アメリカ人の場合も日本人の場合も、真ん中の男の子は楽しそうだと答える。「真ん中は笑顔だが周りは笑顔でない絵」を見せると、アメリカ人は真ん中の人は幸せだと回答したが、日本人はあまり幸せそうだと判断しない。(内田由紀子:2012年)

・礼儀や社会的約束事の重視。幼い赤ん坊と遊びとき、アメリカ人の母親は、対象物の名前を言う回数が日本人の母親より二倍多かった。日本人の母親は、礼儀など社会的な約束事を教える回数がアメリカ人の母親より二倍多かった。(ニスベット:2004年 171頁)

・自尊心トレーニングの有無について。アメリカと比較した場合、日本においては自尊心のトレーニングがなされていない。「「私」に関する文章を20個作ってください」という簡単なテストを行ったところ、京都大学の学生は、「私は右利きだ」などのプロフィール記述が目立つ。しかも、「責任感がない」などネガティブな側面を呈示することがあった。他方で、ミシガン大学の学生は、「私はフレンドリーで、非常にいい人間だ」といった特徴の記述が目立つ。特徴の記述においては、ポジティブな点をアピールすることが多い。(内田由紀子:2012年)

★ 競争思考について
・成果主義についてどう思うか? 日本人の大学生に、成果主義の職場で働く場面を考えてもらった結果、主観的幸福感が非常に低くなってしまった。また、人間関係についても、楽しめなくなると思ってしまった。(内田由紀子:2012年)

・成功を重ねたいか、失敗を避けたいか? ある課題をさせたあと、二つのグループに分ける。グループ一には「あなたはすごく良い点数です」と伝え、成功したと思わせる。グループ二には「あなたは全然できませんでした。下から何番目ぐらいです」と伝え、失敗したと思わせる。カナダ人は、成功したと思った後の方が頑張った。日本人は、失敗したと思った後の方が頑張った。カナダ人は長所を伸ばそうと考えるが、日本人は短所を減らそうとする傾向がある。日本人は器用貧乏になる恐れがあるといえる。(内田由紀子:2012年)



【参考文献】

・リチャード・E・ニスベット 村本由紀子訳『木を見る西洋人 森を見る東洋人』ダイヤモンド社 2004年


・内田由紀子「日本社会における企業文化とメンタルヘルス ~グローバル化時代の価値観の揺らぎ検証~」講演録 2012年


・内田由紀子「緩やかな関係性のある組織が個を救う」2019年10月03日 


・内田由紀子「わたしたちはパンデミックにどう向き合うのか?幸福観の文化差からの考察」2020年8月


・内田由紀子・荻原祐二「文化的幸福感——文化心理学的知見と将来への展望——」心理学評論 Vol. 55 No. 1 2012年

なお、私も未読だが、面白そうだった本



【追記】
2021年8月7日。大幅更新。内田由紀子氏らの研究などの知見を追加。




【関連記事】

後知恵バイアス
ちなみに、東洋人と西洋人を比較した場合、東洋人の方が「後知恵バイアス」に嵌りやすい。この差については、重要であると考え、単独の記事として取り上げた。


再現性の問題
2015年、心理学(特に社会心理学)の論文は再現性がかなり低いという論文が提出された。しかも、その原因は学界全体に「疑わしい研究手法」が蔓延しているからであるという指摘がなされている。現在では学界を挙げての対策が行われつつあるようだが、何かを決断するとき、心理学研究に頼りきるというのはまずそうである。





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