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進化論はトートロジーである、という誤解を解く【進化論】


進化論は、トートロジーであるとして批判されることがあります。

また、進化論の一部である自然選択説の中のさらに一要素である「最適者生存(=適者生存)」がトートロジーであると指摘されることもあります。

しかしながら、前者の批判は間違っています。後者の指摘は正しいかもしれないものの進化論にとって何ら痛手にはなりません。

さまざまな誤解が生じやすい論点です。ここで詳しく解説します。


1 トートロジーって何?


まず押さえておきたいのは、トートロジーとは、命題に関わる概念だということです。

命題というと仰々しいですが、要は「真偽を問える文」。

「机の上にリンゴが置いてある」は立派な命題です。

他方で、「机」は命題ではありません。これは単語であり、文ではないからです。単語だけでは、何をもって真(正しい)とか偽(正しくない)と言えるのか分からないので、真偽を問うこともできません。

さて、トートロジーには二種類あります。論理的トートロジーと、分析的トートロジーです。「常に真となる命題」である点は共通していますが、種類としては異なるものです。


① 論理的トートロジー


論理的トートロジーとは、論理的な語彙の意味だけによって真となる命題のことです。難しい言い回しですが、具体的にみると簡単な話です。

 命題1:雨が降っている、または、雨が降っているわけではない
 命題2:独身者である、または、独身者ではない

これらの命題は、「PまたはPではない(P∨¬P)」という形式をしており、「または(∨)」「ではない(¬)」という論理的な語彙の意味だけによって真であると分かります。「雨が降っている」「独身者」という言葉の意味を知る必要さえなく、いつどこで主張しても常に真になります。


② 分析的トートロジー


分析的トートロジーとは、論理的な語彙の意味に加えて、非論理的な語彙の意味によって真となる命題です。これも話は簡単です。

 命題3:独身者は配偶者をもたない

この命題は常に真ですが、それは「独身者」という語の意味の中に「配偶者を持たない」という意味が含まれているためです。独身者が本当に配偶者をもたないのかを観察する必要はありません。

分析的トートロジーのポイントは、この命題が常に真であることを知るためには、「独身者」「配偶者」という語彙の意味を知っている必要があるということです。この点で、論理的な語彙の意味以外は知る必要さえない論理的トートロジーとは異なります。


2 進化論はトートロジーではない


「進化論」だけではトートロジーではありません。というのもこれは単語であって、真偽を問える文(=命題)ではないからです。

揚げ足取りにみえるかもしれませんが、実は本質的なところです。命題単位で考えないと、果たして何について考えているのか分からなくなります。

では進化論の本質的内容を命題に直しましょう。

進化論には、それを失うと進化論とは言えなくなってしまうハードコアが存在します。それは、生命の樹説(=共通先祖説)と自然選択説(=自然淘汰説)です。

 生命の樹説
 すべての生命は単一ないし少数の種から分かれて進化してきた

 自然選択説
 
進化の主要なメカニズムは自然選択である

どちらの仮説も命題ですが、いずれも論理的トートロジーではありません。「生命」「種」「進化」「メカニズム」「自然選択」等々という非論理的語彙の意味を知らなければ、これらの命題の真偽は分かりません。

また、これらの非論理的語彙の意味を知ったところで、直ちに命題の真偽が導かれるわけでもありません。ゆえに分析的トートロジーでもありません。

つまり、進化論全体はトートロジーではないと言ってよいでしょう。

しかし、進化論の一部にトートロジーが含まれることはないのでしょうか。とくに自然選択説の中の「最適者生存」は、しばしば「生き残る者が生き残るというトートロジーだ」という疑いを向けられています。

これについては、さらに詳しく掘り下げます。

3 自然選択説の検討


① 自然選択説の怪しいポイント


自然選択説は、「進化の主要なメカニズムは自然選択である」という説です。主要ではないプロセスとしては自然選択以外を認めています。

では自然選択の中身をみていきましょう。それは「変異・遺伝・生存闘争」という三つの前提から、「最適者生存・累積進化・種の分化」という三つの結論を導くものとして整理できます(詳細は別記事で書きました)。

前提を詳しくみてみましょう。

 変異:ある種の個体間には形質上の多様性が存在する。
 遺伝:変異には子に伝わるものがある。
 生存闘争:その環境で生き残るよりも多くの個体が生まれてくる。

前提にトートロジーはなさそうです。

では結論はどうか。

 最適者生存:環境において有利な形質をもつものは、より多く生き残り繁殖する。
 累積進化:有利な形質は累積することで大きな形質変化となる。
 種の分化:異なる環境では異なる形質が有利となるため、原種からはやがて変種が生じる。

結論のうち「最適者生存」は、なんだかトートロジーな感じもします。


② 最適者生存はトートロジーかも?


最適者生存でいう「形質の有利さ」のことを適応度と言います。たしかに適応度の定義によっては、最適者生存はトートロジーになります。

どういうことか。

科学哲学者エリオット・ソーバーは、以下のような定義が、適応度の実用的な定義と言えるかもしれないと書いています。

形質xが形質yよりも適応度が高いのは以下のときであり、そしてそのときに限られる。すなわち、xがyよりも生存の確率が高く、かつ(あるいは)xがyよりも繁殖上の成功の期待値が高いとき(ソーバー:2009年、141頁)

この定義が正しいとすれば、「適応度が高い形質である」と「より生存または繁殖成功の期待値が高い形質である」とは同値です。

同値ということは、すなわち、「適応度が高い形質である」ならば「生存または繁殖成功の期待値が高い形質である」、「生存または繁殖成功の期待値が高い形質である」ならば「適応度が高い形質である」ということです。

ソーバーの定義を受けいれた上で、以下の命題の真偽を考えてみます。

 命題4 適応度が高い形質は、生存または繁殖成功の期待値が高い形質である

この命題は定義(つまり非論理的語彙の意味)によって常に真となります。すなわち、分析的トートロジーです。そしてこの命題は進化論の一部を構成する最適者生存そのものかもしれません。

とはいえ、このことは進化論にとって何ら痛手ではありません。

科学としての進化論にとって重要なのは、いかなる形質の適応度が高いのかの探求だからです。最適者生存とは何かではなく、どんな形質が最適なのか(=適応度が高いのか=生存または繁殖成功の期待値が高いのか)が問題なのです。これは「独身者は配偶者をもたない」が分析的トートロジーであるという事実が、「どんな事情が人を独身者にしているのか」という探求にとって何ら問題にならないようなものです。


③ 探求に問題は生じない


最適者生存のトートロジー性に実用上の問題がないことを示しましょう。

自然選択の典型例である工業暗化を用いて説明を行います(ウォルドバウアー:2013年、88-89頁)。

主役はオオシモフリエダシャクという蛾です(以下単に蛾)。通常この蛾は白っぽい翅に小さな黒点を撒いたような形をしています。

18世紀のイギリスでは、ロンドンからマンチェスターにかけて石炭工場から発せられる煤煙によって森林地帯の樹の幹が黒っぽくなりました。1848年、その地域において羽が黒くなった蛾がはじめて発見されます。そして1895年までには98%までもが翅の黒い個体に置き換わってしまいました。他方、大気汚染が進んでいない地域では白い翅の個体が優勢のままでした。

これについてバーナード・ケトルウェルは以下のような仮説を立てます。

「樹が煤煙に汚染された地域では、黒い翅は保護色になり、鳥に食べられにくくなる。つまり黒い翅の適応度が高くなる(=生存・繁殖成功の期待値が上がる)。よって白型の蛾は淘汰され、黒型の蛾は繁殖した」

この仮説はもちろん分析的トートロジーではありません。「煤煙」「保護色」「鳥」「黒い翅」「適応度」等々の語彙の意味を明らかにしたところで、真偽は定まらないからです。ひょっとすると黒い翅は生存・繁殖上有利ではないのに偶然広まったのかもしれませんし、有利ではあるにせよ鳥による捕食とは関係ない原因によってそうなのかもしれません。

この仮説を検証するためには実験や観察などの研究が必要です。

ケトルウェルは、①白黒にかかわらず、身体の色と同じ色の幹にいる個体は、そうでない個体よりも夕方まで生き残る率が高かったこと。②鳥は幹とは異なる色の蛾を捕食し、幹と同色の蛾には気づかない傾向にあることを観察によって確認しています。

また、1956年の大気浄化法によって大気汚染が改善すると、白っぽい翅の蛾が優勢に至ったようです。木が汚染されなくなれば黒色ではむしろ目立ってしまいますので、先の仮説に基づいて判断すれば自然な経過といえるでしょう。この結末は研究者たちの予想するところでした。

以上のような探求において、最適者生存のトートロジー性は何ら問題を引き起こしていません。どの形質が、なぜ高い適応度をもつのかを説明するためには具体的な仮説を形成する必要があり、そうした具体的仮説はトートロジーではないためです。


以上みてきた通り、進化論はトートロジーではありません。また理論の一部である自然選択説の「最適者生存」部分はトートロジーかもしれませんが、そのことで探求上の問題が発生することはありません。

しかし、トートロジーであるという批判は当たらなくとも、批判の背景にある動機には掬うべき点があるかもしれません。というのも、広くみられる形質とあらば、何でもかんでも「それは適応度が高いから広まったのだ」と決めつけてかかる誤った傾向も見られるからです。これは進化論自体が抱える問題ではないのですが、理論に基づいた探求の上でしばしば発生する問題といえるでしょう。



〈参考文献〉
・エリオット・ソーバー著 松本俊吉、網谷祐一、森元良太訳『進化論の射程』春秋社 2009年 139頁以下
 この記事の大筋はソーバーのこの本によるものです。行間を読む必要のある本なので、私の解釈が多分に入ってしまいましたが。……感謝。

・ギルバート・ウォルドバウアー著 中里京子訳『食べられないために―― 逃げる虫、だます虫、戦う虫』みすず書房 2013年 88-89頁

 おもしろい本でした。

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