地獄でなぜ悪い
今、おばあちゃんの家から徒歩10秒ほどにあるお洒落なカフェに一人で来ている。本当はもう少し早い時間に行きたかったけれどひどい大雨で、小雨になるのを待っていたらこんな時間になってしまった。
古びた住宅街に不釣り合いなくらい綺麗な建物のカフェ、そこでいちごタルトケーキとオレンジジュースを注文した。
一人でカフェに行くことにどうしてか抵抗があるのだけれど、せっかくおばあちゃんちの激近なところにケーキが美味しいお店があるなら行かなくちゃなという気持ちになって来た、謎な義務感ひと匙。
そのカフェでケーキを食べ終え、星野源の「よみがえる変態」を読み終えた。
正直なところ、言葉にならない。心が空っぽになってしまった、それくらいきついエッセイだった。カフェでぼたぼたと泣いてしまう。ケーキ美味しかったけれど頭の中がぐわぐわしてしまってあまり味わえなかった。
私は実はそんなに星野源の曲とかに詳しいわけじゃない。ただ、「化物」のレコーディングの際にくも膜下で倒れていることや「地獄でなぜ悪い」が闘病時の曲だということはなんとなく知っていた。
エッセイには後半、闘病について書かれている。なんとなく知っていた内容の数倍ショッキングだった。どう頑張ってもポップにできるような話じゃない、それぐらい苦しい話。
だけれど「地獄でなぜ悪い」はありえないほどに明るい曲で、私はそのギャップに戸惑う。
地獄は死んだ後に訪れるわけじゃない。甘美な誘惑、綺麗ごと、そういったものにカモフラージュされて気づかないが、ここが、この世が既に地獄なのだ。
「よみがえる変態」p.139
この本で「ああ...」と思った言葉。大きな手術をしたあと、猛烈に苦しんでいる星野源が考えたこと。「地獄でなぜ悪い」の曲中にも、「無駄だ ここは元から楽しい地獄だ」と言う歌詞がある。
大小あるにしても、人はそれぞれ地獄をもっているなあと思う。なんでかわからないけれど猛烈に泣きたい時とか、消えてしまいたくなる夜とか。
そんな時、ああそうだここは地獄なんだったなと思い出す。地獄。でも、「楽しい地獄」なんだ。私はこの曲が本当に好き。とっても辛いけれど、大きな病気をして、今すぐ窓から飛び降りたいと願った星野源が自分の経験を通してそう言うのならきっと本当にそうなんだろうなと思うのです。
この前やっとみた星野源オンラインライブ「Gratitude」で歌っていた「地獄でなぜ悪い」を思い出す。本当に楽しそうに歌っていて、本当に星野源は強くてかっこよくて素敵な人だと思う。そんな星野源が同じ地獄で待っているなら、それもいいかなとか思う。
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気づいたら雨が止んでいる。今を逃したらまた大雨かもしれないから今のうちにお店を出る。
このカフェにはたくさんのケーキがあるし、今さっき奥のお客さんが食べていたパフェが思ったより大きくて美味しそうだったので次はあのパフェを絶対食べようと思った。また来よう。
今回のnoteはただただ星野源について書いているだけで、なんかちょっとだけ恥ずかしい。全然にわかだし...。でも、これくらいの気軽さでこれからも文を書きたいなと思っています。
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