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愛することのかがやき


人はみんな、「愛されたい」と口にするけれど、ほんとうに目指すべきは愛されることよりも愛することだよと思う。なんでかわからないが、最近やけにそう思う。愛されることよりも愛することにたいして貪欲な自覚がある。


まわりを見渡せば、「愛されるには?」とか「モテ術」とか、そういう外部からの愛に対しての攻略がたくさんあるのに、「愛するには?」「好きになる方法」みたいなものは格段に少ない気がする。そんなことないのかな?でもやっぱり、友だちと話しても「どうやったら好きになってもらえるかな...」とかそういう話題ばかりがのぼってしまう。外部からもらう愛について人は考えすぎだと思う。もっと、自発的な愛について考えたい。考えたところでどうしようもないんだけれど、いつまでももらうことばかり考えてちゃダメでしょう。

なぜ人は「愛される」ということについて思い巡らすのかというと、それが所属と愛の欲求だからじゃないかと思う。マズローの5段階欲求説というのが心理学の考え方では存在していて、その中の一つ。集団の一員として認められ、愛を得たいという欲求。
愛されるというのは「わたしは君の味方だよ」と伝えてもらっていることと同じで、それは社会の一員として認めてもらっているということ。社会的な動物であるわたしたち人間は、そういう安全のもとで生きていきたいと願う。
逆にいえば、誰にも愛されなかったら、自分は社会からのあぶれものなのだと言われているようなものだと感じてしまう。社会不適合者なのだと錯覚する。それはとても怖いことだから、一生懸命愛されることを考える。



でも本当に難しいのは愛されることなんかより愛することだと思う。だって、愛されることは外からやってくることだけれど、愛することは自分の中から湧き出るものだから。人は自分の感情に嘘をつくことが難しい。思ってもいない愛を「好きだよ」と口にすることは簡単だけれど、その度に心は歪む。
愛するという気持ちは、自然に湧き出るものだから、自分で操ることができない。だからこそ、愛されることよりも愛することの方がずっと難しく、そして尊いものなのではないかと思う。


愛されたいと願い苦しむ人がこの世にはきっといて、それも当たり前なことではあると思うけれど、もしそんな人が、何か、誰かを愛せているんだとしたら、それはもう、とてつもなく美しくて素晴らしいことなんだよと伝えたい。
自分の中でかがやく気持ちをどうか忘れないでほしい。





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