見出し画像

今こそ「0と1の間」を知るべき ~緊急事態宣言解除後を見据えて~

世の中にはびこる「ゼロリスク」

本題に入るにあたって、この記事を書こうと思ったきっかけになった、
森田洋之さんの、note記事を紹介しようと思う。
『人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?
/コロナパニックについて考える』 
https://note.com/hiroyukimorita/n/nf86e44f3e4dc

この記事では、医療による「ゼロリスク」の追及によって、
高齢者に弊害をもたらしてきたとしている。
具体的には、
転倒を予防するために歩かせない、移動は車いす、
誤嚥を予防するために、経鼻経管栄養、胃ろう増設などなど、
そうして、行動を制限され寝たきりになり、
「好きなものを食べたり、自分らしく生活したい」という、
ささやかな願いさえ奪われていく。
高齢者を「籠の鳥」化する現状が、病院・施設にはある。

日本のどこかの某病院で、介護福祉士として仕事をする私としては、
とても耳が痛い話ではあるが、事実として認めざるを得ない部分はある。

だが、この「ゼロリスク」の問題は、病院・施設にとどまらず、
特に緊急事態宣言下の日本において、社会に様々な悪影響を与えている。

選択され続ける「ゼロリスク」
~夏の甲子園中止、国内パスポート案~

5月20日、日本高校野球連盟は、夏の甲子園の戦後初の中止を決めた。
報道で球児たちのインタビューを見るたび、胸が痛む。

中止の理由で挙げられたのは、
感染リスクを完全に防げない、
休校が長引く中、練習が十分にできず、本番での選手のけがにつながる、

などである。まさしく「ゼロリスク」である。
個人的に腑に落ちないのは、
不十分な練習による、けがのリスクを考慮するならば、
オリンピックの開催なんぞは、尚のことリスクの塊だと思えてならない。
個人的な邪推ではあるが、
「甲子園開催によって、コロナ感染第〇波を出して、オリンピックに影響しない」ように、中止に踏み切ったとも、捉えられかねない。
2020年の高校球児たちは、「ゼロリスク」の犠牲になった。

また5月21日、国会にて、
都道府県をまたぐ移動に関して「国内パスポート案」なるものが議論され、
ネット上では時代錯誤と、物議をかもしている。
これも「ゼロリスク」である。
そんなことにお金を使うならば、もっと有効に使える部分がある、
と思ってしまうのは、素人考えだろうか。

コロナ以前も、「ゼロリスク」は様々な業界で影響を与えてきた。
教育業界なら、
所謂モンスターペアレント対策に、色々なことを逐一電話で保護者に確認、
飲食業界なら、
所謂バカッター対策に、SNS利用の講習を従業員に施す等、
挙げだしたらキリがなくなりそうだ。

日本(に限らないかもしれないが)は「ゼロリスクに侵されている」

今の日本に必要なマインドは

少し話は変わるが、私はバンプオブチキンのファンである。
よく聞く「カルマ」の1節に次のようなものがある。

『知らなきゃいけない事は どうやら1と0の間』

このマインドこそ、今の日本に必要ではないだろうか。
要は「ゼロリスク」ではなく、「0.1リスク」にする考えだ。
難しければ、「0.05リスク」でもいい。

夏の甲子園の件でいえば、
感染対策を徹底したうえで、「無観客試合」は本当に実現しえなかったか、
病院で働く私としては、少々疑問でならない。

せっかく独自の出口戦略モデルを提示して奮起している、
大阪府と生活圏を共にする、兵庫にある甲子園球場で行う祭典なのだから、
コロナ対策とイベントの「両立」の実現を目指して、
高野連も奮起してもよかったのではないかと思ってしまう。

大きな夏の風物詩が、また一つ、開催されないことが決まった。

このままドミノ倒しのように、これ以上の中止の連鎖が起きないことを、
医療従事者として切に願って、執筆を終えようと思う。

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?