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オータムインのピスキウム ~プロローグ~1

 昔でも未来でもなくだいたい現在。ただしこことは違うどこか別の世界。そこには獣人が生きていた。

 山の麓にひっそりとたたずむその街はオータムインと呼ばれていた。秋のいりにつくられた町だからだ。

 ひと昔前は、すぐそばの名のない山に生える良質な樹木を利用した林業によって町は労働者で溢れた。また、一年中、それはもうキレイな紅葉を楽しむことができる観光地として、遠くからはるばる電車を乗り継いで来る観光客も多かった。

 ある時、州知事がその名のない山での林業を禁止した。「キレイな自然を守るため、人が手を加えることは、長い目で見ると環境破壊につながる」が州知事の言い分だった。しかし、オータムインの町長と州知事のいざこざによる嫌がらせだというが、もっぱらの噂だった。が、理由はどうあれ、林業を奪われたオータムインが廃れるのは時間の問題だった。

 もちろんオータムイン、もっというと町長は黙って指をくわえているだけではなかった。山での林業は禁止されたが、観光業はまだ健在だ。ということで、誘致や町の開発に力を入れた。

 しかし、不思議なことに林業禁止令が出された日を境に、名のない山では木々に一切紅葉がつくことがなかった。州知事の策略なのか、呪いなのかオータムインの住人には理由がわからなかった。が、理由はどうあれ、観光業による巻き返しができなくなったことには変わりがなかった。

 数年後、オータムインはただの寂れた田舎町に変わってしまった。外の人間が立ち寄るとしたら、電車やバスになどによる長旅の途中の休息を求める者か、あてのない旅人か、様々な理由で他の町にいられなくなった者ぐらいだった。

 そんなオータムインだが、少なくない数の住人がほそぼそと自分たちの暮らしを続けていた。町と一緒に死を待つ者、陰鬱な日々をただ無為に過ごす者、なんとか泥沼から抜け出そうともがく者、小さな幸せを大事に暮らしている者。まだこの町にはいろんな人が生きていた。

 これは、そんなオータムインに住んでいる、ピスキウム・ラビィという名のウサギ人の女の子の日常を綴ったお話。

 ピピピピピ、ピピピピピ、ピピ…ガチャ。

「んん……」

 1人用の木製ベッドの上で寝ていたピスキウムが、頭のそばに置いてあった目覚まし時計に左手を伸ばしてアラームを止めた。

「あと5分……」

 ピスキウムは左手をそのまま顔の上にかぶせた。カーテンの外から射し込んでくる陽の光から目を隠し、再び夢の世界に潜ろうとした。

 しかし、彼女の頭の上についている長い耳が、部屋の外の階段をドタドタと上がってくる足音を聞き逃さなかった。足音はだんだん彼女の部屋に近づいてくる。部屋の前で足音は止まった。代わりに、ドアノブが回されてドアが勢いよく開かれた。

「おねーちゃーん! 朝だよ! ご飯もう出来ちゃうよ!」

 変声期前の、男の子特有の甲高い声が部屋に響いた。同時に茶色い髪を短く切りそろえた、くりっとした目が可愛らしいうさぎ人の男の子が、元気よく部屋に入ってきた。暗い部屋の中に浮かぶ白い毛並みは、さながら幽霊のようだった。

 男の子はすでに隣町にある小学校の制服を着ていた。男の子は今年で9歳。元気いっぱい小学3年生だ。ちなみにピスキウムは17歳。歳は離れているがとても仲がよい姉弟だと評判だ。

「うぅぅ、うるさい……」

 ピスキウムは、元気なくしおれた長い両耳を両手でおさえてベッドの上で胎児のように丸まった。

「おーきーてー!」

「うぅぅ……」

 いっこうに起きないピスキウムに業を煮やした男の子は、ベッドの上のピスキウムを両手で激しく揺さぶった。

「おーきーてーよー!」

「……わかった。わかったから、シェミィ、揺するのをやめて」

「シェミィじゅなくてシェマリー!」

「はいはい、シェマリー、シェマリーシェマリー。あたしの弟のかわいいシェマリー」と、ピスキウムは歌うようにいった。

 シェマリーと呼ばれた男の子はピスキウムを揺らすのをやめて、満足そうにうなずいた。

 ピスキウムはのっそりと上半身を起こした。彼女の顔を覆っている長い黒髪は好きなようにさせていた。髪の毛の間からのぞく細く鋭い眼はまだ閉じられている。代わりに長い耳が次第に立っていく。

「いいか弟よ、ニワトリみたいに元気なのは結構だがね、寝ている人に向かって大声を出すのはマナー違反というものだよ。あたしたちは人一倍耳が良いのだから特にね」

ピスキウムは自分の両耳の先端を指でいじくりながらいった。

「ふーんだ。ちゃんと起きないほうが悪いんだもーん!」

「はいはい、悪い姉ですよっと。ラビィ家のきかん坊は善悪をよくわかってらっしゃる……」ピスキウムはベッドから降りて立ち上がった。大きき伸びをした。「それじゃ、弟よ。姉は着替えたりしなければいけないから部屋から出ていってくれたまへ」

「わかった! 早くしないと朝ごはん冷めちゃうからね!」

 シェマリーは元気よく部屋から出ていった。ドタドタと廊下と階段を走る足音を聞きながらピスキウムはため息を付いた。

「子供は元気なのが一番ってね。まったく」

 ピスキウムはパジャマをベッドの上に脱ぎ捨てた。そして、壁についているカーテンを脇にどかし、その後ろに隠れていた丸い小窓をあけた。陽の光が外からさしこみ、部屋の中で舞っているホコリが浮かび上がった。人々の活動音がかすかに聞こえてきた。

「うー、今日も肌寒いそうだ。やる気が起きん……」

 ピスキウムは、部屋の反対外の壁の前に埋め込まれているクローゼットをあけた。中から、赤色のジャージ一式を取り出してさっと着替えた。そして脇に置いてある大きな鏡の前に立った。黒く長い髪の毛を後ろでまとめると、キリッとした目つきで整った顔立ちの女の子が現れた。

「へい彼女、今日もイカしてるね。一緒に小洒落たサテンでもどう? この街にはそんなモノないけどね……」

 ピスキウムは鏡の前から去り、部屋のトビラを途中まであけた。「おっと、忘れものだ」

 ピスキウムは、トビラ脇に置かれている茶色の棚の、上から2段目の引き出しをあけた。

 中にはペンや髪留めなど様々な小物が入れてあった。彼女は奥の方にある水色のアルミ製の小物入れを取り出した。蓋を開けて、中にはいっていたシガレットの箱とマッチを取り出し、ジャージの隠しポケットにしまった。小物入れをもとに戻し、引き出しを閉めて、今度こそ廊下に出た。

 廊下にはすでにトーストとキャロットスープの美味しそうな香りが漂っていた。ピスキウムの小さな鼻がスンスンと香りを集めようと動いた。ピスキウムは花に誘われるチョウのように、ふらふらと階段を下りてキッチンへ向かった。

 キッチンには、ピスキウムの母――加齢のせいか疲労のせいか、その白い毛並みはあまり良くない――とシェマリーがすでにテーブルについて食事を始めていた。

「おはよう、ねぼすけお姫様」と、母は言った。

「おはよう、早起き女王様」

 ピスキウムは母の向かい側の、弟の隣の席に座った。テーブルの上には、すでに彼女の分のキャロットスープと目玉焼きが乗ったトースト、それにレタスのサラダが置かれていた。

「父さんはもう仕事?」ピスキウムはトーストに手を伸ばしながらいった。

「ええ、朝から会議で忙しいって。母も今日はフルタイムでパートだから夜は遅くなるわ。だから、晩御飯は勝手に済ませちゃってね」

「あたしはいいよ。だけどシェミィは?」

「今日は小学校のお泊まり会だから大丈夫よ」

「そうだよ! 今日はキャンプ場に行ってキャンプするんだよ! お昼はアスレチックや湖で遊んだり、鳥を観察したりするんだよ! それで夜になったらおっきいキャンプファイアーをして謳ったり踊ったりするの!」と、シェマリーがフォークを持った手をブンブン振りながら興奮気味に喋った。口の端からキャロットスープがほんの少し垂れた。

「おお、そうかい。それは面白そうだね。楽しんでおいで」

 ピスキウムは、ハンカチでシェマリーの口を優しく拭いてあげた。母はそんな2人を微笑ましく眺めていた。

 ピンポーン!

 とつぜん家のチャイムが鳴った。母が時計を見た。時刻は7:30をさしていた。

「あら、もうこんな時間。さ、シェマリーちゃん、残りを早く食べちゃいなさい」

「うん!」

 シェマリーは残りのサラダを、大きな口をあけて食べてお皿の中をからにした。母は食事を終えたのを確認すると、シェマリーを連れて一緒にキッチンを出た。

 残されたピスキウムは淡々とトーストとキャロットスープとサラダを平らげた。玄関から、母とシェマリーと彼の同級生の声が聞こえてきた。シェマリーは3人分の食事をサッと洗い、食後のたんぽぽコーヒーを飲んだ。砂糖はなし、ミルクを少々がピスキウム流だ。「んー……まい」

 しばらくすると、母が1人で戻ってきた。

「あら、いい香りね。私にもコーヒーを入れてくれるかしら?」

「かしこまりました」と、ピスキウムはいってブラックコーヒーを一杯作って母に渡した。

「ありがとう。……うん、おいしいわ」

「どーも」

2人はコーヒーをゆっくり味わった。ピスキウムがテレビの電源を入れると、朝のニュース番組が流れていた。オータム員とは関係ないところの天気予報や派手な事件、今季の市長選挙の話題などが流れた。2人は何も言わずただテレビ番組を眺めていた。

「ねぇ、ピスキウム」

 テレビ番組がホームコメディに変わった時、母が口を開いた。ピスキウムは母をちらりと横目でみてから、テレビの音量を下げた。そして、母に向き直った。母は真面目な顔をしていた。

「……なに?」と、ピスキウムはいった。

「学校のことだけど……何回もこの話をして、あなたも嫌かもしれないけれど……母はこのままじゃ行けないと思うの」

「学校には行かないよ」

 ピスキウムは短くそういった。コーヒーを口元に持っていき、けだるけな視線を向けた。母は視線をそらして、手元にある自分のコーヒーを静かにかき混ぜた。無言の時間が続いた。テレビから流れる笑い声が、キッチンに空虚に響いとき、母はかき混ぜるのをやめて視線を上げた。

「うん、あなたがしっかりと考えてだした結論なら、母はそれでいいと思う。多分、お父さんもそういうと思うわ。なら、それならそれで、これから先どうするかを考えなくちゃいけないんじゃない? 一応アルバイトはしてるとはいえ、無為に毎日を過ごすだけじゃ、将来苦労すると思うの。そして、その将来はそれほど遠くないわよ。あなたは今年で18歳になるのだから」

「…………」

「確かに、将来のことなんてわからないし、何が正しい選択かなんて誰にもわからないわ。だけど、学校へ行けばそれを考える時間は得られるわ。学校に行っていろんなことを学べばやりたいことが見つかるかもしれない。そうすれば、今度こそちゃんと学校をやめればいい。そうじゃなくても、卒業すれば学歴が手に入るわ。そうすれば将来少なからず役に立つわ。学歴っておそらくあなたが考えている以上に世間では大切なものなのよ。もし、お金の心配をしているのなら、あなたが気にすることじゃないから心配しないで。ほら、お父さんって元は軍人でしょ? だからうちはそこそこ裕福なのよ」

 そこまで母は一気にまくしたてた。ピスキウムはその様子をじっと見ていた。

「うん、母さんが言いたいことはわかってるつもりだよ。でも、そういう問題じゃないってことも知ってるでしょ?」ピスキウムは無表情でいった。

「……ええ、そうね。あの事件のことも、あなたの気持ちも、100%とは言わないけれどそれなりにわかっているつもりよ……」

「なら、学校にいけって説得が無駄なこともわかるよね」ピスキウムは立ち上がった。「あたしのことは心配しないで。これからのこと、一応あれこれ考えてはいるから」

「ピスキウム……」母は悲しそうな顔をして、ピスキウムを見上げた。

「あたし、もう行くね。母さんもパート頑張って」

 ピスキウムはキッチンをあとにした。短い廊下を歩き、玄関の前で一度立ち止まって振り返った。キッチンの方からは、テレビの音だけが聞こえてきた。「親の心子知らず。親不孝者な娘だね」ピスキウムはひとりごちて、左手で頭をガシガシかいた。そして、家を出た。

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