死体美術館
熱にうかされた太陽の周りを地球が回転をし始めるて何億回目。地平線から太陽が顔を出し、飢えた鳥がけたたましく鳴きわめきながら森から街へと飛びたつ早朝。地表には地獄の釜から漏れだしたような生ぬるい風が這い、コンクリートロードの上で朽ち果てているしゃれこうべがケタケタ笑いながら転がっていく。ここは特に筆頭とするモノのないありふれた田舎町。
◆
とあるボロアパートの204号室にその男は住んでいた。外見は30代なかば、ボサボサの髪にほったらかしの無精髭。首元がたるんだ水色のパジャマの下におさまっている身体はそこそこがっしりしている。男は敷布団に寝転がりながら、そのどんよりと濁った眼をしっかりあけて、手に持っていた写真を黙って眺めていた。
写真の中には、今とは違いさっぱりとした身なりの男と、男より頭一つ分背の低い、白いワンピースを着た可愛らしい女が、幸せそうな表情で肩を寄せあっていた。二人の後ろには桜の樹木が写っている。写真の裏に書かれた日付は半年前。写真自体は、うだるような暑さのせいか劣化し始めている。
「サチコ……」
男は、思わず口から漏れたという程度に小さくつぶやいた。返事をするものは誰もおらず、写真の中の男女は、ただ黙って笑っているだけだった。
そのうち、カーテンの隙間から陽が差し込んできた。男は上半身を起こし、写真を丁寧に胸ポケットにしまった。男は何をするでもなく、ぼーっとしていた。外は鳥類が騒いでいた。
男は立ち上がり大きく伸びをした。そして、床に転がっていた第三のビールの空き缶を一つ拾って、カーテンを開き、窓を開けた。そして、小さいベランダに出て下を覗いた。
ボロアパートから小さな道路を挟んで反対側に設置されているゴミ捨て場で、カラスたちがゴミを漁っていた。カラスは皆、大柄で翼の艶がすこぶるよい。
「うるせぇぞこの野郎!」
男が空き缶をカラスに向けて投げつけた。空き缶はカラスたちから少し離れた場所に落ちた。カラスたちはゴミを漁るのをやめて、空き缶が飛んできたほうを睨んだ。男とカラスたちの視線がぶつかり火花が散った。あてもなく飛んでいたセミが火花に焼かれて消しクズとなった。
「カァ……」
一際大柄なカラスが低く鳴いた。そして、すぐ横に転がっていたしゃれこうべにクチバシを突き刺した。しゃれこうべはパカッと二つに割れた。そのカラスはクチバシを三回、コンクリートにこすりつけてから再び男をにらみ、クチバシをカチカチと鳴らした。周りのカラスが男を見ながらカァカァと笑った。
男は額に血管を浮き上がらせてカラスたちを睨んでいたが、柵に拳を叩きつけてからすごすごと部屋に戻った。カラスたちは互いに顔を見合わせた。そしてゴミ漁りに戻った。
BANG!
空気を轟かす銃声が鳴り、一際大柄なカラスの顔面が文字通り弾け飛んだ。首からは赤黒い血が勢いよくふきだし、周りのカラスたちとゴミとコンクリートをペイントする。カラスたちは一斉に銃声のした方――ボロアパートの二階のベランダ――に顔を向けた。
そこには、先程の男が鬼の形相をしてベランダに立っていた。男の右手には大柄な白いオートマチック拳銃が握られていた。そして、その拳銃はカラスたちに向けられていた。
BANG! BANG!
さらに二羽のカラスが肉片へと変わった。残されたカラスたちはパニックになりながら我先にと空に飛んでどこかへ逃げていった。ゴミ捨て場にはゴミだけが残った。すぐに片目に切り傷がついている灰色の野良犬が歩いてきて、頭のないカラスのうち一つを咥えてどこかにいった。
「クソが」
男はそう言い捨てて部屋に戻った。窓とカーテンを閉め、布団に戻った。拳銃を枕の下に置いて、二度寝の体勢に入った。
◆
安っぽいインターホンの音で男は目を覚ました。男は目をこすりながら起き上がった。枕の下から拳銃を取り出してズボンの背中側にさして、パジャマシャツで隠した。ドアののぞき穴を覗くと、このアパートの大家が不安そうな表情をして立っていた。男はチェーンを外して、ドアを開けた。大家は、普段の二割増し贅肉がついていた。
「大家さん、どうしました?」男が言った。
「スギヤマさんこんにちは……あら、もしかして寝てた?」
「ええ、まぁ」スギヤマと呼ばれた男は生気のない返事をした。
「だめよ、大の大人が平日の昼間で寝てるなんて……いえ、それは今はいいの。あのね、今朝ね、ここらへんで発砲事件があったらしいのよ!」
大家は自分の言葉にびっくりしたように小さくハネた。ほんの数センチだったが、着地したときにアパートが揺れた。大家のきつくパーマを当てた髪がふわふわと踊った。
「はぁ、発砲事件ですか。それはまぁ、怖いですね」
スギヤマはそう言いながら、後ろ手で拳銃をズボンの奥へと押し込んだ。
「そうなのよ! ヤマダさんが言ってたんだけどね、明け方ぐらいに三回ぐらい大きな音が聞こえたって。ほら、ヤマダさんの旦那さんは猟師じゃない? だからそれが銃声だってわかったらしいのよ!」
「はぁ……なんにせよ、しばらくは気をつけたほうがいいですね。ところで警察は?」
「それがね、一人の若くて頼りなさそうな警察官がここら一体を調べに来たんだけどね、銃が撃たれた後がなんにもないっていうんで早々に帰ったちゃったの! まったく、税金泥棒もいいところよ!」
「そうですね……」と、スギヤマは言って小さなあくびをした。
「ええ、そうね!」
「ええ……」
「そうね!」
スギヤマは口を閉じ、大家の目と目の間をじっと見つめた。大家は何も言わなかった。
「……ええと、用事はそれだけですか?」
「そうね、それだけ。一応、大家として住民全員に伝えておこうと思って。あ、あなたにはもう一言、言っておかなくちゃいけないわ。あのね、さっきも言いかけたけど、大の大人が平日の昼間までだらだらだらだら寝てちゃだめよ! 私の息子は今年で16歳だけどもう工場で働いているのよ!」
「はぁ、まぁ……おっしゃる通りで」
「そうよ!」
スギヤマは口を閉じ、大家の眉と眉の間のしわをじっと見つめた。その間、大家は何も言わなかった。
「ええと、それじゃあ、大家さんも気をつけてくださいね」スギヤマが言った。
「ありがとう、あなたもね」と、大家は言って、最後に自分の人差し指と中指で自分の目を、次にスギヤマの目を指した。そして、なにかに満足したように大きな体を揺らして去っていった。
「…………」
スギヤマは無言で玄関前に塩をまいてドアを閉めた。部屋を横切り、カーテンを開き窓を開けベランダに出た。そして、ゴミ捨て場を確認した。そこには、何も残っていなかった。ゴミも、空き缶も、しゃれこうべも、肉片も。全て、全てなくなっていた。雲ひとつない空には太陽が激しく燃えていた。スギヤマは部屋に戻った。
◆
スギヤマは第三のビールを買いに行くためにアパートを出た。黒いビーチサンダルに青と緑の短パン、上は青い花柄のアロハシャツで頭の上には麦わら帽子を乗せていた。アロハシャツの上半分が溢れ出る汗のせいで変色している。
ゴミ捨て場の前を横切るときに、視線をチラッとそちらに向けた。やはりそこには何もなかった。
「仕事熱心でありがたいねえ」
スギヤマは独り言を言った。近くに居たモグラだけがそれを聞いていた。モグラはすぐに穴の中に戻っていった。すると、穴は超自然の力でふさがった。スギヤマはそれを見ていなかった。
「それにしてもあっちいなあ。こんな日に外に出るなんて正気の沙汰じゃねえ」と、スギヤマは言って歩みを再開した。
遠慮ない湿気と暑さで、スギヤマのアロハシャツが全て汗色に変色し始めた頃、かなり大きな森林公園にたどりついた。普段なら、虫捕りにきた子供やその親、散歩か徘徊をしている老人、犬、猫、鳥、それらの声が聞こえてくるはずだが、今日に限っては何も聞こえてこなかった。セミすら鳴いていなかった。
スギヤマは少し逡巡したが、結局日陰を求めて公園の中に入っていった。
生ぬるい風によって揺れる葉の下を進み園内の奥へ進む。遊具エリアにも、池の周りにも、野外野球場にも誰もいなかった。
「平日だからか? それともこの暑さでやられちまったか? さもありなん」スギヤマの歩く速度が若干早くなった。
第二遊具エリアにも、八面あるテニスコートにも、射撃場にも誰もいなかった。
「これはいよいよ何かあったのか? くそっ、気味がワリイや。嫌な感じがするぜ。こんな場所は早く出ちまおう」
「そこの貴方、何を一人でブツブツと言っているのですか?」
駐車場へと続く並木道を進み、後少しで公園の端につくといったところで、スギヤマ後ろから声を掛けられた。スギヤマは驚いて振り返った。
◆
丸いサングラスを鼻の上にのせた背の高い男がニヤニヤ笑ってスギヤマを見ていた。この暑さだというのに黒いコートを着ていて、汗ひとつ流していない。スギヤマは、警戒をしつつも、若干安堵の表情を浮かべた。
「あ? ああ、いやなに、公園だってのに誰にもあわないんで不思議に思ってただけだ。あんた、なんか知らねえか?」と、スギヤマは言った。
「いやぁ、私にはわかりかねますねぇ。おおかた、この暑さですし、皆室内にこもっているのではないでしょうか?」
「そうだよな……あんたはその格好で暑くないのか? 見てるこっちのほうが暑いんだが」
「私は暑さに強いのでお気になさらず」男は歯を見せて笑った。
「ふぅん。ま、熱中症にならないように気をつけようや。じゃあな」
そういってスギヤマは立ち去ろうとした。しかし、その前に男がすばやく回り込んだ。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください。いや、すいません。実はあなたにお見せしたいものがございまして」
「見せたいもの? それは?」
「ここではあまり詳しく言えないのですが、とても珍しいものとだけ。後悔はさせません。皆、満足していかれますよ。もちろん、お代はいただきません。タダ。ロハスでございます」
「ふむ。おれは無料に弱いんだ。せっかくだし見てみようではないか」
「ありがとうございます。それでは早速行きましょう。ささ、こちらです。ついてきてください」
男はそう言って、早足で公園の出口とは反対の方へ歩いていった。スギヤマはおとなしく後をついていった。いつの間にか、太陽の周りを色の黒い雲が囲み始めていた。
男とスギヤマは二人で公園内を歩いた。第二遊具エリアを通り、八面あるテニスコートを通り、サッカーコートを通り、小川を渡り、立入禁止の森の中を突き進んだ。
「おい、一体どこに行くんだよ」と、スギヤマが言った。
「もう少しで着きますので。何しろ、とても珍しいものなので、奥深くで営業させていただいています」
男は振り向かずにそういった。草木の中を息一つ切らさずにひょいひょい進んでいく。
「営業? ということは店か。……言っとくけどヤクとかやべぇやつなら簡便だぞ」
「ええ、その点は問題ありません。違法なものなど無く、ただただ珍しいだけでございます。更にいってしまいますと、何かを販売している店ではなく……美術館でございます」
「美術館……ねえ」スギヤマがぼそっと言った。右手が写真をもとめてさまよった。
「ん? どうかなさいましたか? タバコならどうぞ」と、男は言って懐からタバコの箱を取り出し、スギヤマに向けて差し出した。
「いや……必要ない」
「そうですか」男はタバコをしまった。
二人は、急な斜面を登り、底の見えない崖を飛び越え、朽ちかけの木製の橋を渡り、暗い洞窟の中を進んだ。洞窟をでた二人の前に、開けた広場が現れた。広場の中央には、黒い厳かな装飾をちりばめた大きな建物が鎮座していた。二人は建物の前に立って
「お疲れ様でした。到着でございます。あちらに見えるのが、私の美術館です。どうですか」と、男が振り返り、大仰な仕草をしながら言った。
「へぇ、立派なもんだな。で、見せたかってのはこれか?」
「まさか! さ、ささ、どうぞ、中は冷房がついていますので快適でございますよ」
男はいそいそと両開きの大きなドアを開けて中に入っていった。スギヤマはおとなしく着いて入っていった。
◆
美術館の中は、男が言ったように冷房によって程よい温度を保っていたた。血のように真っ赤なカーペットが入り口から反対の壁側に続いている。そして、壁には上と下へ向かう大きな階段があった。天井には赤いガラス製の大きなシャンデレラがぶら下がっている。シャンデレラの光は、月の光のように儚く頼りない。男とスギヤマのほかに人は居なかった。スギヤマは気がついていないが、天井には数え切れないほどのコウモリがぶら下がっていた。
「あぁー。すずっしいなあおい! いやー生き返るってもんだなあ! あと少しで体中の水分がなくなっちまうところだったぜ! ほら」そういってスギヤマは干からびかけてシワシワになっていた左手を振ってみせた。「ところでさ、なんか飲み物とかねえかな?」
「ああ、これはこれは、気が利かなくて申し訳ないです。ただいまお持ちいたします」と、男はいって入り口の右脇のカウンターの裏に回った。そして、手に二つのグラスを持って出てきた。グラスの中には真っ赤な液体が入っていた。男は片方のグラスをスギヤマにさしだした。
「どうぞ、冷えたトマトジュースです。塩分も補給できていいですよ」
「おお……どうも」
スギヤマはグラスを受け取った。グラスを揺らすと、中の液体がゆったりと動いた。
「なんかすげえドロッっとしてて……まるで血みたいだな」
「新鮮なトマトジュースですから」男はニッコリと笑い、自分の分のトマトジュースをグビリと飲んだ。そして、心から美味しいものを飲んだという表情を出した「うん、やはり美味しい。あなたもぜひ新鮮なうちに飲んでください」
スギヤマは男の目を十秒ほど見て、グラスを口元にもっていった。
「……トマトジュース」
「ですから、そう申し上げたではありませんか」
「いやあ、トマトジュースなんてもう何年も飲んでなかったもんだから……」スギヤマは言い訳じみた言葉を吐いた。そして、ごまかすようにゴクゴクと喉を鳴らして飲んだ。スギヤマの肌にうるおいが戻った。二人はしばしの休息をとった。
「さて、それではそろそろ本題に入らせてもらってもよろしいですかな?」男は、空になったコップ二つをカウンターの上においてから言った。
「ん、ああ。なんか珍しいものを見せてくれるんだっけ?」
「ええ、そうです。ところで、海のものと山のもの、どちらが好みですか?」
「海のほうが好きだが。それがどうした?」
「なるほど、海ですか。いえ、お好きな方から見ていただこうと思いましてね。そしたらですね、突き当りの壁、右側の階段を下りてください。海のものの展示場はその先にあります。」
「え? あんたは一緒に行かないのか?」スギヤマが言った。
「お客様に最大限に楽しんでもらうために、私はやらなければならないことがありますので」
「ふぅん……ま、そういうことなら」
スギヤマは、一人で赤いカーペットの上を進んでいった。階段の手前で振り返ると、男の姿はなかった。しかし、天井付近に備え付けられていたスピーカーから男の声が聞こえてきた。
『右側の階段ですからね、お間違えのないように。私の方からは見えているので大丈夫だとは思いますが、もし何かあればすぐに呼んでください』
「はいよ」スギヤマは右側の階段を下りていった。
◆
スギヤマは長い階段をひたすら下っていた。666段数えたところでようやく階段が終わった。そこは照明の光が届かない、とても暗い場所だった。展示物をかすかに照らす明かりが人魂のようだ。
「なんにも見えねえな」
スギヤマがそうつぶやいた瞬間、天井のスポットライトがパッとつき、左手の壁が明るくなった。壁の前には、腰の高さほどのブロンズ色の台が置かれていた。そして、どこからか男の声が聞こえてきた。
『あーあー……ゴホン。ご来場の紳士淑女の皆様、本日はこの美術館にご来場いただきまして、ありがとうございます。わたくし、オーナーのピエールが案内人を務めさせていただきます。それでは、早速左手をご覧ください』
スギヤマは言われたとおり、明かりに照らされたところへ向かった。台の上、ガラスでできた箱の中に展示されていたのは、手のひら四つ分より大きな巻き貝だった。たった今、海から上げられたぐらい新鮮に見えた。しかし全く動く様子がなかった。
『そちらに見えますは、世にも珍しいアンモナイトの死体であります』
「アンモナイト? アンモナイトってあれだろ、恐竜が生きてた時代の生きものだろ?」
『そのとおりでございます。ただし、これはそこんじょそこらの博物館で飾られている化石とは違いますよ。なにしろ、新鮮な死体ですから』
スギヤマはガラスを軽く叩いた。台が揺れてアンモナイトのひげのような足が揺れた。
「へぇ。確かに化石じゃなさそうだな。ま、珍しいんだろうけどさ……」
『ああ、スケールが小さい、と。大丈夫です、これはほんの序の口でございますよ。ふふふ』
次は反対側の壁に二つめのライトが当たった。アンモナイトより大きな何かが飾られていた。ソレは、先端に二つに別れた口があり、その後ろで目が飛び出している。身体は、羽毛のもがれた鳥の羽根のようなものがびっしりついていて、尻には鋭い尻尾が生えていた。
「うわ、なんだこれ……エビか?」
『そちらはアノマロカリスの死体でございます』
「アノマロ……あー、聞いたことあるわ。へー……これがアノマ……ノ? ……なのか、へー」スギヤマが感心したように言った。
『そうです、これがアノマロカリスでごさいます。もちろん本物ですよ。心ではいますけどね』
スギヤマはアノマロカリスの死体をじっくりと眺めた。確かにそれは、化石ではなかった。そして、生きてもいなかった。
「さながら死体博物館といったところか。それにしてもこれ、本当に化石じゃないんだな。どこかでとってきたのか?」
『ふふふ、申し訳ませんが企業秘密でございますので……。それよりも展示物をお楽しみください。ここでしか見られないものばかりですから』
その後、次々とライトに照らされた展示物が現れた。三葉虫、イクチオサウルス、プレシオザウルス……。十数個の展示品を見て回った。
「なかなかどうして、正直なところ美術館と聞いてあまり期待はしていなかったが……たまにはこういうのもいいな。……ただ、慣れちまうと、全体的に地味に見えちまうところが残念だな』
『なるほどなるほど、たしかにおっしゃるとおりかもしれません。それでは次の展示会場に行きましょう』
天井のライトが一斉につき、部屋全体が明るくなった。先程下ってきた階段の隣でエレベーターが動き出す音がした。スギヤマは眼を丸くしてエレベーターを見た。スギヤマがエレベーターの前に立つと、タイミングよくエレベーターの扉が開いた。中は変哲のない普通のエレベーターに見えた。
『それでは、そちらのエレベーターにお乗りください』
「エレベーターあったのかよ……まあいいわ。次は山ってやつか?」
『いえ、山はやめにします。そのかわり、当美術館で一番刺激的なものを飾っている場所へお連れいたします。ふふふ、とにかくお乗りください』
「刺激的……ね」
スギヤマは深呼吸をしてからエレベーターに乗り込んだ。扉は自動的に閉じた。スギヤマはエレベーターがゆっくり上昇してくのを感じた。
エレベーターに乗ってから一分ほどたった時、スギヤマはシャツをめくり、ズボンとパンツのあいだに挟んで隠し持っていた白いオートマチック拳銃を取り出した。マガジンを外し中を確認した。
「あっ、朝使ったあと、弾を補充するの忘れてたな。……ま、なんとかなるか」
スギヤマはマガジンを戻して、拳銃を同じ場所に隠した。
チーン
ベルの音がして、エレベーターの扉が開いた。その部屋は先程とは違いはじめから明かりがついていた。そして、部屋全体で様々な種類の騒がしい音が鳴っていた。
◆
エレベータの前では、ピエールが直立不動で待っていた。
「ようこそ、生の間へ」エレベーターから一歩出たスギヤマに対して、ピエールはそう言ってから直角90度のお辞儀をした。
「ああ、どうも……この部屋は騒がしいな。他にも客がいるのか?」
「いえ。ま、見てもらえば理解していただけると思います。では、こちらへ」
ピエールはそう言って、エレベーター向かいの壁の前に向かった。その壁には、背の高さまでほどの短いカーテンが垂れていた。カーテンの向こうから一際大きく、バサバサとなにかが羽ばたく音が聞こえた。
「なるほど、展示物から鳴ってるのか。生きてるシーラカンスとかか?」スギヤマが言った。
ピエールは、カーテンの脇に垂れている紐を手に取り、スギヤマの方を振り返った。顔には笑顔が貼り付けれられていた。しかし、先程までの笑顔でとは違い、邪悪な何かがそこにはたしかにあった。スギヤマはピエールの顔を見て、眉をひそめた。
ピエールは、フフフと笑ってから、一気に紐を引いた。カーテンが上がり、向こうにあったものがあらわになった。
ガラスの窓の向こうに、三匹の黒い羽を羽ばたかせているカラスがいた。しかし、そのカラスには首から上が存在していなかった。顔のないカラスは、狂ったように飛び回っていた。
「うひひ、どうですかスギヤマ様、これが生の間の作品でございます。これは、ここにしかない超レア物。カラスのグールでございます! グール見たことありますか? ないでしょう!? ヒヒヒヒヒ」
ピエールは狂ったように笑いながらスギヤマの様子をうかがった。スギヤマは右手を背中側に回して黙ってカラスを見ていた。しばらくして、視線をカラスからピエールに移してから言った。
「……確かに、はじめて見たぜ。これ……生きているのか?」スギヤマの眉がよる。
「ぐふふ、スギヤマ様は面白いことをおっしゃいますね。グールなのだから、生きているわけがございません。死体です、これは死体ですよ! ただし動きますけれども。アヒヒ!」
「…………」
「……? なんだか反応が薄いように見えますが……もしかして、まだインパクトが薄いでしょうかね? まぁ、初戦は鳥ですからね。次へ行きましょう」
ピエールは有無を言わさず次の展示物へうつった。スギヤマは無言で後ろをついていった。
先ほどと同じようなカーテンの前でピエールは立ち止まると、サクッとカーテンを開いた。今度は、灰色の犬がガラスの向こうで唸っていた。片方の目は腐り落ちており、反対の目には切り傷がついていた。
「これもグールなのか?」
「ええ、死んでいるのに動く、まさにグールでございますよ。モンスター映画ファンにはたまらない一品ですね。ヒヒ。スギヤマ様はお好きですか? モンスター映画」
「いや、そこまで好きじゃない」
「それは残念でございます」ピエールはさも残念そうに首を振った。
「ところでさ、このゾンビ? どうやって作ったの? 特殊メイク?」
「申し訳ございませんが、企業秘密でございましてお答えするわけにはいきません。ただ、特殊メイクなどではなく、正真正銘のグールでございますよ。フヒヒ」
「そうか、すごいな」スギヤマはピエールをまっすぐ見て言った。「そういえばさ……さっきからおれの名を呼んでいるけど……。なぜ知ってるんだ?」
「……スギヤマ様がご自身で名乗ってらしたよ。うひ」ピエールは笑みを崩さずにそう言った。
グール犬が地獄のそこから響いてくるような唸り声を上げながらガラスを引っ掻いた。スギヤマはそちらをちらりと見た。すぐにピエールに視線を戻した。右手は背中に回したままだ。
「ふぅむ……スギヤマ様はあまりグールがお好きではないようですね。仕方ありません、順番に楽しんでいってもらおうと思っていたのですが。少し早いですが最高傑作を見てもらいましょう。それならきっと……いや、確実に気に入ってもらえると思います。いかがですか?」
「おれに拒否権はあるのか?」
「いいえ、残念ながら。さ、こちらへどうぞ」
2人は、途中のカーテンを全て無視して、部屋の奥まで進んだ。最奥の壁には、一際大きなカーテンが掛かっていた。ピエールはカーテン脇の一際長い綱を手に、スギヤマはカーテンから5歩下がったところに立った。カーテンの向こうからはかすれた唸り声が聞こえてきた。
「さ、心の準備はよろしいですか?」
ピエールはそう言って、スギヤマの返事を待たずに紐を引いた。ゆっくりカーテンが上がった。
厚いガラスの向こうには、人間の女のグールが手足を十字架に縛られた状態で飾られていた。ソレは縛られた手足を動かして拘束から逃れようともがいていた。ソレは衣服を一切まとっていなかった。肌は血の気がなく、陶器のように白く透き通っていた。ソレの目は、赤ワインのように染まっていた。我を失って怒る狂った鬼のような形相で叫び声を上げ続けている。ソレの首筋についている、二つの丸い傷跡がスギヤマの目についた。
スギヤマはよたよたと近づいていって、ガラスに両手を当てた。ソレは手に反応して更に激しくもがいた。ガラスに当てられた両手は、力を入れすぎて白くなった。
「……サチコ」スギヤマの目から血の涙がこぼれた。
「イッヒッヒ! どうですか? こちらが当美術館の最高傑作です。スギヤマ様ならきっと気にいると思いましたよ! ヒヒヒ。あなた様のだけために、心をこめて、丁寧に丁寧に制作したのですよ! スギヤマ様、どうですか!? うひゅひゅひゅ!」
ピエールは心の底から愉快そうに笑った。スギヤマはピエールを無視した。サチコだったものから目を話さなかった。
「気分はどうですか? 愛しの人に再開できたんですよ!? あ、いえいえ、おっしゃらずとも分かりますよ。ええ、分かりますとも! グヒヒ、確かに姿は少し変わってしまったかもしれませんが、愛は不変ですからねえ! あっはっは! いやぁ、素晴らしいものですなあ!」
「…………」
「感謝の言葉はいりませんよ! 善意でやったことですから! それと、これだけじゃありませんよ! ええ、サプライズは他にもありますから!」
ピエールは、スギヤマの後方に音もなく回った。ピエールとスギヤマの距離は、三メートルほどしかあいていない。スギヤマはまだガラスに手を付けてグールを見ている。
「サプライズとはですねぇ、あなたも同じようにして上げることです! はっはぁ! グールのカップルの完成ぃぃぃぃ!」
ピエールは牙をむき出しにして、ものすごい速さでスギヤマに飛びついた!
KRUSH!
黒いマントをはためかせ、さながら黒い弾丸になったピエールの牙が、スギヤマの首に食い込もうとしたその瞬間! スギヤマは深く身体を沈め、死の噛みつきを回避した! さらに身体を勢いよく反転させて、いつの間にか左手に持っていたナイフをピエールの首元に突き立てた!
「グッ!?」
ピエールはすばやく五メートルほど飛び退いた。驚きと怒りが入り混じった形相でスギヤマを睨んだ。いつの間にかスギヤマは右手に白い拳銃を握っていた。彼の目からはもう血の涙はこぼれていなかった。代わりに静かな怒りをたたえていた。
「貴様っ! よくも私に傷をつけたな! ただの人間風情がっ! クソッ……」ピエールは吠えると、胸に刺さったナイフをつかみ、無造作に抜いて投げ捨てた。傷口から青い血が吹き出したが、すぐに出血が止まった。「しかし、こんなもの、私には、一切通用しないっ!」
スギヤマは無言でそれを眺めていた。
「人間! ただじゃ済まさんぞ! おとなしく受け入れれば、その女と同じグールにして仲良く飾ってやったものを!」ピエールはスギヤマを指さしながら叫んだ。彼の目はグールと同じように朱に染まり、髪が逆立っていた。
「そうだな、まずは全身の骨を折り、次に全ての指を第一関節から切り取ってやる! 指は貴様の眼の前でグールに食わせる。次に腕と足をとる。最後に目を潰す。だが、殺しはしない。殺してくださいと懇願してももう遅い!」
ピエールがつばを飛ばしてまくしたてた。が、スギヤマは何も言わずに、拳銃をピエールに向けるだけだった。
「はっ! そんなオモチャで私が殺せると思っているのか!? よかろう、試してみるがいい!」ピエールは大きく手を広げて挑発した。
BANG!
スギヤマの拳銃から発射された銃弾が、まっすぐチャーリーの胸に吸い込まれた! 船から再び青い血が飛び散った。
「ふっ、どうした? これでおしまいか?」ピエールは余裕の表情で言った。
BANG! BANG! BANG!
更に銃弾が放たれた。ピエールの腹、左腕、右足から血が吹き出す。
「ぐぐぐっ……銃の腕前は確かなようだ。しかし、それだけだな」ピエールが血まみれのままニヤリと笑った。鋭い犬歯がライトを反射させて光った。
「……そうか? 体をよく見てみろよ」スギヤマが銃をおろして、静かに口を開いた。
「?」
ピエールは訝しがりながら自分の体を見渡した。胸と腹と左手と右足から青い血が流れている。他にこれといった外傷はなかった。
「何が言いたい? 時間稼ぎなら……」
「鈍いな。吸血鬼になると、危険に対して鈍くなっちまうのか?」スギヤマがピエールの言葉を遮って言った。
チャーリーはサイド自分の体を見た。胸と腹と左手と右足から青い血が流れ続けていた。ピエールは数秒眺めていた。そして、勢いよく顔を上げスギヤマを見た。
「やっと気がついた間抜けめ」スギヤマが口の端を上げて言った。
「き……貴様っ! 一体何をした!」
と、チャーリーは言ってから、膝から床に倒れ込んだ。顔だけを動かし、スギヤマを睨みつけた。スギヤマは、城と緑色で彩られたタバコのパッケージを取り出し、一本を口に咥えた。火はつけなかった。
「なに、大したことはしてないさ。聖なるかごってやつがかけられた拳銃で吸血鬼を撃っただけだ」
「!? 貴様は、ただの人間のはずだろう!」
「そうさ。ただの人間だ。愛する女をバケモノにむざむざ殺された哀れな男さ。ただ、そうだな……しいて違うところを言うなら、今は吸血鬼ハンターをしているってことだな」
スギヤマはピエールに近づき、見下ろした。ピエールの周りには、青い違い家のように広がっている。
「私のことを知っていたのか!?」ピエールが言った。
「そりゃそうさ。じゃなけりゃ、のこのこ怪しい男についていくかよ。お前がサチコを殺したことも、次の標的としておれを狙っていたことも知ってたさ」
スギヤマは苦笑した。
「クソッ! クソッ! クソッ! 呪われろ! 呪われろ! クソッ!」
BANG!
ピエールの頭が爆ぜ、青い血が火花のように飛び散った。スギヤマは、スギヤマは、自分のズボンに着いた青い血を見て顔をしかめた。
生の間がさらに騒がしくなった。スギヤマは知っていた。主の吸血鬼を失ったグールは、日をまたぐ前に死ぬと。
スギヤマはサチコだったものの前に戻った。ガラス越しに拳銃を向けた。そして、引き金を引いた。
カチン!
乾いた金属音が鳴った。しかし、銃弾は発射されなかった。スギヤマが拳銃を確認すると、マガジンは空になっていた。彼はグールを見た。それには、もうサチコの面影が残されていなかった。スギヤマの目から透明な涙が流れた。
「サチコ……すまん」
スギヤマは振り返り、出口を目指して進んだ。くわえていたタバコに火をつけた。そのタバコから、澱んだ空気を浄化する聖なる煙がたちのぼった。かすかなミントの香りを彼は感じた。彼はタバコを一口吸った。そして、壮大にむせた。
「やっぱり、タバコは苦手だ」スギヤマは、まだ長いタバコをピエールの死体の上に捨てた。
聖なる炎が、ピエールの邪悪な血に引火して、大きな青い炎を上げた。
スギヤマはもう振り返ることはなかった。だんだんと、吸血鬼が燃える音と、グールが暴れる音が小さくなっていった。
完
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