20年ぶりにラブコメを読んでみた

コロナ自粛で暇を持て余し、これまで縁遠かった恋愛漫画を見てみることにした。
漫画自体は相当好きなのだが、恋愛漫画というジャンルはこれまで避けてきた。

そのきっかけは、子供の頃ジャンプで連載されていた「I's アイズ」という漫画との出会いにある。

アイズという作品は少年誌にしては珍しくリアリティのある恋愛漫画で、エッチ要素もあったりする作品だ。当時はアイズを読んでいるところを見られると、次の日スケベいじりされることは確定だ。

今なら言えるが、この作品の「エロ」要素は読者サービスではなく、少年誌でありながら青少年の性に対するリアルな感覚を隠さず描写するという挑戦だと勝手に思っている。作者の桂先生がお尻を描くのが好きなだけかもしれないが。

中学生になり淡いながらも恋愛感情を知る。そこでようやく作品の真価に気づきだし始める。

その頃には堂々と「アイズって漫画として凄く面白いよ」と説く大賢者も現れだした。

では、なぜアイズとの出会いにより恋愛漫画を読まなくなったのか。それは最終話を見終わった瞬間、感じたことない喪失感に襲われたからである。

喪失感の正体は何なのか。

エッチなシーンが見られなくなるからではない。

ただ単純にアイズが終わってしまうと「伊織ちゃんに会えなくなる」という気持ちの悪い喪失感であった。

伊織ちゃんというのは本作ヒロインで当時の男子の理想を投写したような女の子である。

私は作品が終わったことで伊織ちゃんロスになったのだ。

おそらく同じ世代の男子は共感してくれる人も多いはずだ。
なぜ、私を含め多くの青少年が、紙に写し出されたインクでしかない漫画のキャラクターにこうも心を奪われたのか?

桂先生が創り出す、登場人物・作画・世界観が素晴らしいことはもちろんなのだが、作品全体を通して大きな仕掛けがあったと考えている。

それは、登場人物の心理描写の描き方に原則を作っているところだ。

作中、主人公の心理描写は細かく書き出されるのだが、ヒロインである伊織の心理描写、いわゆる「心の声」は一切出てこない。完全主人公主観の一人称作品ということになる。

なので、全編を通して伊織が主人公のことをどう思っているのか、どう思っていたのか、真相はほとんど明かされない。

読者自身も主人公と同じようにヒロインの言動・行動・表情から気持ちを読み解いていく。

ヒロインはどうゆう感情なのか自分ならどう行動するか妄想しながら読み進めていく。

その行為が主人公への感情移入や作品への没頭感、最終的にはヒロインへの疑似恋愛まで発展した要因だと考える。

当たり前だが、現実世界でも自分という存在以外が何を考えているのかなんて分かることはない。 どんなに時を重ねようと、愛し合っても、血が繋がっていようと同じだ。相手の口から出た本音でさえ本心と証明することはできない。自分が考えていることだって深層心理を辿れば本質とかけ離れていることだってある。

この事実と向き合わなければいけないことに気付くヒントをこの漫画は教えてくれた。

しかし、アイズ以降また恋愛漫画を読もうという気にならなかった。ヒロインレスも嫌だし、何より読むのにカロリーがいる。実体験より先に漫画から影響されたことが、自分の感性として形成されていくのも人として情緖がない気もした。

じゃあ、何故また恋愛漫画を読むことにしたのか。

冒頭コロナ自粛のせいにはしてみたが、要するに相手もおらずステイホームで寂しいから創作恋愛の世界に逃避すると決め込んだからである。

前段がものすごく長くなったが、ここから最近読んだ流行っている恋愛漫画についてざっくりと感想を述べる。

恋愛がメインテーマの漫画をちゃんと読むのは20年ぶりくらいだが、今回読んだ作品に関しては恋愛漫画というより「ラブコメ」と表した方がしっくりくる。

▼読んだ漫画は以下の通り
からかい上手の高木さん
古見さんはコミュ障です
僕の心のヤバいやつ
モブ子の恋
お近づきになりたい宮膳さん                                       姫乃ちゃんに恋は早い                                                       かぐや様は告らせたい                                                 スキップとローファー                                                 久保さんは僕を許さない                                              目黒さんは初めてじゃない

まずタイトルを見た段階で思ったのは、              「なんか読まなくても内容が分かる気がする」        実際読んでみても思った通りの展開が多かったが、だから悪いということではない。これだけエンタメが溢れている中でまず読んでもらうには、タイトルのフックは必要だ。特に恋愛漫画は、読み手によってテーマの好き嫌いが分かれがちなので、ある程度タイトルで判別してもらった方がいいといのもあるだろう。

読み終えて感じたことは、
「めちゃ早い段階でヒロインが分かりやすくこっち向いてるやん!」

「告白さえしたら速攻で最終回にできるやん!プロ野球編にでも続くつもりか!」

「起承転結じゃなくて、起承承承承少し転やん!」

という作品が多かった。

そして思った。

日本のラブコメは空前の「両方片想い」ブームだと。

両方片思いとは、簡単にいうと第三者から見ると明らかに両想いなのに、主人公・ヒロイン共に片想いだと思い込んで足踏みしてる状態のこと。

作者は読者が望む事をキャラクターにさせたり、させなかったりの押し引きを駆使し「ドギマギ状態」を提供している。極めて作為的に。

最終的に誰も傷つかないことが約束されてそうな世界観というところも共通している。

のんびりした作風も多く、ここ10年で定着した日常系漫画の延長線上にあるということなのだろう。

ちなみに5作品中5作品ともスマホの連絡先を聞くためだけに二人が右往左往する回がある。     

また、読んだ作品に関しては前述のような心理描写も趣向が凝らされている。読者が全登場人物の考えてる事を分かるからこそ楽しめる作品や、同じシーンを相互の目線でそれぞれ描写していく答え合わせ的な展開手法の作品や、心理描写は一切ないがめちゃくちゃ分かりやすいヒロインと鈍感な主人公の作品など様々だ。

最後に批評的なことを書く。 

最近のラブコメはSNSへの投稿が源流の作品も増えており1話完結型も多い。

そのためストーリー性を持たせづらく、
読者に対しても「キュン」や、流行りの「尊い」みたいな感覚的な部分を刺激するような演出に力点が置かれている。

その為、キャラクターと舞台設定の組み合わせが作品の根幹になり、ストーリーラインはテンプレートになりがちだ。

「今日はバレンタイン。この漫画の二人ならどんなことが起きる?」的な、大喜利状態になっている。

落語で例えるならば噺は一緒だが、演者が変わるとまるで別の作品になる的な感じである。 (落語は聞いたことない)

ほとんどの作品は学校生活が舞台だからイベントが同じになるのは仕方ないのだが…

違和感として感じた読者を気持ちよくさせることに固執している点は、ネットを含め漫画業界を取り巻く環境のことを考えれば納得もいく。

仮に恋愛の上澄みだけをすくったような漫画があっても人を喜ばせるという点において素晴らしいエンターテインメントだと思う。

ただし、恋愛経験の少ない大人がマジョリティ化している昨今、思考停止状態で楽しめるモノやコトが増え続けていることへの問題提起は必要だとも考える。

両方片想い系ラブコメが流行るのも、絶対安全な位置でしか恋愛は出来ません系男子の願望がニーズとして投影された結果なのだろう。

恋愛感覚の低下、悪い意味での現実逃避に結びつかないことを願いたい。

(危惧されているダサい大人像は私そのものです)

ちなみに読んだ作品の中では僕の心のヤバいやつにめちゃくちゃハマり、特装版が欲しくなったので久しぶりに文庫の漫画を買っちゃった。

それから、仲の良い物知り後輩に良さげなラブコメをリサーチしたので今度読もうと思います。

だれも見てる人いないと思うけど、面白い漫画とかあれば教えてほしいです。

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