湯気がのぼる。

今日は広島出張に行ってきました。

山梨育ちで令和の武田信玄として信玄公ができなかった全国統一を目論む私ですが、
祖父の生まれは実は広島で広島には中学生の時に1回と昔出張で1回行ったことがあるので今回で3回目です。

広島生まれの祖父は戦争が終わると東京に移住してそのまま東京に住み続けたそうです。

私は小学生の時、いつも帽子を被って冬でも短パン履いているような少年でした。

祖父が広島生まれということもあり、小さい頃は広島カープの赤い帽子をいつも被らされていましたが、自我が芽生え出すと、大好きだった西武ライオンズの青い帽子を被り始めました。

将来はデストラーデになりたいと思っていました。

祖父の家に行くと、いつも祖父はお手製のラーメンを作って私たち孫を出迎えてくれていました。

私たちが来ると知ると朝からスープを仕込んでいたそうです。

自我が芽生え青い帽子を被って初めて祖父の家に行った日も変わらずラーメンが出てきました。

どんぶりの湯気の向こうから祖父の顔が見え隠れします。

無口な祖父でしたが、その日はなんだかよく喋っていたように思います。

そしてめったに怒らない祖父が、「お前は箸の持ち方がおかしい」と怒り出し、驚いたのと恥ずかしさで泣いてしまい、泣き止んだ頃には祖父が作ったラーメンは冷めていました。

しばらくして、祖父が病気になったとききました。

青い帽子を脱いで、まだ箸の持ち方は下手くそでしたが、学生服を着てよくコンビニの前でカップラーメンを食べるようになっていた私は、思春期の複雑な不完全な感情もありたいしてお見舞いにもいきませんでした。

家族への複雑な思いと老人を見舞うという、生に溢れた世界から死の淵を覗き込むような世界を見ることが怖かったからです。

そしてしばらくして祖父は亡くなりました。

それから少したち、私は箸をちゃんと持てるようになり、学生服を脱いで大人になり、今だに祖父のラーメンの味を求めてラーメン屋さんを巡っています。

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