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朝を知る

今月、はじめてバイト先のスーパーで朝のシフトに入った。

結論から言うとなんでもっと早く始めなかったんだろうと思う。

昼にバイトが終わってまだ1日が半分しか終わっていないなんて最高すぎるのに。


きっかけは、友達が学科の先生に進路相談に乗ってもらうと言うので着いて行ったことだった。就職活動を含めて大学の課題が期限内に出せなかったり授業になぜかいつも遅れてしまって自己管理が全くできないことに悩む友達に先生は、「バイトはどうなの?」と尋ねた。

「バイトは遅刻したことないです。」

「やっぱりね〜。なぜかそうなんだよね。」

バイトは社会人の仕事と近い感覚であり、その一員として働く上で遅刻は絶対に許されないし、一緒に働くバイト仲間や自分の後のシフトの人に多大な迷惑をかけると思うと、バイトには遅れることはできないと友達は言っていた。

私もその話にはひどく共感した。大学の授業は間に合うギリギリ、もしくは遅刻してもいいかと自分を甘やかして朝はゆっくり起きるしのんびり準備をする。それに対してバイトの日は余裕を持って朝は早めに起きるし充分に間に合う時間に家を出る。

じゃあ大学の授業に遅れることは、誰にも迷惑をかけていないのか、そう改めて考えると全くもってそんなことはない。

遅れてくる人が来る度に今日やることを説明してくれる先生、大学に通わせてもらい、その授業を受けさせてくれている親に顔向けできない。そして何よりも自分の学べる機会を奪っていること、これこそ最大の罪である。

私は、友達と先生のこの話を聞くまで、自分で自分の自己管理はできていると思っていた。必修科目の単位を落としたことはないし、レポート課題の提出を怠ったこともない。授業に遅刻することもなければ、体調も崩さないので休むこともない。もちろんバイトも同様である。

だから自己管理できていると思っていた。

でもそれは、ただ日々をこなすこと「は」上手いだけであった。

バイトの日、13時からのシフトの時は充分間に合うように10時に起きて準備しいていた。18時半にバイトから帰ってくるとお風呂に入ってご飯を食べてあとはゲームをして寝るだけの生活で、(ゲームしてる時間はともかく)午前中を無駄にしていることに気づいたのだ。

「バイトなら遅刻しない」

これを信じて朝にシフトを入れてみた。8時半前にはバイト先に着かなければいけない。

いつも昼前に起きる私が早朝に目覚めることができるのだろうか。

結果、全然起きれた。前の日に少し気をつけていつもより少し早めに頑張って寝たりはしたけど、やはりバイトには遅刻できないと思っているのかちゃんと起きることができたのだ。朝、陽が上るのと同じくらいに起きて寒さに凍えながら出勤する。空がじんわりと青く明るくなってきたころ、店が開店し、それとともにお客様が流れ込む。

忙しなく商品を次々と会計済みのカゴへと移動させていればとっくに昼になっていて勤務終了。13時にバイト先を後にして家へ帰る。なんとも気持ちの良いバイト終わりだった。

もう終わったんだ〜もう今日は働かなくていいんだ〜お昼から何しよう!

今日がまだ半分残っていると思うとバイトの疲れなんて吹き飛んだ。

いつもならバイトが終わったら帰って寝るだけだったのが、課題をやる時間があって、研究する時間があって、資格の勉強まで始められた。

昼間、存分に自分を高めることができれば夜はご褒美のゲーム。何の罪悪感もなく楽しめる。ゲームをすることが許されて当たり前スケジュールなのだから。気になっていた映画もようやく見ることができた。

朝活、朝活と一部でうるさく言われているのがどうも宗教じみていて気持ちが悪かったけど、朝活は人間の為す必然的な営みであることを身をもって実感したのだ。

それに朝早起きすると、夜眠くなる時間も早くなることを人生で初めて知った。これが健康的生活のサイクルか…。

これからは積極的に朝バイトに勤しむこととする。有意義な1日を自分のためにもっと増やしたい。

そんなことを思った11月。朝を知った大学生の日記。

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