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アンパンと夢があって、やっと人は生きていける

空腹を感じ、その辺の床に落ちていたアンパンを食べた。

しかしそれは、心までは満たしてくれなかった。


 ”何のために生まれたの?“
 ”何をして生きていくの?“


毎日毎日会社へ行き、疲労を連れて家に帰る。
休日は、連れ帰った疲労とベッドでじゃれあっているうちに、昼をまわる。

これがいつまで続くのだろう。

…わかってる。「終わり」までだ。


* * *

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目の前には大量のクスリ。
これを全部飲めば、「終わる」。
水を用意し、クスリを取り出し始める。


…ふと、クスリを開ける指が止まる。
なぜか悲しくてたまらなくなる。
今更ながらに頭に浮かぶ、親のこと、友人のこと。

そして、「僕」のこと。


今、僕は、「僕」自身の自由を奪おうとしていた。

本当は好きなものがあって、実はやりたいと思っていて、頑張ればできるかもしれなくて。
そんな自分の未来を、永久に消してしまおうとしていたのだと気づいた。

そして、「僕」を僕の手で終わらせたとして、「僕」だったものの傍らでたたずむ親たちの表情を、想像しかけ、



…吐き気がした。それ以上、何も考えるな、と言われているような気がした。


クスリを飲む勇気は、もう無かった。



* * *

そういえば、文理選択も、大学の分野も、会社も、
「僕」の将来を僕はすこしも考えず、親が僕のために必死になって考えてくれていた。

親の提案に甘んじてばかりだった僕は、自分の意思を持つことなく就職を決め、「特にやりたくないことを一生かけてやらなければならない」場所にたどり着いてしまった。


それを選んだのは、
他でもない、僕だ。


僕は本当はどうしたかったのだろう。
どうすれば、また朝日を浴びたいと、心から思えるのだろうか。

* * *

答えはすべて、家の外にあった。
いろんな人に出会った。その人たちは、自分の置かれた環境や肩書きを超えて、自分の想いに忠実に動いていた。

厳しい家庭環境にあっても、大学に行くために家を出て、生計を立てつつ学問を積んだ人。
内向的だったという自分の殻を破り、自身でイベントを企画するまでになった人。
ここは自分の居場所じゃないと思い、躊躇なくそこを飛び出した人。
好きなことをひたむきに追いかけ、まわりの環境をガラリと変えてしまった人。


…何が彼らを突き動かしているのだろう。

御膳立てされた「学歴」に飾られた、薄っぺらな「僕」の半生の中に、
体より心が先に動いてしまうような、そんな「何か」が落ちていないか、振り返った。



 ”何のために生まれたの?“
 “何をして生きていくの?”


* * *

僕には、空想癖がある。
子供の頃に見たアニメで出会ったキャラクターを、頭の中で動かして、勝手にストーリーめいたものを作って楽しんでいた。
自由帳は、自分が書いたオリジナルキャラクター(すべて棒人間)や世界を考え、空想、いや、妄想に浸っていた。

それを、外を歩いているときでもやるから、電柱にぶつかりそうになることもあるし、授業もまともに聞いていないことが多かった。

歳を取るにつれて、キャラクターも「ちゃんと」作れるようになってきて(相変わらず棒人間しか描けないが)、
彼らはそれぞれの世界で、何か大切な人やもののために闘ったり、好きなことを追い求めたりしたりしていた。

彼らがこの世に存在してくれたならば、どれだけ楽しいだろう。
彼らのいる世界に共感してくれる人間がいてくれるとしたら、どれだけ幸せだろうか。

そして、それを自分の手でやれるのだとしたら


そう思った時、「これかもしれない」と思った。
彼らをこの世に生み出すためになら、命を使える。確かにそう思えた。


これが「」なのだろうか。



 ”何のために生まれたの?“
 “何をして生きていくの?”



その答えが、見つかりかけたような気がした。


* * *

それからというもの、僕はどのようにして、彼らの物語を紡いでいこうか考えた。

文章を書いたこともない。物語を作ったこともない。絵も書けない。
意気込んだわりに、何も出来やしない。

先導者は誰もいない。
動画や教材には、色々なノウハウが載ってはいるけれど、
どれが僕に合っているやり方なのか、
誰も教えてはくれない。

暗闇の中にいる気がした。

自由って

恐ろしい。


* * *

「やれることしかやれない」

一見絶望的に聞こえるかもしれないこの言葉は、僕を暗闇から救ってくれた。

考えたら当たり前だ。いきなり何でもできる人間なんていない。



僕は文字通り、やれることからやることにした。
それは、「Twitter」だった。


僕は精神的にとても弱く、いろんな言葉がグサグサと心に刺さる。
精神的に疲れ果て、明日もまともに生きていられるのかと、不安な夜が続く。

そうした時に沸いた、行き場のない感情を、そのままTwitterに投稿し続けた。
想いを素直に吐き出したそのツイートは、周りから見たら完全なる「病みツイート」であった。

想いを吐き出すことで、気持ちが落ち着いたり、自分の悩みを(すこしだけ)冷静に見つめ直すことができた。



そんなものを見ても、だれも幸せにはならないし、勇気づけられることはないだろう。
しかし、自分の投稿に「いいね」をしてくれたり、アカウントをフォローしてくれる人が現れ始めた。

何かに共感してくれているのかもしれない。ただ面白がっているだけなのかもしれない。

それでも、限られた時間を使って、僕の言葉を読んでくれ、何かを感じ、「いいね」をくれた。



例えようのない感謝と喜びが沸いてきた。



いままでゼロに等しかった「生きる気力」を感じた。

もし、誰かの心をすこしでも救える物語を書くことができたなら、
僕は幸せになれるかもしれない
という、

思い上がった感情が、浮かんできた。



* * *

僕がまともに物語を紡げるようになるのは、当分先なのだろう。

物語を書く、つまり、登場する人物の人生すべてを描ききるなんてこと、
自分の人生すら持て余している「今の僕」にできるとは到底思えない。


それでも、「やれることしかやれない」。

今できるのは、こんな情念にまみれた記事を書くことくらいだけど、
それでも続けていくだけだ。



* * *

空腹を満たしてくれるアンパンを、自分で用意できる日本に生まれたのは幸せだった。

でも、空いた心も満たさないと、生きてはいけない


まずは自分の心を自分で救えるようになりたい。そして可能ならば、
今辛い場所にいる人の心を救えるようになりたい。



 ”何のために生まれたの?“
 “何をして生きていくの?”



偉大なる絵本作家が遺した、
軽快なマーチにのせて流れるこの重たい問いに、胸をはって答えられるように、

今日も夢を持って、生きる。

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