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平成最後の夏、僕は写真が撮れなくなった

こんばんは、クロカワ @ryuto_kurokawa です。
台風一過で猛烈に天気が良かった日になんだか暗めなタイトルですが、みなさまはいかがお過ごしでしょう。

noteに動画の勉強日記を書き始めたのが7月の終わり。
そして数記事でうっかり更新が止まりました。書くことなくなったんですよね。あとはやるだけというか、覚えることが細かすぎてまとまった日記をかけなくなったというか。

最近では動画のエフェクトとして手書きのアニメーションなんかもいじっていて。数分で書いた手書きのアニメーションが身の回りで評判良かったので、これはちゃんと時間かけて描き込めば面白いものができそうだとかなんとかかんとかもやもやしてます。

で、タイトルの話。

なんとなく写真が停滞してるなーとモヤモヤし始めていて。
もう1つ2つ、3つ4つ....と壁を超えないといけない気がしていて。
どうするかこうするか、もっとできるだろう自分、そんな感じに悶々としていたら平成最後の夏が終わりました。

既視感ってやつです。
スタジオでも外でも、人でも街でも、何を撮っても「どっかで見たことある」感じ。何を撮ってもつまらないし、シリーズ物をただ更新していくのも飽きられそう、というよりは自分が飽きる。

こと、シリーズ物っていうのはブランディングとしてはわかりやすくて有用な反面、呪いにもなる。

こうやってまとめて並べると面白いんだけど、バリエーションというか、変化をつけるのが怖くなってくる。
これを求めてる人に違うものを投げてしまうミスマッチが怖くなる。

悩んで考えて悩んで迷って逃げてゲームしてアニメ見てカラオケしてたらあっという間。気づいたら9月も半ばでした。

そんなときに、とある古くからの友人と会った。
夜中にダラダラと、高円寺のコインパーキングに座り込み着地のない話を何時間もしていたときに好きなバンドの話になった。
友人曰く「アルバムやライブが予定調和になると冷める」とのこと。
ライブに行かなくても「こんな感じだろうな」
新曲を聴いても「らしさは感じるけど新鮮味はない」
とのこと。

あー、これ今の自分じゃねーか。
たいそれたアーティストではないけれど、自分のことを言われてる気がしてドキッとした。
「らしさを残しつつ、新鮮さや変化がワクワクするしもっと応援したくなる」
そう友人は続けた。

らしさを残すこと、変化をつけること。
バンドとかのアーティストで言えば、アルバムみたいな感じか。
アーティストとしての良さは変わらず、でもアルバムごとにテーマを持っていて振り幅がある。
あのアルバムは好き、とかよくあるじゃない。アレのこと。

うまく噛み砕けているかわからないけれど、何を残して何を変えるかって話なんでしょうきっと。そして残すものこそ背骨というか、膂力を持った芯のようなもので。変化は振り幅。
写真の要素の分解の仕方はいろいろあれど、例えば「光と影」「色」「被写体」「構図」このあたりの中で、何を変えて何を変えないかってことを考えてたらなにか突破口が見いだせるのではないだろうかー
そんなことを思ったのです。コインパーキングに座り込みながら。

変えずに残すもの、きっとそれは単純な取捨選択じゃ弱くて、フィロソフィーというか、何かこう自分の思いとか熱量が背景にあるとより良いのかなーとか、またモヤモヤはしているんだけど今までよりはちょっと前向きになってきた。

この取り留めのない、かつ面倒くさい文章からも察してもらえそうだけれど、理屈っぽいんです自分。
とてもとても理屈っぽい。これは流行りだ、これは受けがいい、これはこういう掛け算でインスタで受けるetc...
ロジックがあるのはいいんだけれど、そこにハマりすぎて直感的な良し悪しと喧嘩した挙げ句の迷宮入りだったようにも思う。

今撮っている #SugarMePop ってシリーズを否定するわけじゃなくって。
もう少し直感的な良し悪しを交えた振り幅を持たせようかなと思っていたりもします。

この記事、まとまんないな。
まーいいや。

とりあえず、また少し写真が撮りたくなってきました。

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