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僕は教師に”バカになれ”と言われた

”隆太郎、お前はもっとバカになれ!”

当時中学2年生の僕は部活の顧問の先生にこう言われた。

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真面目

当時の僕はバスケ部のキャプテン。
自分でいうのも何だが勉強は得意だった。5教科で480点くらい。スポーツもそれなりに何でも出来た。先生に怒られるようなこともほとんどなく真面目な生徒。いわゆる優等生だったと思う。

当時の中学は必ずいずれかの部活に所属しなければならなかった。
ゆえに部活へのモチベーションも人によって異なる。早く家に帰りたい生徒、とにかく楽をしたいやつ、真面目に頑張りたい生徒、とりあえずバスケだけできればいい生徒など本当に人によって様々だ。

そんなチームで僕はバスケ部のキャプテンになった。
当時の僕の考えでは部活は”勝つために真面目に取り組む”が当たり前。
クソ真面目だった僕は当然真面目に取り組むことをチームメイトにも強要した。

バカになれ

今となっては当たり前だと思うがひとつの価値観を強要するようなやり方ではチームがまとまるはずがなかった。案の定チームはバラバラで、目標としていた県大会に進むことすらできなかった。

楽しさや面白さは人によって異なる。
当時の僕はただの走り込みでも真面目に取り組んでタイムが早くなれば楽しい、面白いと感じるようないわば変人だった。しかし、全員がそう言うわけではない。どちらが偉いとかそういった話ではなく人によっての楽しさ、面白さは違うのが当たり前だ。ただ、当時の僕の頭には真面目に取り組むのが当たり前と言う考えしかなかった。

そんな時、部活の顧問の先生に冒頭の言葉を言われた。

”隆太郎、お前はもっとバカになれ!”

もちろん勉強ができなくなれと言うマイナスな意味ではない。
もっと自分をさらけ出せと言う意味だと解釈している。
当時はイマイチ言われている意味が分からなかったのだが大学、社会人になるにつれ少しずつその言葉の意味が身に染みて分かってきた。

基本的に人は面白い人間には自然と惹きつけられる。
面白いと言っても必ずしもふざける必要はない。大事なのは自分をさらけ出す事だ。面白さの定義は人によって異なるが、少なくとも人前で自分をさらけ出せるやつは面白いし、信用できる。逆に自分をさらけ出さない奴は信用されない。

バカになれない人間、自分をさらけ出さない人間に誰がついていきたいと思っただろうか。

今ではもう少し上手く引っ張ることが出来たのではないか、もっと楽しい部活にすることが出来たのではないか、そして自分自身ももっと部活を楽しむことが出来たのではないかと反省している。

また、大学のバスケ部は異常なほど笑いに貪欲な奴らが集まっていた。僕の印象ではバスケがうまい奴ほど自分をさらけ出して笑いを取れる。そんな魅力的な人間だからこそ周りの力を借りて成長しやすい環境を作りだせたのだろう。

大学時代はよく小原(現:横浜ビー・コルセアーズ)に

”リュウは自分をさらけ出さない”

と言われていた。僕に友達が少ない大きな原因はこれだと思う。

今でも自分をさらけ出せる人は少ない。
それでも友達でいてくれている人たちには感謝している。

先生

当時の中学時代の顧問の先生はバスケの経験者ではなかった。

それでも僕たちのために一生懸命バスケを勉強していたし、決して威張らず、逆に僕たちにバスケの質問をして来ることも多かった。練習メニューを一緒に考えることも多く、主体的にバスケに取り組む楽しさを教えてくれた。

先生は教師になる前は確か警察官をしていたはずだ。そして最近までは海外の日本人学校に赴任していた。こんなにチャレンジングな教師は今まで他に出会ったことがない。

先生は物事の正解を教えるだけでなく、人間らしさを教えてくれた。

今でも先生とはたまに連絡を取り合う。一昨年には食事に連れて行ってもらったし、何度も試合観戦に来てくれた。

先生、今度また飲みにいきましょう。
今度はバカになれると思います。

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と、こんな文章をクソ真面目に書いている僕はまだバカになりきれていないんだと思う。


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