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心の成長

「心の成長」

このフレーズを聞いてどんなことが浮かぶだろうか?

詳細は書けないのだけれども、ここ1年で多くの人の心の成長にまつわるお話を聞いてきた。

それらも含め今回は僕の心の成長について書いてみたいと思う。

まずは大きく2つに分けたい。

  1. 他者から何かを与えられた際に感じる心の成長

  2. 自分から何か他者に与えることで得た成長

大きくはこの2つに分けられると思う。

どちらが正解とかではないのだけれども、どちらも互換を研ぎ澄ませて感受性を高めておかないと気付けないこともあるし、いままで自分の中で鈍感だった何らかの感覚に対して電撃を喰らったかのように「はっ」と気付くこともある。

まずは1.の「他者から」の方について。

分かり易いのは「愛のある行動」をもらったとき。
心理的・物理的、そのどちらでも、自分の存在価値を認められ、大切にされ、感謝され、敬われ…そういったときに、自身の中で単なる自信や自尊だけではなく、大きく成長を感じることがある。
多くの場合は前提として自分の起こしたなんらかの行動が他者からの愛のある行動に繋がっているのだと思うけど、無意識のうちに他者から愛されていたり、敬われていたり、また無償の愛を与えてくれるような人に出会った際に、自覚なくそういった現象に繋がることもある。
この場合の成長はまず「嬉しさ」「感謝」の感情から始まる。
よく「情けは人のためならず」「因果応報」「金は天下の回り物」のように、善い行いは結果的に良いものとなって自分に返ってくるようなことを意味する諺もある。
そして「あぁ、世の中にはなんて素晴らしい人がいるんだろう(自分にもその価値や可能性があるのではないだろうか?)」と考える。そして自分自身も(もちろん相手は選ぶが)無償の愛を与える側に回っていくことがある。そうなること自体が「心の成長」の1つなのである。

そしてもう1つは2.の「自分から他者へ」の方。
1.と地続きになっていることも多いけど、すでに1.の最後の状態に1度でもなったことがある人、もしくは肉親や親友などその前提が出来ていたり、会社の後輩に対する先輩としての責任感(もしくは保護欲?)などの気持ちから、他者に何かを与える立場になることも、大人になるとそういう機会が増える。
世の中のボランティアを含む無料サービスの多くはこういった人間の根底にある本能や心理から生れている部分もあるんだと思う。

ここで「自分から他者へ」にも大きく2つ種類があって、更に色々な分類があることも書いておきたい。
まずは「見返りを求めない本当のギブ」または「見返りを求めるギブ&テイク(トレードオフとも言う)」。
後者は会社の後輩の育成などに費やす時間は決して単なるギブではなく、後輩の知識や出来ることが増えることで自分や周囲、組織が助かるので純粋なギブではない。もちろん今回のテーマは「良し悪し」という観点ではないので今更ながら、その点は留意して読んでもらいたい思っている。

もう1つの分け方だけれども「自分の余力のある範囲でのギブ」「自分の余力の範囲を超え労力をかけるギブ」の2種類。この境目は結構難しくて、自分で「余力」と思っていたつもりが、いつの間にかとんでもない深淵に巻き込まれていて、多大な労力や時間を奪われてしまっている「辛いギブ」になってしまっていることもある。これについてはギブマインドは素晴らしい!なんて言われることもあるけど、重々そうならないように気を付けたいと思う。

なんとなく「心の成長」からどんどん話題がズレていってしまっている気もするが…(久々のNote執筆ということで少しだけ大目に見て欲しい汗)、自らの心の成長というのは正解はないし、人それぞれが思うものがそれなのだな、と僕は思う。冒頭で「他者から自分」「自分から他者」というトリガーの違いは書いたけど、人生の色々な場面で心の成長を感じ取れる人にこれからもなっていきたいな、と思う。

決して他者から何かを受けた際に「そういったことをしてもらえる自分は偉い」だとか「他者に何かを与えられる自分は偉い」という驕りにだけはならないように。

なんだかんだ最後の一文で自分を戒める投稿になってしまった…。

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