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お気楽に、肩の力を抜いてゆけ。

どうもここ最近、肩に力を入れすぎていたようだった。

その緊張感の原因は、びっくりするぐらい押し寄せてくる仕事の波と、自分の力だけではどうしようもないことを延々とお願いし続けなきゃならない時間を過ごしていたからだと思う。

動けば終わることって、幸せだよね。

でもそんなことばかり言ってられないのが世の中でしょう。
世知辛いとはこのことか。

「心が焼け野原。」

伝えたいことも、届けたいことも、何もなくなってしまって、心が焼け野原って感じ。
かさっかさの感情に潤いを。
多分活字が足りない。

昨晩の、自分自身のつぶやき。

メーカーで制作系の仕事をしていたり、コピーを書くことに憧れたり、企画を考えることを人生の全てだと思い込んでいたり、何かを発信し続けなければならない、発信したがる人間の言葉とは思えないようなことをつぶやいていた。
(活字は、新鮮な情報(栄養・やるき)を与えてくれるから、ただ欲してた。)

本当に、心のHPが底尽きていたんだと思うし、心の潤うべき部分が乾いていたんだと思う。

「ちゃんと声にしてゆきたい。」

そんな心の乾き、ささくれ、ひび割れが目立ってきて、どうしようもないやと思っていた時に、久々に早い時間帯に家に帰ることができたので、ぼーっとニュースを眺め。

ものすごく、自分中心に回っている言葉をつぶやいていた時に、目に入ってきたのは「九州南部の大雨情報」。

広島での大雨被害のその後を見てきた身としては、やっぱり恐くなってしまった。
自分自身は、安全な場所にいるのだけれど、知らない人ばかりの土地だけれども、何の悲しいこともなく、ただ大雨が降ったという事象だけで終わってしまえば良いのにと願わずには居られなかった。

そんな時に、ニュースから聞こえてきたのは、大雨の時に最悪の事態を防ぐために知っておきたいことと、避難する時にその後を少しでも快適に健康に乗り切るためにやっておきたいこと。

誰の目にも届かないかもしれないけれども、何の足しにもならないかもしれないけれども、「避難」や「大雨」で検索した人に有益な情報が届くようにしたいと思って、そのことを備忘録的につぶやいたり、似たような情報を拡散したりした。

自分だけの言葉ではないけれども「ちゃんと声にしてゆきたい。」と久々に心が動かされた。

「お気楽に。」

何の結果も出していないから、ただの逃げみたいな話になってしまうかもしれないけれども、「ちゃんと声にしてゆきたい。」をやっていくには「お気楽」であることが必要なんじゃないかと思う。

あまりに肩に力が入りすぎていると、発信しようとするのにも、心のエネルギーを大量に消費してしまうし、それが継続していけない。

継続できないことは、やっぱり「負担」以外の何でもないのだから、心にもよくない気がする。

そんなこんなで、「お気楽」であることは大切なんじゃないか。

良いこと言わなきゃ、有益な情報でなくちゃ、みたいなことは据え置いて、まずは思うままに言葉にしてみることが一番かもしれない。

「言葉にしたい人たちへ。」

私はどちらかといえば、「言葉にしたい人」だと思う。

ただ、言葉にし続ける前に心が折れてしまっていた。

毎日迫り来る忙しさで体力が尽きていたり、そんな毎日の積み重ねで心が乾ききってしまって言葉にすることを諦めてしまっていたり。

落ち着いて考えてみると、我ながらとても悲しい。
言葉にし続けていたらよかったなと思うことばかり。

昨年の春から秋にかけて、福岡から神奈川に身銭を切って通っていた講座「言葉の企画」で学んだことが1ミリたりとも生かせていないじゃないかと、切ない気持ちにもなる。(一年間発信しなきゃと思い続けていたからこそ、今日この文章を書くに到れたので、ここで1メートルぐらいは一度跳躍できたと思う。)

その時のことは、今更でありながらもちゃんと書いて「言葉にしたい人たち」を応援するきっかけにしていきたい。今更だけども。

「特別である必要はないかもしれない。」

人間多くの人は、自分は普通の人だと思いながらも「特別」に対して憧れを持っているはず。私自身は、「特別」に強い憧れをもっていた。何の分野で特別でありたいか、なんて考えは結果としては持てていなかったのだけれども。

今まで出会ってきた人たちは、「特別」に思える部分を持っていることが多かった。

そのことが実っている人も、まだ実っていない人もいるけれども、そんな人たちと自分自身を比較して、ジリジリと、ヒリヒリと、焦りを感じたことは数えきれない。

同じように「特別」にならなきゃいけないという思い込みで、焦る必要もないのに焦っていただけなんだと、ながい自己分析の結果わかってきた。

何かを目指す必要はあるかもしれないけれども、必要以上に、強迫観念みたいに焦る必要はないんだと思う。
まだ何も成していないから、自信を持って言えることではないのだけれども。

「ちょっとずつ。」

ちょっとずつ前進していこうかな、言葉にしていこうかな、と今の私は考えてます。

文章のナンバリングも、今回からやめてみました。
自分にはそのスタイルが結果として合っていなかったからです。

これから模索の連続ではありますが、ちょっとずつ、もしかしたら誰かに役立ちそうなこと、同じ気持ちを抱えている人の心がほぐれそうなことを、そんなに早足ではないけれども書いてゆきます。

うん。

「みんな元気でゆきましょう。」

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