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【じんかん】 人と人が織りなす世界で英雄は何を目指したのか?

※単行本が発売されて時間も経過しましたので、ネタバレを追記いたしました。ネタバレまでは、以前と同じ内容です。

じんかん
講談社 小説現代 2020年4月号掲載
今村翔吾(いまむら しょうご)

昔から小説を読むのが好きで、ミステリー、SF、ファンタジーをよく読んでいたと記憶しているのですが、中学生の頃から時代小説、特に日本の戦国時代に関する小説も読むようになりました。おそらく、大河ドラマの「独眼竜正宗」の影響だったのではないかと思います。テレビで見て、続きが気になり、母親に小説を買ってもらった記憶があります。

そんなこんなで、時代小説でございます。

タイトルは「じんかん」。

じんかん。。。おそらく漢字で書ける言葉でしょうけど、全然思いつかないので、まずは読み進めます。
そういえば、この作品は小説現代の4月号に掲載されていたものを読みました。
私はあまり雑誌は買わないのですが、今村先生の作品の面白さは「火喰鳥 羽州ぼろ鳶組」で十分わかっていました。安心して読めるってもんです。
この火喰鳥も、そのうち感想文を書きたい作品です。

さて、じんかんですが、主人公は松永久秀。名前を知っている方も多いと思います。平蜘蛛という茶器を抱いたまま爆死した男、と言われています。本当かどうかはわからないにしても、インパクトは十分で、戦国時代の英雄達の中でも一際異彩の存在でしょう。
戦国大名として有名なのは、織田信長、上杉謙信、武田信玄、毛利元就、長宗我部元親、あげればキリがありません。ですが、私たちが知っているのは、エピソードとしての話だけです。織田信長であれば、幼いころはうつけものだった、桶狭間で今川義元を少数で打ち破った、鉄砲の価値にいち早く目を付けた、といった断片的な話は色々な場面で教えられます。ですが、そうではない、あまり語られないエピソードというのは、知る機会は多くありません。
小説家の方が、多くの文献を調べ、その方なりの仮説を組み立て、私たちが読めるように文章にしたてあげてくれれば、その小説家の方の世界で再構成された戦国大名の生き様を垣間見ることができます。
そういった意味では、戦国大名のような過去の有名人は、現代に人間の数だけエピソードがあるのかもしれません。それを読むことができるのは、もしかすれば贅沢なことなのかもしれないですね。

それでは、この今村翔吾版の松永久秀はどのような生き様を与えられたのか?
そもそも松永久秀という人物の詳細は知られていないようです。信長に一度ならず二度までも反旗を翻す、平蜘蛛とともに爆死する、そんな派手なエピソードこそ伝わっているものの、どこから来たのか、どのような考えを持っていたのか、茶の湯を習ったのはいつか、そんな細かい部分はよくわかっていないそうなのです。

「じんかん」では、織田信長が狩野又九朗という自身の小姓を相手に、松永久秀から聞いた過去を話していく、という形で物語が進んでいきます。
松永久秀のストーリーはもちろんひきこまれるのですが、話の途中で出てくる信長と又九朗の会話もまた、これがなかなか読ませるのです。信長という人物はこうであると思わせる話し方と態度であり、その時代の信長の小姓の苦労を又九朗が見事に演じています。物語の合間に少しだけ交わされる会話でも、ここまでの読み応えがあるというのは、贅沢なものです。
肝心の松永久秀のエピソードも、幼少期から青年期を丁寧に描き、松永久秀はどのような人物だったのか、どのような人物のの影響を受けてきたのか、何を目指していたのか。語られる物語は、多くの文献や資料等の下調べはあったにせよ、多くの部分は今村版といってもいいくらいフィクションであると思います。ですが、全くそれを感じさせない。読み進めていけば、なるほど、これが松永久秀の人生か、と本気で思ってしまう説得力に満ちています。幼少期の凄惨なエピソード、青年期の大事な人との出会い、当時の人間であればおおよそ考え付かない発想力。全てが魅力的に描かれています。

現代を生きる私たちもそうであるように、人は一人では生きられず、多くの方と交わり、付き、離れ、また付く。そのような多くの経験が私たちの形を形成し、この世の中の理も形成されていくのかもしれません。

じんかん。
人間と書いて、にんげん、と読めば一個の人間を表す。
人間と書いて、じんかん、と読めば、それは人と人が織りなす間。つまりこの世を表す。

人とは?神とは?武士とは?大名とは?
多くの当たり前に疑問を投げかけ、この世の全てを理解しようと試みた、そんな男の物語のタイトルにこれほど的確な言葉は他に見当たりません。


それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。









本当に読みますか?ネタバレありですよ?


では、書いていきます。

松永久秀という男の印象は、この作品を読んで一気に変わりました。
織田信長の印象も変わったかな?
偏屈もので、賢しい知恵を持ち、自分のために乱世の中を立ち回る。これが本作を読む前の私の印象。
おそらく、小説やゲームなんかで得た知識から印象ではないかと思います。
一方で、松永久秀の幼少期についての話をあまり聞いたり読んだりしたことはなかったので、大人のイメージがそのまま一回り小さくなったような、腕力ではなく頭をつかって幼少期も上手に生きていたのだろうと考えていました。
この私の考えが誤っているとは言い切れないし、正しいとも言い切れません。誰でもそうですが、過去を覗き見ることはできません。松永久秀という人物は、私が考えた人物像でもあるし、他の大勢の方が考えた人物像もあります。松永久秀という人物について考えた人の数だけ人物像があるといってもいいでしょう。
ですが、この「じんかん」という作品は、そんな私の考えをぶち壊してきます。
私の中の松長久秀像は、この作品によって上書き保存されました。

人間が成長していく中で、幼少期の体験や記憶というのはその後に強い影響を与えると思うのですが、この作品を読めば、それもうなずける話であると感じます。
いかにして少年は松永久秀になったのか?作者はその答えを幼少期の経験と位置づけました。この幼少期の話、多門丸という少年を中心とした、孤児達の集団。読者に多門丸という非凡な少年に釘付けにさせながら、実は多門丸は松永久秀という男の誕生するきっかけであり、同じ集団に属していた九兵衛という少年の心に、多門丸という男の生き様・考え方を強く九兵衛の中に刻み付け、早々に物語から退場してしまう。
この流れ。ここから九兵衛についてを深く書き進めていますが、九兵衛という少年がここから経験する様々な出来事が後に松永久秀という男を作り上げる核となっているのがわかります。
久秀の場合は、幼少期の多門丸との出会いが、その後の考え方の軸になってるのは理解できますが、多門丸との別れの後に出合った人々とのつながりも、やはり大きな影響を与えているのでしょう。
その中でも、久秀の方向性を決定づけたのが三好元長だったのでしょう。

当時、日本を武力で押さえつけていた最強の大名、織田信長に対し、なぜ謀反を起こしたのか?
この謎を解くには、久秀の立ち位置を考える必要があります。
若き日に出会った三好元長という男の夢を聞き、その夢を共有する。
三好家の家臣として行動をしてはいるが、全ては元長の想いに応えるため。
三好家への忠誠となれば、代が変わろうが主君に仕えていくのが筋です。多くの武将はそうだったでしょう。もちろん、跡目に忠誠を捧げる資格が無いとなれば、反逆するのも戦国武将ですが。
久秀の場合は、三好元長という男の考えに共感し、三好家ではなく、あくまでも三好元長の想いに応えるために行動をしているところが、実在の人間っぽさを感じさせます。この書き方をされてしまうと、史実であるような錯覚をおこしてしまうのもやむを得ないところでしょう。
元長の夢に共感し、元長の想いに応えるということは、九兵衛の全てにいつの間にか置き換わっていたために、自分の生きる意味にまで昇華してしまったことが、九兵衛の美しいところでもあり、人としての悲しさだったりするかもしれない。
結果的に、元長の夢が潰えた後でも奮闘をみせる九兵衛ですが、三好家という枷が外された状態であれば、もしかしたら元長の夢に近づけたかもしれません。同時代では頭一つ以上飛びぬけた能力があったと思われます。信長が表舞台に出てくる前に、戦国時代の勢力図を塗り替えていた可能性は高いと思います。
とはいえ、それを九兵衛が望むはずもなく。
戦国時代のような乱世では、多くの有能な方々が、私たちは理不尽と思うような理由で、それでも本人達にとっては何にも代えられない理由で、表舞台から消えていったのでしょうね。
とはいえ、久秀の場合は自らが望む理由で行動をしていたため、三好家という縛りを解くことは考えなかったのでしょう。このあたりの人間っぽさは好きです。

松長久秀のことばかり書いてましたが、この作品のもう一人の主人公は織田信長ですね。作品自体、信長と小姓の会話という形式で話が進み、物語がひと段落をすると、天守閣で語る信長の情景が描かれるのですが、これはまさに私たちが想像している信長像にぴたりと当てはまる。
実際に信長の機嫌が良い日はこんな日常もあったのだろうな、と読者に思わせるほどに生き生きとした信長を書いています。
信長といえば、短期で口が悪く、手が出るのも早い印象です。ですが、小姓に話す信長の口調はとても楽しそうであり、同じ時代に生きる、同じような思考を持つ男に対しての親近感のような感情が言葉の端々から感じ取れます。

この作品は非凡な二人が言葉ではない、行動だったり、考え方だったり、そんな声として聞こえない会話を交わしながら、油断ならない戦国時代に生きた証を世に打ち立てようともがき苦しむ、そんな内容ではないでしょうか。
順風満帆ではない。何事も苦しさや切なさを伴いながらも、己の理想へ近づき、手をかけられるかどうかの生き方。他人には譲れない一線を持ちながら、相手を想いやるとはどんなに悩ましいのでしょう。
素晴らしい生き様を見せていただきました。

サポートを頂けるような記事ではありませんが、もし、仮に、頂けるのであれば、新しい本を購入し、全力で感想文を書くので、よろしければ…