【言鯨16号】 この世界とこの世界に生きるモノ達が好きな故に

言鯨16号
早川書房 2019年1月31日 電子書籍版発行
九岡望(くおか のぞむ)

「ジャケ買い」という本の買い方について、前に話をしたことがあります。
CDやDVD、本などの内容を全く知らない状態で、店頭で見かけたパッケージデザインのセンスや完成度が購入の動機となる買い方である、と「楽譜と旅する男」のレビューの中で書きました。
そういった書き方をするのであれば、この作品は「タイトル買い」です。
いや、そんな表現があるかどうかわかりませんが、タイトルに惹かれて購入したのは事実です。

言鯨(イサナ)16号

不思議な響きですよね。「イサナ」という言葉は実際にありまして、クジラの古名だそうです。捕鯨のことを「鯨取」とも表現し、「イサナトリ」と読むそうです。

色々調べたので、もったいないから書いちゃったw

さて、この作品では読みは「イサナ」でも漢字は「言鯨」という字があてられています。もっとも直感的に意味を考えるのであれば、「クジラの言葉」ではないでしょうか。実際に海を泳いでいるクジラは仲間とコミュニケーションをとる際に言葉というか歌というか、クリック音のようなものを発してますから。

そこまでは思いつく。思いつくんですけど、「16号」ってなんだ?
単純に考えれば作られたモノの16番目ってことだと思うのです。何を作ったの?15号まではどうなってるの?

・・・ふう。

タイトルからこのくらいは一気に頭の中で考えてしまって、うわー、もう買っちゃえ!ってなったとさw
うん、本の表紙はその本のビジュアルですよね。容姿というか。私はこんなイメージです、って本が主張してくるような感じで。そうなるとタイトルは?
タイトルは性格というか、内面の紹介だと思うのです。読む前に、私はこんな作品です、って作品からのメッセージ。
これ、読んでくれた人に伝わるか心配です。本の表紙とタイトルだけでここまで考えるって普通はしないよね?うーん、伝わってほしい!

主人公は「旗魚(かじき)」という名前の少年。
広大な砂漠が広がる世界で「言骨」と呼ばれる物質を採取して暮らしています。「言骨」とは、この世界でさまざまな力の元となる「詠石」と呼ばれる物の原料とされており、その名称が表すように詠石から放出されるのは「言葉」であるとされています。
この言骨こそが、旗魚が住む世界で最大の謎とされている「言鯨」の力の残滓であり、その本体は地中深くに埋もれているとされている。

ストーリーはこのような感じで始まります。
これだけ独創的な名称を多用していても、不思議と頭にすっと入ってくるから不思議です。作者がその世界に合うように作った造語というのは、嵌まらないときには「あれ?これなんて意味だっけ?」ということの連続で、結果ストーリーが頭に入ってこなくなるもんですが、この作品はそんなことはなかったです。違和感なく読めました。
このあたりは作者のセンス、なのかもしれません。

この作品のテーマとしては、「言鯨」とは何か?ということでしょう。
物語中では15人?匹?体?柱?単位がわからねぇ。。。まぁ、15体としましょう。言鯨の亡骸15体から、それぞれ言骨が取れることでそれそれ街が発展し、15番街までできた。0番街が他の街の統括を行う街として作られたため、言鯨はいない、と。
ここまではいいでしょう。

タイトルの「16号」とは。

ここからは核心に触れる部分が多くなってくるので、ネタバレで書きます。
書けることとしては、物語が進むにつれて、徐々に世界はその姿を見せてくれることになり、壮大なストーリーへと発展していきます。それは、もしかしたら読み進めていく中で気が付く人もいるかもしれません。それでも、気づこうが気付くまいが、終盤の展開は一気に読み進めてしまうくらいに心を鷲掴みにされてしまいました。

正直な話、タイトルに惹かれて購入した作品でしたが、kindleで早川書房のセールをしていなかったら、購入していないと思います。素敵なタイトルとセール期間だったことが購入のきっかけだったので、本との出会いは何がきっかけになるかわかりません。
偶然とはいえ、素敵な作品に出合えたことで、電子書籍に手を出してよかったと感じます。


それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。









本当に読みますか?ネタバレありですよ?


では、書いていきます。

タイトルに惹かれた作品に、ここまで引き込まれるとは思いませんでした。
なんだろう、この作品って色々な要素が詰まっていると思うのです。少年の成長が描かれていたり、無慈悲な滅びが訪れたり、頼りになる兄貴分が活躍したり。
物語を読むのが好きな方が、自分の読みたい作品を自分で納得いくまでぎっちり詰め込んでみた、そんな感じを受けるのです。

16号になってしまったんだねぇ。
正確には、既存の言鯨の力を借りたのか、融合したのか、どっちでもないのかわかりませんが、旗魚は自分の好きな世界、好きな人、そんな居場所を守るために長い長い、永遠とも思える旅路に出てしまったのだと思いました。
とても綺麗で、どことなく寂しげな、それでいて力強さを感じさせる旗魚の旅立ち。傍らには、すでに名前を忘れてしまった鯱を従えて、胸には消えることのない珊瑚の血脈にかけてもらった「かじき」という言葉を秘めて。
多くの方は、途中から旗魚は自分が追い求めていた存在の秘密を知ることになるとは感じながら読み進めると思うのですが、ここまで自分を昇華させてしまうとは思わなかった。

この作品を数ある小説のジャンルに当てはめてほしいと言われれば、しっくりくるのはSFになると思います。この世界設定は、誰もが一度は頭の中によぎる考えではないでしょうか。
「自分という存在は、より高度な存在に作られたモノであり、この広い世界は高度な存在の庭にすぎない」
作られたのか、操られたのか、あるいはすでにプログラミングされた行動なのか。そうした、自分という存在を追い求めた結果、自分の行動というのは高度な存在の実験にすぎない。
SFとしてはよくある、そして最も怖い設定の一つだと思います。
ですが、この作品の旗魚はそこに正面からぶつかっていきます。旗魚は自分と自分を手伝ってくれる言鯨のマサルの存在を忘れても、自分が好きだった世界を守るため、自分が好きだった人たちの営みを守るため、誰もが見知らぬ世界へ恐れることなく飛び込んでいく。
SFではあるかもしれませんが、これは少年の冒険譚でしょう。旗魚が鯱の影響を受け、自分が気になっていた言鯨の秘密に近づき、多くの協力を得ながら深淵にたどり着く。
これは、内容こそまったく異なりますが、幼いころに誰しもが経験する「ひと夏の成長」に近いものを私は感じました。
実際、旗魚が旅立つまでの時間は決して長くはなかったでしょう。短い期間に、少年が大きく、身体的にというよりも精神的に成長するのは、私たちの世界でも珍しいことではありません。

旗魚がとった行動は一つの正解でしょう。旗魚は何も知らない状態だったからこそ、この行動がとれたのかもしれません。
と、すれば、全てを知って動いた銀鮫の行動もまた、一つの正解なのでしょう。
自分たちが何者かに作られた存在であることを認識し、緩慢な、それでいて間違いなく訪れる滅びを待つのであれば、自分たちを作った末裔である言鯨の力をもって全てを終わらせようとする。
一般的な民を管理し、監督する立場にあった銀鮫だからこそ、許されるかもしれない選択肢。
この銀鮫もまた、己に定められた枠組みから逸脱しようともがいた結果の行動だったのかもしれません。

物語の中で、旗魚が私たちが知っているカジキやシャチを見るシーンがありました。そのことからも、旗魚達の砂漠の世界を作ったのは、私たちの子孫でしょう。
旗魚達は力強く、既定路線に逆らおうとする力強さを見せているあの世界で、私たちの子孫はどのように進化しているのでしょう。
もしかしたら、子孫たちは旗魚の強さに救われるかもしれませんね。

サポートを頂けるような記事ではありませんが、もし、仮に、頂けるのであれば、新しい本を購入し、全力で感想文を書くので、よろしければ…