【楽譜と旅する男】 聴こえるはずのない音楽が聴こえてきそう

楽譜と旅する男
光文社 2017年3月20日 初版1刷発行
芦辺拓(あしべ たく)

「ジャケ買い」という買い方があるそうです。
CDやDVD、本などの内容を全く知らない状態で、店頭で見かけたパッケージデザインのセンスや完成度が購入の動機となる買い方のようです。
とはいえ、ネットの情報があまり普及していなかった一昔前までは、みんな当たり前のように行っていたとは思うんですよね。情報が少ないため、購入する場合は「好きなアーティスト」であるとか「前に読んだ同じ作家の作品が面白かった」とか、そういった何かしらの理由があったはずです。
ところが、そういった少ない情報すら見向きもせず、書店にふらっと訪れて、棚をつらつらーと見て回り、気に入った本を買うという方がいました。私が書店員として働いていた20数年前、ネットどころか携帯すらまだまだ普及していなかった時代、間違いなくジャケ買いと思われる行為はありました。
そうなると、書籍の表紙や帯の情報というのは、購買意欲を高める武器として機能します。
これは馬鹿にできません。
昨今の、特に新書によく見られますが、どこまでが帯でどこまでが表紙のカバーなのかわからないような、そんな帯が出てきたのも、まぁ仕方がないのかなと思ってしまいます。

さて、ここまで長々とジャケ買いに書いてきたということは、もうお気づきですね?
そうです。この作品は「ジャケ買い」です。

江戸川乱歩の「押絵と旅する男」をオマージュしていると思わせるタイトル、表紙はターコイズブルーの色味で覆われ、その中心には旅の途中と思われる男性の姿が力強くも繊細さまで感じさせるタッチで描かれている。
帯を見れば、表紙を邪魔しないとの配慮か、白地に紫と黒のシンプルな文字。とはいえ、その文言は読んだものを物語の中で引き込む引力すら感じさせる。

そこに書かれていた文章はこうです。

大気を震わせ、脳髄に共鳴せよ。

さらに。
表紙を外すと、非常にシンプルな絵が描かれている。五線譜の上を前を見据え、力強く歩いている男性。手には旅行鞄を持ち、まさに楽譜と旅をしていると感じさせる絵である。

すごく素敵な表紙なんですよ。
もっと出会いの詳細を書けば、正確にはジャケ買いとも言えないのです。この作品は古本屋で購入したのですが、そのときには棚に入っていたので正確には背表紙しか見えなかったのです。その背表紙もターコイズブルーに金字のタイトル。
他にも多くの本が棚にささっていましたが、他の本は目に入らないほどに囚われてた。
見た瞬間に手に取ってました。

ここまで作品の内容を書いていません。
もちろん、この後ネタバレのほうで書いておきますが、私にとってこの作品は、「内容なんかどうでもいい。美しい表紙を持つ作品と出会えたことに感謝」という気持ちだけでOKなのです。
いや、読みましたよ。読みましたけど、これからこの本を読もうと少しでも思ってくれる方がいるのであれば、私と同じようにジャケ買いしてほしいんですよね。
書店員が新刊を売るときに、売れるためにどうすればいいか色々と工夫をこらします。POPだったり、関連作品を並べたり、店の中でも目に触れる機会の多い棚を確保したり。それでも、この作品のように、面陳だけで作品自身が購入者を惹きつける力をもった表紙の作品があるのです。
「元」書店員ですが、そんな書店員の嗅覚のようなものを信じて、何もわからない作品の世界に飛び込んでみても面白いのではないでしょうか?


それでは、ここからは触れていなかった「ネタバレ」を含みつつ、もう少し書いてみます。
ネタバレを読みたくない方は、ここで読むのをやめてください。
行数を10行くらい空けておきますね。









本当に読みますか?ネタバレありですよ?


では、書いていきます。

本の紹介、というか読書感想文と自分で書いているのに、前半部分はひたすら表紙についてだけを書いて終わる読書感想文。これ、学校の宿題だったら先生に怒られるのでしょうね。

この作品は短編が6編から成り立っており、それぞれの短編につながりはなく、それぞれ独立した物語となっています。共通するのは、全ての物語の中で「楽譜」が重要なカギとなっていることですね。作品タイトルにも楽譜という言葉が使われているため、楽譜がカギとなることは容易に想像できると思うのですが、それでは楽譜を物語の中心に据えるためには、どのように扱えばいいのか。
楽譜そのものは五線譜を見せないとわかりにくいですし、音楽を演奏するといっても音楽を文字で表現するのも非常に難しい。
では、この作者は楽譜をどのように物語に組み込んだのか。
タイトルにもなっている「男」がその答えですね。楽譜を探す男を登場させることにより、まず「どのような楽譜でも探すことができる男がいる」と読者に理解させる。どんな楽譜でも、有名でも無名でも、楽譜であれば探し出す。この設定により、音もしくは音楽、もしくは楽譜そのものを物語の中に組み込めれば、最後に物語を回収できる男がいる。あとは、どこまでどう話を持っていくかということになりますね。
楽譜を必要とする場面というのは私にはなかなか想像できなかったのですが、上手に物語の中に組み込んできていると感じました。上手に、というよりも、話が破綻しないのはもちろん、そこに楽譜が必要となる意味を必ず与えています。日常生活の中にはあまり登場しない楽譜が必要になったとしても、自然な流れだったりします。

私は「ザルツブルグの自動風琴」という話が好きですね。
ある冴えない作曲家の未完の遺作「らせん階段」をめぐる物語。この作品では男の存在であったり、意味ありげに楽譜を渡さない展開だったり、色々と興味を引く書き方が見られるのですが、らせん階段という作品が未完となった理由についての考察がなるほどと思わせる説得力。
らせん階段というタイトルの中には、早逝してしまった女性の魂に自分の曲を届けるために、まるでらせん階段のように音階が上へ上へと上がり続くける曲にしたいという意味がこめられていました。これだけであれば、なるほど、と思わせるに十分な理由付けです。ですが、それだけでは終わらせないところが、この作者の素晴らしところ。
作曲できなかったのではなく、作曲できる環境・時代ではなかったという理由が述べられた場面で、音楽の歴史に詳しい方なら「なるほど!」と思わず手を打ってしまうのではないでしょうか。
その作曲家が生きていた時代、ピアノの鍵盤数は少なく、弾きたくても弾けない状況にあったという事実。これには納得せざるをえません。
作りたくて、作ることができても、弾くことができない曲であれば、その曲が世に出ることはなく、作者の頭の中にのみ存在する曲となります。
それでも、楽譜さえ残っていれば。
そうです、楽譜を探して届ける男が登場するのです。
綺麗に話をまとめるなーと感心してしまいました。

そういえば、この物語の作曲家は二流ということで説明されていますが、現存しない楽器に頼らず、自分の作りたい、聴かせたい曲のために頭の中で音を奏でることができていたとすれば、二流どころか一流さえも霞むほどの稀有な才能を持っていたと感じるのは私だけでしょうか。
現実世界でもよくあることですが、そのような稀有な才能というのは、同時代には全く評価をされないままに作品だけは残り、時代がその才能に追いついた頃にようやく評価を得る。没後それなりの時間が経過した頃に。

才能かぁ。才能が与えられるものではなく、努力の先に見つかるものだと信じて、今は駄文でもいいから書き続けようかな。


サポートを頂けるような記事ではありませんが、もし、仮に、頂けるのであれば、新しい本を購入し、全力で感想文を書くので、よろしければ…