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僕とサッカーについてのとりとめもない話

体育が苦手な男の子であった。

幼稚園の頃に徒競走でビリっけつだったのがとっても恥ずかしくって、それ以来「自分は運動はダメなんだ~。いやだな~。苦手なことはやらんでおこ」と逃げを打ってしまっていたきらいがある。

父は高校時代に部活でバスケットボールをやっていたので、スポーツ好き。あらゆるスポーツに興味を持ち、いまでも実家に帰ると大抵なんらかのスポーツの試合を見ている。ラグビーとか。

そんな父は、運動が苦手だった自分になんとかスポーツを好きになってもらおうと考えたのか体力づくりを画策したのか、公園に連れていかれて走らされたりなどしたが、僕にとっては苦行でしかなかった。だって趣味は漫画とゲームのザ・内向的ボーイですよ。嫌だよ。漫画書かせろよ。ファミコンさせろよ。

んで、中学生になると諦めてしまったのか、強引に走らされるようなことも無くなったのだが、スポーツを見るのは嫌いではなかった。オリンピックの高揚感なんかも好きだった。いろいろ言われているけど東京五輪も楽しみである。(※とてもそんなこと言える雰囲気じゃないですけどね / HATE五輪!てムードだし )

父は「スポーツをやらせる」のは諦めたものの「スポーツを見せる」ことは引き続き試みようとしていた。




1993年。Jリーグ開幕。僕は中学1年生だった。

93年~95年にかけて、東京近郊のいろんなスタジアムに連れていかれた。印象的なシーンは幾つかある。ベルマーレ平塚 - ヴェルディ川崎 (2チームともに当時の名称)の試合で、カズとラモスを至近距離で観たこと。川口能活のデビュー戦を目撃したこと。(当時は日本代表の松永成立がマリノスの正GKだったが、この試合を機にレギュラーの座を掴むことになる)

旧国立競技場も何度か行ったと思う。応援するチームはついぞ定まらなかったのだが、なんとなくヴェルディ推しだった。何試合観たのかな。すべてを覚えきれていないんだよな。誰がゴールを決めたとか、試合の結果なんてこれっぽっちも覚えていない。ただ、スタジアムの帰りの車の中とか、ヴェルディのフラッグ買ったりとか、断片的なシーンが幾つか記憶されている。

そして1993年10月28日のドーハの悲劇。あの敗戦はテレビ中継でリアルタイムで観た。倒れ込むラモス瑠偉の姿をよく覚えているんだ。

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それから25年余りの月日が経ったが、なんだかんだサッカーがずっと好きだ。

ワールドカップやEURO、チャンピオンズリーグの熱狂が好きだ。

地元クラブを愛するサポーターの熱気が好きだ。

ドルトムントのスタジアムみたいな光景見るとゾクゾクしてしまう。

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足繫くスタジアムに通うようなサポーターとまではいかないものの、国内/海外問わずサッカー関連のニュースはいつも気にしているし、町田市で生まれ育ったので、地元のFC町田ゼルビアの躍進を願っているんです。



とはいえ、いまは隣の相模原市に住んでいるので、2推しとしてSC相模原。妻は相模原出身で子どもたちも相模原の子として育つため、ゼルビアにはついてくれなさそう。なので1歳の息子をいまのうちに天空の城に連れて行こうと画策している。今年はスタジアム観戦をもっと増やしたいな。



この2つのクラブを題材として、町田市と相模原市の関係性についてnoteで語りたいのだが、それはまた今度。





小野伸二や稲本潤一をはじめとした黄金世代にはまだまだ頑張って欲しい。同世代なので!





本当にとりとめがない!













#サッカーの忘れられないシーン


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