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【エッセー】川島海荷がサムギョプサル食べてる動画 feat.フワちゃん

人間誰しも間違いはあるさ

「LINE」の「トーク」欄をチェックする際に、何の気なしに「ニュース」もタップしてみたら、「フワちゃん」が何かしらの不祥事を起こしたらしい、という見出し記事が目に入って来た。

悲しいかな、人間という生き物は、「不祥事」に反応してしまうようにプログラミングされているらしい。僕は別に、「フワちゃん」に対して、何の思い入れもない(好きでも嫌いでもないフラットな存在という意味で受け取っていただけると幸いである)にもかかわらず、反射的に見出し記事のタイトル部分をタップしてしまった。

記事の内容は一読したが、まぁ、ココでは、それほど取り上げるつもりはないので、割愛するとしよう。なあに、調べればすぐに出て来る話だ。僕がどうこう言うアレもない。現に、不祥事の顛末そのものには、琴線に触れる内容は無かったわけだから。僕から話せることは何一つ無い。

敢えて一つ挙げるとするならば、フワちゃんの「不適切投稿」とみなされたツイートが、本人のアカウントでは削除済みであるにもかかわらず、調べればすぐに出て来る、といった事実であろうか。いわゆる「デジタルタトゥー」と呼ばれる現象だ。(解釈合ってる?間違ってたらごめんね)

僕はコレがイマイチ好きになれない。書いた張本人は削除済み。だがその投稿はスクリーンショット等で保存されており、半永久的に出回り続ける。そんなことが当たり前のように行われている。「有名税」と言えばそれまでだが、「どこからどこまでが有名税の範疇なんだ?」と疑問に思う自分もよく顔を出す。併せて「有名税」という言葉も好きになれない。

とはいえ、悶々と考えたところで、事態が好転するわけもなく。結局のところ、”言わせたいやつには言わせておけ”と、泰然自若の構えを取るしかないのが、実情と言えよう。おそらくフワちゃんもそのスタンスで居るはずだ。

・・・と書いたが、今、ちょっと思い出した。何かのバラエティ番組で、若槻千夏に、「一人、キッチンで、ひたすら、野菜とかをカットしてる時があるんですけど…。」みたいな相談を、フワちゃんがしていた、みたいな話を。

それに対して若槻千夏は「あぁ、そういうのは、ワタシも経験あるから。あるよね。そういう時期って」などと、意に介すことなく答えていたのが、僕にとっては、凄く印象に残っている。

このやり取りから察するに、フワちゃんは、「テレビ越し・メディア越し」に見える顔とは裏腹の、ナイーブな素顔も持ち合わせている、と考えるのが賢明であろう。となると、自己嫌悪の念に苛まれている姿も、想像出来よう。

ウダウダと、取るに足らないことを述べてきたわけだが、ココまで書いて、分かったことが、一つある。どうやら僕は、不祥事関連で話題になった人に対しては、思い入れのパーセンテージが、ググッと、上昇するらしい。

ベッキー、唐田えりか、陰ながら応援しているぞ。

女ばっかやないかい。


今日だけで50回超えました

前の項で述べたように、フワちゃんへの想いが急速に強まっている感を覚えた僕は、「Instagram」に飛んで、バーッと画像を眺めてから、「Threads」にも飛んだ。

「Instagram」のアカウントの滞在時間は、ものの数分だったと思うのだが、「Threads」のアカウントの滞在時間は、数十分、もしかすると、もっと居たかもしれない。さすがに三十分は言い過ぎだろうか・・・。いや、居たかもしれないぞ。分かんないけど。

元来、僕は、「画像」よりも「文章」に反応するタチなので、「画像」が投稿内容の主となる「Instagram」は、あまり興味関心が湧かない。たまにポエジーな長文を書いているのを発見して、「ほぅ…。」とアゴに手を置いて熟考させられるぐらいか。

刺激的な女性の身体は無条件で反応しちゃう時もあるけどね。

その点、「文章」が投稿内容の主となる「Threads」は、比較的、興味関心が湧きやすい。「Twitter」と比べて、文字数制限の制約が緩い(最大500文字)のもあってか、ポエジーな文章を書いているのを発見する機会も、ままある。そのたびに、「ほぅ…。」とアゴに手を置いて熟考させられるものだ。(デジャヴ感)

とはいえ、フワちゃんの「Threads」は、そんな感じではなかった。「画像」が投稿内容の主になっている感じだった。ただ、「Instagram」とは、毛色の異なる投稿を行なっていた。この点は個人的に関心が持てる。

これはあくまでも個人的見解として受け取って欲しいのだけれども、「Instagram」にも「Threads」にも、同様の画像をUPしているケースを見かけることもあるのだが、僕はあんまり好きになれない。「片方でいいじゃん」と思ってしまうからだ。

両方にUPする意味は、素人考えとしては、投稿内容を見てもらう確率を高めるため、であると解釈しているのだが、それを踏まえても、ウーン、と思ってしまう自分が居る。もしも全く同じ投稿を行なうのであれば、両方のアカウントをフォローする必要は無いよなぁ、と感じるからだろうか。

そもそも、フォロワーに向けた投稿ではなく、不特定多数の人に投稿内容を見てもらいたい、という趣旨で、両方にUPしているならば、僕の物言いは、的外れも甚だしいのであるが、やはり、自分もそうしよう、とは思えないのが、正直なところだ。

ゆえに、「Instagram」と「Threads」とで、投稿内容を変えているフワちゃんのアカウントは、僕にとって、好意的にうつったわけである。

・・・いや、そんな、辛気臭い表情で、ブツブツと書きたかったわけじゃないんだよ。この項は。つべこべ言わず(お前が言ってるんだろうが)、とにかく、この動画を見てくれよ。絶対、損しないから。なっ?

川島海荷は『アイシテル-海容-』ってドラマで見掛けた時から、「一回見たら忘れないタイプの顔だなぁ~」と思って、”陰ながら推すぜ枠”の一人でもある。フワちゃん、どうもありがとう。ごちそうさまでした。(意味深)


女の子が食べてる姿を見るのが好き

このご時世、「Youtube」を開いて「女の子 ごはん」とかで検索をかけたら、それはもう、山ほどの動画がヒットする。「日本人女性ってこんなに居たんだっけ…。」と、驚愕してしまうほど、若くて可愛らしい女の子が、美味しそうにご飯を食べている動画が出て来る。どないなってんねん。快適過ぎて頭キーンなるでホンマに。(ならない)

ただ、これも、個人的な趣味嗜好の話になるのだが、僕にとっては、”可愛すぎる”ケースが、多々ある。そう。可愛すぎるのだ。みんな。ネット世界に居る人は、なぜあんなに可愛い人しかいないのか。不思議でならない。

僕にとって”可愛すぎる”というのは”嬉しい悲鳴”という意味ではない。「妄想が広がりづらい」という観点で見た時にはマイナスに働くからだ。ゆえに、僕の琴線には触れないことが、度々ある。「顔が好みじゃないからダメ」ならまだしも「顔が可愛すぎるからダメ」というのは、何とも悲しい話である。

どう表現すれば僕の気持ちが伝わるか、手探り状態で文字を打っているのだけれども・・・、そうだなぁ、”生々しさ”とかは、どうだろうか。表現を変えると、”圧倒的素人感”、とでも言うべきか。「あっ、なんか、こういう子、知り合いに居た気がするなぁ…。」みたいな。”既視感”。この感覚があると、妄想が、もう、はかどってはかどって。ウキウキしてくるんだ。分かってくれないかなぁ、この気持ち。

・・・というわけで、もう、お気付きの方も、おられるかもしれないが、この項の冒頭に、リンクを載せたユーチューブ動画は、まさに”俺得”と言うべき動画なのである。

ハッキリ、言ってしまおう。この動画のサムネイルが目に留まった瞬間に、とある元カノを思い出した。元カノと一緒にご飯を食べている時のことを思い出した。顔が似ているというか、どことなく、全体的なシルエットが、良く似ている。目元が、ちょっと違うのかなぁ。逆に言えば、それ以外は、ほぼ完璧だ。良く似ている。アダルト動画の素人モノで出て来たら「やったぜ!」と心の中でガッツポーズすることだろう。

・・・今、また、見返してきた。さっき、目元がちょっと違う、と書いたけれど、確かに、真顔の時の目の感じは、ちょっと違うのだけど、こう、視線を落とす瞬間、というのか、カメラの存在を一瞬忘れたみたいな、焦点がどこにあるのか分からないような表情の時の目の感じは、凄く似ていた。ああいう表情、良く見ていた気がする。「物憂げ」とでも形容しようか。

ああいう表情に、僕は弱い。誤解を恐れずに言えば、心に闇を抱えていそうな、そんな感じ。本人的には、ただ、ボーッとしているだけなのかもしれない。だが、そこは問題ではないのだ。「心に闇を抱えているか否か」が問題ではない。「心に闇を抱えていそうに見える瞬間があるか否か」が問題なのだ。

惜しむらくは、彼女のユーチューブアカウントの最新動画が、3年前で止まっていることだ。こういった、”見られる”ことを、あまり意識していないような、素の感じのままでアップしている「ごはん動画」は、個人的には、希少価値があると思うので、もっともっと、世の女性達は、アップしていただきたいものである。

女優さんがご飯を食べる姿を見るのと、一般人の女性がご飯を食べる姿を見るのは、全くの別物であるということを、頭の片隅に置いてもらえれば、幸いである。

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