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【夢日記】親戚の人が来るのが嫌だったけど会ってみたらそんなこと無かった

こんな夢を見た。

我が家に親戚の方が遊びに来ることになった。僕は「リビングに居なきゃダメ?」と母親に確認してみたが「そりゃあねぇ」と、苦笑いを浮かべながら、やんわりと否定された。

僕は、親戚付き合い、言わば、知り合いだけど仲良くはない、そういう、微妙な関係性の人とやり取りするのは、何をどう話せば良いのか分からいので、会話に窮することが多く、強い苦手意識があった。

親戚で集まる際は、まぁこの人の横だったら何とかやり過ごせるかな、などと、比較的、居心地良さを感じられるポジションを探して、上手く立ち回る術を身に付けている(つもり)ではあるのだが、我が家に来るとなると、話は別だ。

聞いたところによると、僕は、会ったことはあるかもしれないけれど覚えていないだろう、くらいの関係性らしかった。

ということは、まず間違いなく、会話を行うと気まずい沈黙が流れるやつだ、と察して、苦々しい思いで、自宅に訪問してくるのを、リビングで待っていた。

どうせ顔を合わせてコミュニケーションを取らないといけないのであれば、はじめは自室に居て来た後に合流、という運びよりも、最初からリビングに居た方が、すんなりとコトが運ぶだろう、と考えたからだ。

ゆえに、おかしな言い方にはなるのだけれど、内心、何かの手違いで来なかったら良いのになぁ、と願いつつも、やって来るのを待っていた、そんな、何とも言えない時間を過ごしていた。

“ピンポーン”

来た。
来てしまった。

僕の家はマンションなので、まず、部屋のチャイムを鳴らす前に、ドアを開けるためのチャイム、部屋番号を入力して、「家の前まで来ましたよ〜」という、1つ目のチャイムがある。それが鳴ったわけだ。

母親が「は〜い」と、伸びやかな調子で応じる。続いて、「こんにちわ〜ご無沙汰です〜」と、来訪者のお母さんと思われる声が聞こえて来る。僕には聞き覚えがなかった。当然、どんな顔つきの方なのかも、皆目見当がつかなかった。

1つ目のチャイムによるやり取りが終わった。ここからはすぐだ。マンションのエレベーターで僕が住んでいる階まで上がって来て、玄関のチャイムを鳴らす。そこで再び、母親が「は〜い、入って〜」と応じたら、リビングに上がり込んでくる。

いよいよ始まるのだ。
心が通じ合っていない人達と過ごす時間が。

僕は、無意識に、サッと体を身構えるような体勢になった。元来、僕は、そういうところがある。ありのままをさらけ出すことが出来ない相手と、面と向かってやり取りする際は、勝手に、体に力が入ってしまうのだ。これは「悪癖」と呼んでも差し支えないぐらい、毎回決まって起きる現象なのだ。

そのおかげで、初対面の人に「そんな肩肘張らなくていいから。リラックス、リラックス(笑)」などと、優しく声を掛けてもらうことが、しばしばある。

ただ、善意の声掛けに対して、こんなことを言うのも罰当たりかもしれないが、「リラックス、リラックス」と言われると、余計に、体にストレスがかかってしまう。我ながら損な性分だなぁと辟易したくもなるのだが、僕は、そんな人間である。こればかりは、どうすることも出来ない。

ゆえに「ああ、僕が緊張しているのが相手にも伝わってしまって、それをやわらげようと、気を遣わせてしまったんだな。申し訳ないな。」という気持ちになってしまうわけだ。

“ピンポーン”

取り留めもないことを悶々と考えていたら、2回目のチャイムが鳴った。来たか。僕は、腹は決まったとばかりに、(少なくとも自分としては)泰然自若といったテイで、デンと、自分の定位置である座布団に腰掛けて、普段よりも少しだけ背筋をピンと伸ばし、来訪者が、リビングに入ってくるのを待っていた。

1回目のチャイムが鳴った時は「来てしまったのか・・・」と、半ば、落胆にも似た気持ちに駆られていたが、1回目が鳴ったら、当然、2回目も鳴るのは決まり切っているため、今回は、気が滅入ることはなかったのだ。

「お邪魔します〜久し振り〜」

そうこうしていると、親戚の方が、リビングルームにやって来た。僕は反射的に容姿を一瞥した。なるほど。声を聞いた時点で目星は付いていたが、やはり、見覚えが無かった。

年齢のほどは、僕の母よりも一回り下、ぐらいだろうか。アラサーでもなければアラフィフでもない、まぁアラフォーというのが妥当だろう。そんな見た目をしている。

あと、これは余談にはなるけれど、声をパッと聞いた時に、ざっくりと思い浮かべたイメージとは異なり、シュッとした印象が残る容姿だった。可愛いor綺麗の二択であれば、即答で、綺麗系ですね、と断言出来る。

僕は再び「こんな人いたっけなぁ」と、頭を捻った。自分で言うのもなんだが、容姿をパッと見て「あ、綺麗な人だな」と感じる方であれば、記憶の片隅に残っていてもおかしくないのにな、と、疑問に感じたからだ。

まぁ、男ってそういうもんよ。知らんけど。

ただ、敢えて悪く言えば、ちょっと冷たい印象もあるかな、という容姿にも見えた。「クールビューティー」と言えば聞こえは良いが「綺麗だけど思いやりや情に欠けた女性」と言えば聞こえは悪くなる。

そこまで考えて、思い至った。もしかしたら、第一印象から、僕は、後者のイメージが先行していたのかもしれないな、と感じたのだ。パッと顔を見て「あ、ちょっと近寄りがたいオーラを感じるな」と思って、避けていたのかもしれないな、と。

ただ、こうやって、リビングで、僕の母と会話している様子を見ている限り、愛想の悪さであったり、愛嬌の無さみたいな印象は、微塵も感じられなかった。むしろ「姉御肌」みたいな、キップの良さすら感じさせる。つまり、悪いイメージはおろか、むしろ、良いイメージを、僕は抱いたのだ。

僕は、つくづく「レッテル貼り」が、いかに良くないことなのかを思い知らされた。相手のことを良く知りもせず、パッと顔を見て、自分勝手に性格などを決め付けて、あんまり近くに行かないでおこうと、距離を置いてしまうことを。

僕の場合、物心がついた頃には、人間観察を行うのが癖付いていた。それが高じて「こういう人はこんな傾向がある」などといった、自分の経験則に基づいた仮説、つまり、言い換えれば、前述した、決め付け・レッテル貼りを行うのが、常習化してしまっているのだ。

そして、レッテルを貼った個々人に共通する要素を抜き出して、僕の脳内で、一つのコミュニティを形成して、この集団に自分が属する際はこんなふうに振る舞おう、などと、事前の準備に勤しむことだってある。

そう。僕は、各コミュニティごとに、コロコロと、自分という人間を、カメレオンの如く、その集団の風土に適した者として擬態させることを、良しとしているのだ。

「人によって態度を変えるのは良くないよ」

子どもの頃、学校の道徳の授業か何かだったか、そんな教えを受けた覚えがあるのだが、当時から今現在に至るまで、全くピンと来ていないのが、正直な感想だ。

だって、人によって態度が変わるなんて、当たり前のことじゃないか。家族と過ごす自分は、学校のクラスメイトと過ごす自分とは、明らかに異なるわけで。

もっと言うと、クラスメイトを細分化することだって出来る。

メチャクチャ仲の良い人、かなり仲の良い人、普通に仲の良い人、まぁ一緒に居れば世間話はする人、正直一緒に居たくない人、犬猿の仲と呼べるぐらい仲の悪い人・・・。

みんな、意識的であれ無意識的であれ、クラスメイトを、仲の良し悪しなどによって分類わけを行い、この人と居る時はこんな自分、などと、器用に、自分の立ち居振る舞いを使い分けているんじゃないのか。それを、多くの人は、意識しないで行なっているがために、自覚していないだけではないのか、と。

ちなみに、この手の話に引っ掛かりを覚えたり、興味関心のある人は、「分人主義」という考え方に触れてみると、多くの気付きが得られると思うので、ついでにオススメしておく。

コホン。失礼。最後に、話が思いっ切り脱線したのが否めない。なので、夢の内容を、端的にまとめて、今日は終えることにしよう。

「親戚の人が来るの嫌だわ〜と思ってたけど、実際会ったら美人だし、周囲に気を遣わせない愛想良さも感じるし、メチャクチャ良い人じゃ〜ん」

という、なんとも和やかな、良い夢だった。

僕の、まどろっこしい文章のせいで、夢に出て来た親戚の方のイメージまで悪くさせてしまったかもしれない。何から何まで申し訳ない。

ちなみに、親戚の人が、本当に実在するのか、それとも、僕の夢に出て来ただけなのかは、良く分かっていない。そこが一番の問題だ・・・。

有名人で例えると・・・、なかなかに難しいのだけど、顔が似てる、というよりも、パッと見た時の第一印象として、似通ったイメージがあるかな、という意味で、冨永愛さんだったり、黒木メイサさんを連想するかな、というのはある。

あ、今、二人の名前を出して、ある有名人を思い出した。女子バレーボールで活躍された狩野舞子さん。彼女の方が、似てるかも。うん。確かに似てる。そんな気がして来た。

狩野舞子さんって、バレーをやってる姿を拝見している時は、それこそクールビューティーといった感じで、人柄もサバサバしているんだろうなぁ、と思っていたのだけれど、引退後、バラエティ番組などで拝見すると、いわゆる「愛されキャラ」というのか、可愛らしい一面が凄くあって。うん。好き。(唐突な告白)

ということは、狩野舞子似の女性が親戚に居るわけじゃなくて、狩野舞子さんが、僕の親戚として、家にやって来てくれました、と解釈した方が、正しそうだ。

そっかぁ。そうだよなぁ。狩野舞子さんみたいな人が居たら、男連中が放っておかないよな。引っ張りだこになってるよな。僕が認知していないわけないよな。うん。

やっぱり、人生、そんなに甘くはないね・・・。

どこで甘さ・厳しさを感じているんだよ、と、セルフツッコミを入れたところで、今回はお開き。

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