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言葉を沢山知っていても行動に移せなければ無用の長物だ

この時期になると、決まって「新年の抱負」というワードを耳にする。ちなみに僕は立てたことはない。強いて言えば「◯◯歳の抱負」ならば意識したことはある。ただそれも「明確性・具体性」には乏しいものであり、この年齢で大体これぐらいの状態にまでなっていたい、だとか、これぐらいの規模の大きさになっていたら次のステップに進められるな、といった「曖昧性・抽象性」が強いものだった。

「目標を立てるなら『明確性・具体性』が大事だ」という話も良く聞くが、僕は「長期目標・短期目標」で、意味合いは大きく変わってくると思っている。また、いつの期間を短期とみなすか、長期とみなすか、というのも、個人差が大きい部分のように思われる。敢えて言うまでもないかもしれないが、皆に共通する絶対解があるわけではなく、各々がしっくり来る納得解を自ら導き出すことが大切であると、僕は思っている。だから「曖昧性・抽象性」が強いからと言って、それを気にしたことは無い。少なくとも今現在においては。たとえ反対意見をいただいたとしても「アナタはそういう考え方をされるんですね」と、1意見として頂戴するまでだ。

付け加えると、僕が「明確性・具体性」を意識する目標の立て方を行う際は、いわば「超短期目標」、言い換えると「今日一日をどういう風に過ごすのか?」を考える際に用いる。例えば、ToDoアプリ等で今日為すべきことを箇条書きにしたりする(具体性)。量は「これ全部出来たら凄いけどな〜まあ厳しいよな〜」ぐらいに設定する。そして、1日の終わりにどれぐらいクリア出来たのかをチェックする(明確性)。

このやり方は、毎日意識すると正直しんどいので、時間を有効活用して効率的に物事を進めていきたい時など、ちょっとやる気スイッチ押そかいな、というタイミングで用いるケースが多いと思われる。ポイントはToDoの量をどれぐらいに設定するかだろう。多過ぎても少な過ぎてもダメ。「ポンポンと上手くコトが運べば完遂出来る」というラインをまずは肌感覚で掴めるようになることが重要かと思われる。

この感覚は、意識的であれ無意識的であれ、ゲーム感覚でマイルールを決めて作業に取り組んで来た人は比較的容易に習得出来るのだが、目の前の作業にただ集中するスタイルの人は、少々時間がかかるかもしれない。また、合う合わないの問題も出てくるかもしれない。幸い僕は「謎ストイック」を自称するぐらい、マイルールが多い人間であるために、たまたまこのやり方が合った、とも言える。だから、他者に押し付けるマネはしない。聞かれたら「俺はこうやってるよ」と簡潔に説明することにとどめておく。

実は「完結に説明して終わる」が結構難しい。そして、口では「押し付けない」と言っておきながらも、はたから見ると「いやそれ、最終的にアンタのやり方を選択しなけりゃあ『せっかく親身になって相談に乗ってあげたのに』と言いかねない熱量で伝えているぞ。口では『俺に従え!』と 言ってないかもしれないけれど、十分、相手は圧を感じてると思うぞ。もしも自覚出来ていないのであればそれが一番危険だな」と思う場面も散見される。そのたびに、人の振り見て我が振り直せ、反面教師にしなければ、と自らを戒めるケーススタディとして活用させていただいている。

我以外皆我師。反面教師もまた教師。僕がことあるごとに自らに言い聞かせている言葉である。今はパッと思い出せないが、他にも、いっぱい、ある。その中でも、人生の中で、この言葉がダントツで自らに言い聞かせて来たと断言出来るのが、親しき中にも礼儀あり、である。どうやら僕は、よっぽど、親しい相手には礼儀を欠くタイプの人間らしい。三十路を前にしてもなお、改善の兆しすら掴めていない自分が、情けない。

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