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【夢日記】「オムニバス3部作」と形容し難い三者三様の癖の強さ

【1】

僕は、僕を含めた男女4人でドライブに出掛けていた。僕が運転席(現実世界の僕はペーパードライバー)、助手席には彼女と思われるA(高校1年の元カノ)、後部座席には、Y(母が昔から仲の良い女性の息子。家族ぐるみで仲が良い)と、Yの彼女と思われる見知らぬ女性(同世代)が居た。僕達は高速道路を颯爽と走っていた。どこか遠出しにいくのうだ。季節は夏で、海に出掛けるところらしい。車内は音楽が流れていた。僕達が中高生の頃に流行っていた「懐メロメドレー」ならぬ「アオハルメドレー」といったところか。僕は、唐突に「これって宇多田ヒカル?」と、車に居る3人に聞いた。歌声は宇多田ヒカルに思えたが、知らない曲だった。また、運転中で視線は前を見ておく必要があるので、彼らに確認することにした。Yの彼女は「宇多田ヒカル?違うんじゃないの?」と答えた。Aは「えっと、あおいれな、って書いてあるけど」と答えた。僕は、Aの返答に食い気味で「えっ、あおいれなって歌ってんの?」と、驚きながら質問した。Aは「私、良く知らない人(笑)」と答えた。「あおいれな」とは、AV好きなら知らない人はまず居ない、と言い切れるぐらい人気なセクシー女優の、あの、あおいれなである。僕は、Aが「知らない人(笑)」と答えたことに対して、どう返答しようか、と思い悩んだ。僕とAが二人で居るのならば、普通のテンションで「あおいれなってのはセクシー女優でさ〜」と語ることは出来る。そういう話をしたとしても嫌な顔はあまりしない。けれど、車内にはYとYの彼女も居る。僕の彼女であれば、僕がアダルト関連の話を口にしても「下世話な話」と一刀両断することはないのだが、世間一般の価値観では「そんな話を堂々と語るな」だとか「まだ明るい時間帯だぼ」などと制止されることが多い。特に、Yの彼女が居ること、これが最も悩ましい。女性は僕の彼女のAだけ、であれば「彼女の前でそんな話するなよな〜」などと、僕が注意されて、Aは笑って、という絵がイメージ出来る。それならばポンと言えたはずだ。しかし、車内には、YとYな彼女、なのである。だから僕は答えに窮した。時間にすれば数秒だったかもしれないが、僕にとっては、とても長く感じられた。気まずい空気が流れていたわけではないかもしれないが、僕にとっては、脂汗が滲んでくるぐらい、重苦しい空気に感じられた。逡巡(しゅんじゅん)したのち、僕は「あおいれなって、タレントかなんかで、見かけた気がするんだよ。歌手じゃなかったと思うんだけど」と答えた。とりあえず話を合わせよう、という無難な答えを選ばざるを得なかったのだ。するとYの彼女が「あおいれなって、あの、あおいれなだよね?」とYに聞いた。Yは「ああ、セクシー女優のな。歌ってんだな。俺も知らなかった、」と平然と答えた。僕は心の中で「オイッ!」と叫んだ。僕が高速で頭を回して「言わないでおこう」と決断を下した直後に・・・。そんなことを思っていると、Yが「えっ、流星(僕の名前)、あおいれな、知ってるでしょ。絶対お世話になってるでしょ(笑)」と、ぶっ込んできた。僕は心の中で「ああ、もう・・・」と嘆いた。僕は空気を読んで知らないフリをしたのに、それが仇(あだ)となった格好だ。僕は、必死で話を合わせようとしたが、「ああ、その、ゴッチャになったんだな、あおいれな、分かる分かる」と、しどろもどろになってしまった。なんだか僕だけがドギマギしているみたいだ。Aから見ると「普段、いつものテンションでセクシー女優の話とかしてくるくせに、何をそんな動揺しているんだろう?」と思うことだろう。それがまた気になった。車内はあおいれなの話題で盛り上がっている。本来はその話題の中心は僕であるはずだったのに・・・。気忙(きぜわ)しさからカリカリしている自分に気付いた僕は、運転に集中して、クールダウンに努めた。

【2】

僕は小学校の先生をしていた。ある日、自分が受け持っているクラス(学年は分からない。おそらく3年か4年と思われる)の児童が、凄くリアルなエアガンを所持しているのに気が付いた。エアガンとはいえ、当たりどころが悪ければ・・・、とヒヤッとさせるぐらい、しっかりと造られたエアガンだった。僕にエアガンの知識は皆無だが、対象年齢が指定されているのならば、小学3年生〜4年生で使用するのは禁じられているのではないか、と直感的に思われた。そのことを学年主任のY(現実世界では中学の数学の先生&部活の顧問としてお世話になった)に伝えると、Yは「知ってしまった以上、学校側としては何らかの対応をしないといけないな・・・」と言った。エアガンを所持している児童は、学校内では、問題行動等が見られることもなく、どちらかというと大人しくて目立たない存在だった。そんな彼に「エアガンのことなんだけど・・・」と用件を伝えようとしたら、すぐさま何かを察したのか、悪事が見抜かれた子どもの如く、体を小さく、丸くした。その姿はアルマジロのようだった。僕は申し訳なさを覚えつつも「小学生が扱うのは危険だから、ウチで預からせてもらうね・・・」と言った。口ではそう言いながらも、僕は内心、学校が取り上げるのって良くないよなぁ、と思っていた。自分が児童生徒だった頃を思い返すと、学校に没収されて、逆恨みのような状態になっている子や、今度はいかにバレずに学校に持ち込めるか、というゲーム感覚で楽しむ子が居たのを見てきたからだ。そもそも、人間心理として、禁止されたら逆にやってみたくなるという「カリギュラ効果」もある。見過ごすわけにはいかない、という点は同意するが、イコール没収、はどうなんだろうと、教師の立場ながら、思い煩った。しかし僕は、学校の対応に従わざるを得ない立場なのである。僕は、怯(おび)え切ってしまった児童を引き連れて、Yのもとへ行った。するとそこには、スクールカウンセラーのY(地元の同級生。中学は同じ部活だったため仲良くしていた。Yばっかりでややこしい)も居た。学年主任のYは「へぇ、立派なエアガンだなぁ」と、児童に声を掛けていた。頭ごなしに叱り付けるのではなく、努めて明るい調子で、という配慮が感じられる声のトーンだった。しかし、児童は押し黙ったまま。アルマジロのように丸くなってはいないものの、硬直状態にあることは容易に分かった。絵に描いたように、怒られることにビクビクしている、そんな状態だった。正直、見るに堪えなかった。Y(学年主任)とY(スクールカウンセラー)は、お互いに顔を見合わせて、今の状態で相手が心を開いたり話を引き出したりするのは難しい、エアガンの件には直接触れるのをやめて、まずは元気を付けさせよう、みたいなアイコンタクトをとっていた。Y(学年主任)は「この焼き豚の缶詰が美味くてなぁ。ちょうど湯煎したところなんだ。出来立てみたいな美味さだぞ。食べるか?」と声を掛けた。おそらく自動に向かって言ったと思われるのだが、反応したのは、僕とY(スクールカウンセラー)だった。僕が「えっ、いいなぁ・・・」と答えると、Y(スクールカウンセラー)も「ご飯レンチンしてきていいですか?」と答えた。児童は硬直状態のまま。Y(学年主任)は、自分が思い描いた結果にはなっていないはずだが、そのことで声を荒げても意味は無い、むしろ逆効果だと判断したのか、「確かに米と合うだろうなぁ。ようし、一緒に食べよう」と言った。そして、僕達3人は、缶詰の焼き豚を美味しそうに頬張った。確かにご飯との相性はバツグンだった。1パックのレンチンご飯は取り合い状態となった。児童は依然、硬直状態を続けたままでありながら、僕達は、目先の食欲に夢中になっていて、全く気にする素振りが無かった。僕自身、焼き豚とご飯を食べるまでは、あんなに気を揉んでいたのに、今となっては「美味しい」で脳が満たされて、児童のことは(一時的とはいえ)どうでも良くなっていた。僕は人間の三大欲求がいかに強大であるかを思い知らされた。

【3】

僕は自宅に居た。僕はひどく眠かった。僕はひどくお腹が空いていた。やらなければならないことがあまりにも多過ぎて、自分の睡眠欲と食欲を満たすことに手が回っていなかった。人間、こういう状態に陥ると、性欲の優先順位は一番低くなるのだなぁと、思った。やらなければならないことを片付けるために、ひたすら手を動かしながらも、頭は全く別のことを考えていた。女に現(うつつ)を抜かす。あれは大変幸福なことだ。人間、何かに追われていると、それどころの騒ぎではなくなるらしい。街で歩いていて、ふと目に入った女性が自分のタイプで、思わず後ろを振り返って二度見をする。横に恋人が居ようものなら「また別の女をジロジロ見て!」と怒られることだろう。しかし「女に現を抜かせるということはそれだけ幸せな証拠なんだね」と言われたらどうだろう。ハッとして、この恋人は真理を心得ていると、惚れ直すことだろう。世の女性諸君、惚れっぽい彼氏が居たら、どうか、怒るのではなく、幸せを分かち合って欲しい。そんなことを思っていると、何だか楽しくなってきて、一人、口角を上げていると、不意に男の声がした。「おい、サッと食える飯を作ってくれ。何でも良い。空腹さえ満たせれば」。ぶっきらぼうな口調で、一方的に要求を押し付けて来た。また、やらなければならないことが、一つ増えたらしい。僕はもう限界だった。僕は、相手の方を見もせず、しかし、相手の耳に聞こえるようなトーンで、「やはり己も愛さなければいけない。己を嫌って、あるいいは己を虐げて人を愛するのでは、自殺よりほかはないのが当然だということを、かすかに気がついてきましたが、しかしそれはただ理屈です。自分の世の中の人に対する感情はやはりいつもはにかみで、背の丈を二寸くらい低くして歩いていなければいけないような実感をもって生きてきました。」と言った。太宰治『わが半生を語る』に出て来るフレーズである。相手は、先ほどのぶっきらぼうな口調とは打って変わって、「・・・どうした?どういうこと?」と、素っ頓狂な声を上げた。僕は、これ以上無い想定通りのリアクションだったので、何だか楽しくなってきて、一人、口角を上げた。相手はますます自分のことを奇っ怪な人物であるように見て来た。それが面白い。僕は相手に卵かけご飯と海苔を差し出した。あれだけ腹が減っていたはずなのに、不思議と、自分も卵かけご飯が食べたい、という気持ちにはならなかった。人間、口角が上がるような出来事があると、一時的に三大欲求をセーブすることが出来るらしい。とはいえ、この口角の上がり方は「ニコリ」よりも「ニタリ」と形容するべき笑い方なのであるが。

【P.S.】

起床後、あおいれなのWikipediaを拝見したら、肩書きが「日本のAV監督、元AV女優、歌手」となっていた。僕は今も現役で活動されているとばかり思っていた。「略歴」によると、2021年いっぱいでAV女優は引退しているらしい。お疲れ様でした。両手で数え切れないぐらいにはお世話になりました。AV監督としてもご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。・・・っていうか、歌手の肩書きもあるんかよ。これって正夢?なの?知らんけど。宇多田ヒカルと歌声似てたら、いよいよもって、やな。知らんけど。

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