幸せ学 第30回 健康じゃなかったら元も子もない
心と身体は繋がっている。どっちが大事?ということはなく、どっちも大事である。
心の調子が悪ければ、病気になる。多くの病気は、無理から来る心身症なんじゃないかと思う。
病名がつかなくて解明されていないものの多くは何かしらのストレスからきているだろう。
心が健康でも病気ガチ、という人を見たことありますか?
楽しいことしかしてない人が鬱になんかならないし、他の病気にだって、まあかかりづらい。だろう。免疫力が強そうだものね。動物としての力が強そう。
鬱とかメンタルで病んでる人は、生きている視野の範囲が狭い。
テストの点数が悪いことを怒られて死んじゃった学生さんなんて、自業自得かもしれないけど、とても可哀想である。家族とか教師とか、周りの大人が、もっと広い視野を見せるべきだった。きっと周りの大人もそういうことをわかっていないアンポンタンばかりだったのでしょうから、気の毒である。
世の中には、テストなんかしてなくたって、引きこもっている人もいれば、柔道しかしていない人、野球しかしていない人、テストをしているけど点数が低い人など、さまざまな人がいる。
それぞれみんな立派に生きているじゃないか。周りの人があなたはこうしなきゃダメだ、とか、我々はこうして生きていくものだ、はみ出すことは許さない、なんて感じだから、行き場がなくなって苦しくなってしまう。
視野を広く持つ教育を、大人の人は意識して欲しい。テレビ番組の激レアさんだとか、プロフェッショナルだとか、各種ドキュメント系など、エンターテイメントとしても楽しいけれども、人生の教訓になるようなコンテンツは多くある。自分の人生に、子供達の人生にフィードバックしてあげてほしい。
話は変わるけど、心が健康だろうが、身体病気だと、それはしんどい。痛かったり苦しかったりを日常感じることになり、活動ができなくなってしまう。
人間は初めから寿命が決められており、現在は平均寿命80超。仮にいくら温室で生きていたって、100歳もすれば死ぬ。
健康寿命なんて言葉もある。うちのお父さんは75あたりで呆けてしまった。自分は何者何かはわかっているみたいだが、もう誰が誰だかはわかっていないみたいだ。
コロナ禍でなかなか会えずにいたのだが、先日久しぶりにあって、我が家に泊まった時のこと。夜中、寝言というか、もう起きていたみたいだけど、猫に「いつでもやってやるからな」みたいなことを普通に人に話すように話していた。実家に猫はいないから、なんか新しい刺激なのかなんかわからないけど。
そんな感じでうちのお父さんはもう、過去の記憶と現在の刺激が入り混じり彷徨いながら生きていくだけである。
そのまま楽しく逝かせてあげたいと言っていた弟は、いいやつだなと思った。
まあそんなわけで、そうなったらもう社会貢献とか自己実現とか、そういうものからは外れてしまっていて、自律なんてできないし、それは仕方がないことである。人間だもの、である。
食事、睡眠、軽い運動など、身体が健全で病気をしないように気を配るのは大事なことだと思うが、これはまあ普通の人は普通にやっているだろう。
それよりも、心の健康。これは、自分の心に対して、主体的でない方が多くいらっしゃるような気がしてならない。
以前、自分軸・他人軸の章でも話したかもしれないけど、自分の人生を主体的に生きること。他人に気を使いすぎないこと。
逆に自分勝手すぎて、他人のことを気にしなさすぎても生きづらいから、客観的に自分をみて、バランスを取ること。
心の健康も保つことで、身体も健康で、ずっと自分らしく生きていこう。
そういうわたしは在宅勤務で一歩も外に出ない日もあり、
もっと身体にも目を向けた方がいいかもしれないな・・・