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幸せ学 第28回 投資なんてしても幸せにはならない

大学生の頃、ネットワークビジネスが流行って、地元が同じで名古屋に来ていた某国立大学の友人に誘われて説明会に行き、3日悩んで、お断りしたことがあった。そのお友達は退学させられたとのこと。今はどうしているだろうか。

その後も別のネットワークビジネスなり、FXだとかなりに誘われ、やって損したり、やらなかったりした。


日本でお金が使われるようになったのは10世紀かららしい。平安時代、源氏物語が書かれるちょっと前のこと。
人類6千万年の歴史からするとつい最近と言っていいかもしれない。

今現在、お金を多く持っていること、お金を稼ぐことこそが人間にとって大事!なんて思っていやしないだろうか。お金に囚われているというか。

そもそもお金なんてない時代から人類は命を紡いできて、最近人間が作ったものなんだから、お金が大事じゃなければならない、なんて思う必要はない。コンピューターと一緒で、現代に生きるためには必需品だが、それが人間にとって大事かというと、そんなことはないものである。


お金は「何にでも交換できる」「保存できる」「物差しになる」ということで便利なのだが、あくまでお金はツール。いいお金も悪いお金もない。

今、お金が生きるためには必要なのは確かだと思うが、お金が、というよりは、お金を稼ぐ力が必要であるように思う。


お金ができる前は物々交換をしていただろう。1人でサバイバルするよりも、集団の方が効率がいいし、生き残りやすい。集団、組織の中で、それぞれの役割を負い、持ちつ持たれつでみんなでいきていく。

多種多少な性格性質の人が生まれ、それぞれにあった仕事を組織のために行う。
お魚を獲ってきてくれてありがとう。料理をしてくれてありがとう。
それぞれ素直にありがとうと言える。それがシンプルな愛の循環。気持ちが良い。

お金はあくまでその橋渡しのツールとして使えばいい。


いろいろな技術が進歩して、世界のお金の9割はデータになってしまった(たしか)
コンピューター上のデータそのものは、どこかの電子記憶媒体にイチゼロで記録されたものでしかなく、それが直接お米に変わったりはしない。


今、いろいろなビジネスが営まれ、きとこの瞬間も新に生み出されていると思うけど、人がただお金を稼ぐためにデザインされたものは、誰が得して誰かが損するようなものも多い気がする。誰かが損するものも多い気がする。大事なことなので2回言いました。

そこはシンプルに、集団のためになるものを自分が生み出し、それを提供できる自分であること。提供することで、ありがとうと言ってもらって、嬉しい。
また周りの人からも各種サービスの提供を受け、ありがとうと言う。
そこに立ち返る、とでも言うのだろうか。それができる環境に身を置く。


お金なんかに囚われない。
投資で得たお金も自分が稼いだお金も同じは同じ。お金にお金を稼いでもらう。みんなそうしてるからそうしなきゃ、と思うのもいいけど、自分の幸福感を考えた時には、シンプルな物々交換に身を置いた方がいいとわたしは思う。


円安で、年初は1ドル115円ぐらいだったのが、135円になっている。半年で10%近くも安くなってしまった。
老後のために2000万貯めましょうなんて政府が言っていると思うが、半年でそんなに価値が落ちてしまうもの。

だからと言って必要以上に怖がる必要はない気もしている。昔に比べて飢えなくなったのは確かなんだもの。


お金のために生きているんじゃない。
やりたいことを経験するために生きている。

お金を貯めるのではなく、いつでもお金を稼げる、価値を提供できる自分であること。

そのために、自己投資をする。
他の人に比べて自分は辛いと思わないことが自分に向いていることだから、そのことにエネルギーを注ぎ、実力をあげること。
それを社会に提供し、ありがとうと言ってもらい、お金をもらう。
もらったお金で、美味しいものを食べ、好きな服をきて、映画をみて感動する。
そういう循環をしよう。それがハッピーだよ。

その循環ができてから、投資をしたかったらすればいい。優先順位を間違えちゃいけない。

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