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幸せ学 第20回 他人は基本的に自分のことしか考えていない

わたしはカラオケが趣味で、中学生の時には1曲歌うのに100円入れるタイプのカラオケやさんで米米クラブとかを歌っていた。大学で名古屋にきて、そのころインターネットが流行り出した頃で、カラオケのネットサークルに参加し、カラオケを通じて仲良くなった。
カラオケをするなかで、気づいたことってとてもたくさんある。

カラオケ仲間とともに、とあるカラオケ喫茶によく行くようになった。客層は、若者層とおじいちゃんおばあちゃん層がだいたい半々。けっこうめずらしいと思う。普通の店よりもちょっと大きめで、二階席もある。音響がよくて、気さくなママさんはいつも笑顔。
そのカラオケ喫茶では年に2回「歌謡祭」が開催される。それぞれ1曲か2曲かをエントリー。多い時で50人ぐらい。曲順はママさんが決めて、プログラムも作られて、その日は朝から夕方までずーっと誰かがステージで歌う。お昼のランチは店の前の定食屋さんで食べるのがお決まり。

歌謡祭というだけあって、気合いの入った衣装で歌う人も結構いらっしゃる。素人のど自慢の雰囲気、といったらわかりやすいだろうか。

歌が好きでうまいひとが集まって、しかも50名ともなると、知らない人もまあまあいるわけで、参加したてのころはとてもとても緊張した。自分の番の数曲前になると、緊張で血の気がひいたり、震えたり、時にはお店の外にでて店の周りを歩いたり、歩いた途中で吐いたこともあった。なぜそこまでして歌を歌うのかはわからないけど、なにか駆り立てられるものがあった。

そんな大緊張の歌謡祭なんだけども、ある時、2階席でみることがあった。
2階からは、ステージもよく見えるけど、お客さんもよく見えた。
そこでわたしはなんとなくお客さんを観察していた。

そうすると、なかなかの人間模様で面白い。

基本的に、人の歌は聞いていない。

50名ぐらいいると、仲間グループがいくつかある。
その仲間が出ている時は、応援したり、写真を撮ったりと、比較的熱心にみている。
それ以外の場合は、歌い始めと歌い終わりの拍手はするものの、ステージを見ずに仲間内でおしゃべりしていたり、スマホ見てたり、ひどい時は外に出て仲間内でしゃべったりしている。(長丁場だから気持ちはわかる)

歌がとびきりうまいプロ級の人が何人かいて、その方の場合はみんなステージをみて、歌を楽しんでいる。50人で10人もいないんじゃないかな・・

みなさん、自分の歌の時は大体は緊張している。衣装に着替えたりメイクし直したり。
そして緊張した面持ちで歌う。もちろん、わたしもそうだ。


めちゃめちゃ緊張するわたしは、どうやったら緊張しないのか?を考えたかったのか、その状況を客観的にみた瞬間があった。
わたしがステージで歌っている時のお客さんはどんな感じになるだろう?
そうすると、誰もわたしの歌なんて興味がない。(基本的には)
そりゃその日は朝から晩まで歌を聞いているんだから。特別うまい人のは聞きたいと思うだろうけど、そうじゃないときは省エネしたいだろう。省耳とでもいいましょうか。

わたしだってそう。わたしがお客さんの立場の時も、全員の歌なんか聞いちゃいない。同じステージに立つ人をそれぞれ応援してあげたいし、マナーは守りたいと思うから、一応1曲ちゃんときく体をとっていたけれども、おトイレに行ったり、練習で外に出たり、そういうことは普通にする。わたしだってぜんぜんそう。
お客さんとしてみているわたしは、とてもリラックスしている。気楽に、この人は歌がうまいな、とか、選曲変だな、こここうしたらいいのにな、などと、好き勝手に考えている。

そんな、わたしも含めたお客さんに対して、何を吐くほど緊張する必要があるんだろうか。
お客さんはわたし同様好き勝手なことを感じて考えていて、時には聞いていない。スマホ見てたりする。

そんな人々に対して、何をどこまで緊張する必要があるんだろう?

と気づいた時があって、そこからはあまり緊張しなくなった。失敗が怖かったけども、実際にたくさん失敗して、失敗した時もみんな笑っていたから、そんなに恐ることはなくなった。


不安なのは、わからないから、と以前の回にも書いたと思う。
たくさん人がいて、どう思われてるのかわからなくて、怖い!とわたしは思ってたのかもしれない。けど、結局はひとりひとりの集合体。
ひとりひとりがどう考えているかは、ひとりひとりの事を想像するとなんとなくわかる。その集合ということは、もうだいたいわかる。わかれば、こわくない。不安じゃない。あとは、どうそれをどうしたいか。どう、攻略するか、に悩みは変わる。

あの頃はただただ緊張していた。理由なく。理由をみてなかった。
失敗が怖い。失敗したらどうなる?わからない、から怖い。そんな感じだったんだろうか。

ひとりひとりを想像することで、不安がなくなった。そして、失敗が怖い、というところから抜け出し、何のために歌うんだろう?ということを考え、ここでわたしはどうしたいのか?にフォーカスした。

わたしは歌を聴かせれるタイプじゃない。朝から晩までの長丁場。自分もせっかっくステージに立つのだから、なにか盛り上げれるといいな!と思い、まずは衣装を用意した。Queenを歌う時に裸に見えるTシャツを着たり。女装したり(ママはなぜか女装が好きだった)。歌を聞かせるというよりは、魅せる方、笑って頂く方にシフトさせた。DAPUMPのUSAの踊りを覚えて、踊りながら歌ったり。曲の後半かならずばてるので、そこはそこで笑いになった。

そんな風にして、小さな街のカラオケ喫茶で、わたしの立ち位置が確立されたのである。なんてまあ、たいそうな話でもないんだけども。


人は自分のことしか考えていないもんよ。
だから、ちゃんと言おう。ちゃんと伝えていい。そもそもちゃんと伝えないとわからないし、もっと言うと、ちゃんと伝えても、わからない。わからなくて当然。それが普通。ちゃんと言ったのに!とかね。言ったからって伝わっているとは限らない。伝わるのが当たり前と思っている認識が間違っている。

勇気をもって伝える。
伝えても変わらない場合は、何をどう変えたいのか戦略を練って、行動する。
特定の誰かに問題があるとしたら、周りを巻き込んで解決できないか?
周りも無理そうなら、自分がその場所を離れた方が良いか?
離れる場合、社会的制裁、社会的補償、支援者はいないか?
など、調べたり、調整したりしよう。

自分の問題は自分で解決する姿勢。自分のハンドルは自分で握る。
自分のハンドルは誰も触れない。
走っている道は、自分の周りの環境。でこぼこなのか、高速道路なのかわからないけど、その道は基本的に自分では変えれない。
行き先を決めるのも、どう乗り越えるか決めるのも、最終的には自分だけ。
相談はできても、ハンドルはわたせない。

道の状況をよく見て、どこに行きたいのか定めて、
楽しくドライブしていきましょう。

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