入る前と同じ服装、入る前とは違った彼女の顔。
子供の頃は、20歳を過ぎれば大人になれると思っていた。
20歳という基準が、単なる法的な成人の基準に過ぎないのだと気づいたのは、実際に自分がその年齢になってからだった。
どれだけ歳を重ねても、年甲斐もなく自分勝手に感情的になり、心は戸惑ってばかり。子供の頃に思い描いた年齢になっても、理想が僕らの邪魔をする。
そんな僕にとって、『20歳』という刹那的に過ぎ去っていく1年間は、1つのエポックメイキングだった。
・・・
春から夏に変わっていく。
季節のグラデーションが僕はどうにも苦手だった。
あの物寂しさにはどうにも慣れない。
もし将来、海外へと転勤にでもなるのであれば、春が終わらない国へと異動になりたい。
思春期のロスタイムを惰性で過ごしているような僕が旅を始めたのは、ある意味必然だったのかもしれないし、日常が戯れに作り出してしまった余白だったのかもしれない。
「なんとなく海が見たかった」
そんな一言で始めてしまえる非日常を何度も繰り返す。通い慣れた駅の出口改札を変えてしまうだけで始まってしまうような『新鮮さ』を、幾重にも積み重ねて出来た思い出の丘をゆっくりと増やしていく。
それぞれの世界で、それぞれの生き方。
『十人十色』という言葉の意味すら理解できていなかった僕は20歳。
薄暗い路地裏では怒鳴りあう声が響き、裸足の子供がマネー、マネーと袖を引く。高層ビルの隙間にすら、家を持たない人の生活はあり、ゴミと埃にまみれる穴だらけの道路で、小学生にもならない子供が煙草を売り歩く。
長く旅をしていて、失望もしたし、無力さも痛感した。
それでも、旅を終わらせてしまうことはなく、2度と訪れることがないかのように土地を満喫し、永遠に住むかのように土地の人と酒を酌み交わした。
・・・
「この太陽は私たちを殺しにきてるね」待ち合わせ場所で合流するなり、彼女はそう呟いた。
その年の夏、ひと回り以上歳上の女性とデートをした。
6月だというのに、30度を超えようかというカラッと晴れた日だったのを覚えている。
若々しく小柄だが、幼さを全く感じない。
大人っぽくて綺麗な人。
甲斐甲斐しく働きながらも、女手ひとつで子供を育てる女性は、当時の僕にとって、それが『大人の女性』のように思えた。
僕が彼女に惹かれたのも、きっと大人の女性への憧れのようなものもある。
街に出かけた。
所帯じみた会話をしながら、食事をし、行く宛てもなく路地を徘徊する。
なんとなく『それが大人なのか』と心の中で思い始めていた。諦めに近い、覚悟していた感情。
服屋の前に差し掛かる。飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出ていた。
そのうちの、すそが朝顔の花のように広がったフレアースカートに目に留まり、僕は彼女に「着てみれば?」と提案する。
「もうこんなの履ける歳じゃないよ」と言う彼女の手を取り、きっと似合うからと試着室へと押し込んだ。
何故かはわからない。
けれど、似合うという確信があった。
試着室から出てきた彼女は、照れくさそうな
でも嬉しそうな『女の子』の顔をしていて
僕は初めて、彼女のことを「綺麗」ではなく「可愛い」と思った。
服屋を出る。
入る前と同じ服装、入る前とは違った彼女の顔。
心地の良い沈黙。
どちらからともなく手を繋いだ。
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「大人になる」とはいったい何なのかと考える。
あの時の彼女の年齢に追いついた自分を想像できない。
愛も変わらず思い通りに成長できず、大人になれないと嘆いているのかもしれない。
それでも、試着室から出てきた彼女の顔が『女の子』であったように
歳の重なりがもたらす法的な基準そのものが大人ではないことは今の僕には少しだけ理解できる。
求めていたものとは違う何かを、それでも大切だと握りしめる。
見続けている夢を諦めきれずにいて、かけ離れた今を捨てきれずにいる。
曖昧な言葉で騙しきれない本心を、帰り道の寒空へため息とともに逃がす。
僕らは、人知れず戦っている。
悟ったふりして諦めて。忘れたふりして期待して。
不安は絶えず、道は険しい。それでも僕らは進む。
・・・
25歳。
社会人になれば何かが変わると思っていた。
漠然と憧れ続けた父や祖父の姿があった。
自分を取り巻くすべての環境に対して自分の信じる道を進み、ひとりでどこまでも歩いていく姿に憧れた。
でも、どれだけ歳を重ねても『大人』にはなれず。
歩いた道には、少しばかりの後めたさと
年齢分の後悔ばかりが横たわっていった。
多くのことを求めて、いろんなことを期待して、
それを叶えたわけでも、もちろん諦めたわけでもない。
無我夢中で生きてきた中で、出会った仲間たちがいる。
今を、そしてこれからも共に居たいと想える恋人がいる。
本気で賭けたいと思える仕事に出会えた。
別に悪くなかったと胸を張れる。
不安に押しつぶされそうになりながら、それでも挑戦し続けたい。
弱いときにもちゃんと笑って話せる人に、強いときにも目の前にいる誰かの気持ちをしっかり考えられる人になりたい。
そういえば、あの日の別れ際に彼女は言った。
「ウィンドウショッピング、良い前戯だったね」
彼女の自由な発想は、誰よりも大人に思えた。
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