祖父の自伝(20)〜招集令状と空襲と敗戦(後編)
私の祖父
ぶどう狩りのマルタ園初代園主、
中根武雄が生前書き残した自伝です。
時代の転換期である今。
改めて読み、時代のルーツ
自分のルーツに思いをめぐらして見たいと思います。
↑前回からの続きです
第三部 軍隊生活と青年学校
軍隊生活 その十
招集令状と空襲と敗戦(後編)
8月2日名古屋師管区 歩兵第三補充隊に応召 追撃第十四大隊第二隊に編入。
大隊本部は正木国民学校に、第二中隊は竹鼻国民学校に駐屯することになった。
全くの新設部隊である。
中隊長は予備少尉。
小隊長は未だ赴任せず。
人事係は現役曹長。
指揮小隊は予備下士官。
二分隊長は下士官勤務付兵長。
四兵隊は補充兵。
又国民兵の30歳以上が多い様である。
中でも目に止まったのは42歳の国民兵のおっさんである。見るからに可愛そうと言うか気の毒と言うか妻子のある身には変わりない。同情してかばいたくなる様な気がした。
毎日兵器の受領、馬具の受領と身支度である。
6日笠松競馬場にて、軍装検査動員完結し中隊長が中尉に。指揮小隊中根伍長が軍曹に、分隊長四名がそれぞれ伍長に任官した。
いよいよ本格的な教練が始まるが、未だ小隊長は来ない。独身の分隊長は張り切っているが、俺は同じ様に妻子を持つ身で内心が分かる。同情が先に立って現役兵の当時の様になれなかった。
8月15日。
将校一、下士官一、兵三、陣地偵察の命令、岐阜駅に集合した。
時間が過ぎても一向に出発の気配がない。どうなっただろうと待っていると突然に日本が戦争に負けたと駅の中は大騒ぎとなる。
中隊に戻る。皆んな顔色はなく茫然(ぼうぜん)としているのみ。口も聞かない。命令のない限り家にも帰れない。毎日おざなりの衛兵と使役は続く。
幸いにも駐屯している学校に米砂糖、航空糧食等保管がしてあり、衛兵が警備をしていた無条件降伏のどさくさに紛れ、ある時衛兵指令に管理責任主計将校が保管台帳は焼いてしまった。
米を分けて欲しいと言って来たとやら後は自由である。
兵隊の中には色々と特徴を持った人がいる。米と牛、砂糖と豚それぞれ交換し校舎の裏で焼いて食べさしてもらったこともあった。
兵隊最後の思い出である。
25日武装解除。
昭和20年8月軍令陸甲第百十六号により9月3日召集解除。
岡崎以東35名輸送指揮官として帰還の命令が出た。
何もかも全部が終わった。
古希の思い出四部へ続く
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