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親世代は30年古い。そして息子からしても然り。欲しいのはありがとうという言葉。

こんばんは♪今日もお疲れ様です、
そしてお読み頂き有難う御座います。

親→私→息子は30年の時がある。
そして親の世代は私から見たら30年古く、子供の世代から見たら私は30年古い。

そんな当たり前のことだけど、忘れがちなことを感じています。

だからいい塩梅で、次の世代へバトンタッチしていくことが大切だなぁと思います。

相変わらずの父と兄の関係。
いわゆる緊張関係。

兄に奇跡が色々起き始め、自分の心の在り方が世界を創ると言うことが、少しずつ腹で分かってきたと申しております。

しかしながら、どうしても父に会うと恐れが沸く。怒りの感情が沸く。
父は、昔から高圧的な口調で人を呼びます。

「やい!〇〇(名前)」
そしてその後決まって小言を言います。
「これ、何々しておかなきゃいかんじゃないか!」

だから、父がそばに来ただけで、私も兄も萎縮し嫌な気分になってきました。

私は、次男なので家を離れ結婚し家庭を持ち、父のその呪縛から解けたように思います。少なくとも兄よりは。

しかし兄は50を超えて尚、緊張し萎縮し、その反撃として怒りを露わにします。

この前もついそんな出来事があったことを兄から聞きました。

果たして私にできることは
あるだろうか?

兄の話を聞き書きまとめると。

①先ず挨拶から、できれば笑顔の挨拶から話しかけてほしい。やい!とか言われたくない。

②小言を言わないで見守ってほしい。

③ありがとうとよくやってると、一言でも言ってほしい。

そんな感じ。

小言、親、言われたくない
で検索したところ
精神科医の樺沢先生のコラムが
ヒットしました。

親は30年古い。
そして親が小言を言うのは、
子供に苦労をかけてほしくない
親なりの愛である。

だから返答としては
「アドバイス有難う。」
これでようやく親としては、コミュニケーションが成立する。

で、内容としては古いので
スルーで良いと。
あくまで親目線はこうであると。

それで兄はやっていこう。
小言に関しては、弟である私が取り持つよと。
2人は事業主でもあり、一つクッションを置いた私が取り持った方が賢明ではないか。
そう兄と話しました。

人に悪さを求めず、システムに悪さを求める。

最近ことあるごとに反芻している、
西野さんの言葉です。

あいつが悪い。
あいつのせいだ。
そんな事を言っていては
いつまで経っても変わらない。
それよりも、そうさせてしまっている仕組みを見直そう。

早速私は父のところに行き、
先ずは挨拶し、いつもありがとうと感謝を述べ、ところでと兄の話題を切り出す。

先程述べたことを、
順を追って伝える。

父は、頷きながら上がってくか?
と家に招く。

そこで父、母、私と座を共にして
色々と話したのです。

父の威圧的な挨拶について
一言余計なとこについて

そういう人を傷つけるところがあるよということ。

父は首を傾げながら、そんな強い口調だかなぁ?と。
母も加勢に入り、昔っからそうだよ。と。

目的は、この農園の理念
(先程、兄と妻と思いを一文にまとめた)

農業を通じて
みんなの丸い笑顔が
集まり続ける場所であり続ける

ここに在るために、先ずその口調を直して、その理念で一員として
共にやっていこうよと。

父も、納得された様子。
そして何かあったら
どんどん言ってほしいと。

そんな父を見て母は
お前の前だと都合良いが
絶対すぐ忘れるよと。
笑っていたが笑笑

確かにまたすぐ忘れて小言を言う、
やい!と言うかもしれない。

しかしその度に
また私が出ていけば良い。

父の口調は父の親譲りの口調であった。しかし祖父は父が家督を継いだ後一切ぶどう作りに、小言は言わなかった。

そう父が思い出していた。

そして父は祖父からありがとうと言われたことが無いのかもしれない。
だから長男にありがとうと
言えないのかもしれない。

次の世代へバトンタッチしていくことの奥深さ。

私にとっても息子たちからしたら
30年遅れの親である。

何度も父のように頭ごなしに叱ってしまい、反省して小言を言っては、また反省して今現在に至っている。

親と私と息子。

30年の時は違えど、人としてリスペクトするところは大切にしていこう。

なんなら息子に敬語を使ってもいる。

そんなことを私は父から学び、
そのことを父に話せ
分かち合えた。

そんなひとときでした。

まっ、肩ひじ張らず
そんなこともあるね位に気楽に
いきましょう!

お読みくださり有難う御座います。
よき日をお過ごし下さい。

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