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一日中動かない、動けない

コロナワクチンの副反応で、今日はずっとダウンしてました。
ようやく熱も下がりはじめ、少し元気になったので、昔の病み期のとある一日のことを書こうと思います。

タイトル通り、本当に全然動けなかった日があるんです。

それは、どこか悪いとか痛いとかではなくて、単純に動く気力が湧かなくて、部屋の真ん中でずっと座ったまま”ぼーっと”過ごしていました。

何もしたくない、何も考えたくない、でも実は頭の中ではぼんやりと考え事をしていて、気づけば10時間くらい動かず考え事をしていました

・・・健常者から見ると、どう見ても『異常』な状態かもしれませんが、うつ症状出ていた頃は割と頻繁にこの状態になっていて、それがおかしいこととは思っていなかったんですよね。

おかしいとは思っていなかったんですけど、時間を無駄にした後悔だったり、なにかしないとなっていう焦りだけが積み重なっていって、それでまた悩んでしまうっていう悪循環

ひとりでぐるぐる考える時間が増えて、それで動けない日も増える。

自分がどんどん嫌いになって、『こうあるべき』っていう自分のイメージからかけ離れていって、全てがどうでもよくなる。

いや、どうでもよくなるというか、どうでもいいと思うことで自分に失望する気持ちを止めたかったって感じですね。

本当は、良くなりたかったし、動きたかったし、”普通”になりたかったんです。

でも、うまくいかない現実があるから、自分をどんどん嫌いになって、うまくいかない現実を諦める。諦めたフリをしていました。

病院で処方された薬を飲んでも、気持ちは少し和らぎますが根本的な解決にはならず、心に深く楔は打ち込まれたままでした。


この時は、ほんと『無』でしたね。
今思い出しても、ただただ虚無の感情だった気がします。

絶望感とかはなくて、虚無感。
(いや、もしかしたら絶望感を無視しただけかもしれません)

感情を殺していたので、ただ『無』な自分がいただけなんです。

過去を振り返れば、この無意味な時間の意味を問いただす自分もいますが、この『無』な期間があったからこそ考えられることもあると思ってます。

もちろん、それは微々たるものかもしれません。

でも、自分の思考の変化だったり、この期間の自分と比べて今の自分の充実度を感じることができたり、自分の価値観のひとつになれたのかなって思ってます。

だから、今、同じような症状に悩まれている方が、もしこの記事を読んでくれていたら、そこに意味はあるんだって思ってほしいんです。

仮に今すぐに脱却は無理かもしれないです。
でも、この時間も無意味ではないんだって思ってほしいんです

あくまで僕個人の価値観ですけど、僕は本気でそう思っています。

そろそろいい文字数なので、今日はこのへんで。
今日伝えたかったことは、何も出来なかった時間も無意味ではないんだよということです。

それが財産になる、とは言い切れませんが、自分の価値観の一部になることは間違いないです。

だから、全部が無駄じゃないって思ってほしいです。
読んでいただき、ありがとうございました!


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