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お醤油発祥の地

会社経営・心理カウンセリング・教育コンサルタント・人材育成(ヒューマンリソース)講演家、りゅうこころです。ryukokoro

歴史の残る街・熊野古道

熊野古道の小道はゆっくりとした時間の流れる「歩くのに素敵な所」でありますが、ここが宿場町だったという事はご存じでも「お醤油発祥の地」というのはなかなか知られていないみたいです。古くは『蟻の熊野古道』と言われるほど賑わった宿場町ですが、現在では静かな趣深い佇まいの歴史が残る街となっています。

江戸時代にはここからお醤油(湯浅醤油)が全国に運ばれていて、現在においても醤油蔵が並ぶ景色には醸造の町であることを伝えています。そもそもお醤油ってどのように出来たのでしょう。湯浅の醤油は鎌倉中期のお坊さんであった覚心という人が金山寺味噌の製法を伝えた事により始まったと言われています。

お醤油が出来るまで

野菜の細切りを漬け込んだ「嘗め味噌」で、醸造の際に樽の底に溜まっていた液体を煮炊きに使ってみたところ『これはうまい!』となったところが始まりだそうです。捨てずに使うところがすごいですね。そこから紀州徳川藩のもと、お醤油と金山寺味噌の産地として栄えました。一時期は醤油蔵が92蔵もあったほど栄えていましたが、近代的なお醤油メーカーの大量生産には勝てず、だんだん衰退していったと言われています。そんな中、何度も困難を乗り越えて湯浅醤油の伝統の味を守り続けているお醤油蔵が『角長』さん。何でも原材料、製法は江戸時代と変わらないというのだから驚きです。

天然酵母の濃い口醤油が特徴だそうで、残念ながら蔵の見学は出来ませんが、醤油資料館で歴史を学ぶことは出来ます。こんなこと、幼い頃に知っていたら自由研究の題材にしましたよね。

大人の楽しみ

ここからは大人だからこそできる贅沢な時間。和歌山ご当地グルメといえば「生しらす」です。たっぷりと生しらすがのったアツアツのご飯に湯浅醤油の濃さが絶妙にマッチングするのです。鮮度が命の生しらす、ちょっとでも落ちると苦みや臭みが出るのですが、そんなもの全くない!もうお行儀悪くかき込んでしまいました。美味しかった!

ご飯の上に乗せていただくとやみつきになる『金山寺味噌』。子供に食べさせるにはちょっと早いかな、何とも上品な大人の味でした。

くろえのごぼうさん

そう呼ばれ地元で親しまれる浄国寺さん。境内に樹齢600年と言われる樟(くすのき)の巨木がどーん!とお出迎えしてくれます。なかなか立派な樹でして、威圧感というよりも存在感が大きいのです。それでいてなんとなく温もりを感じるのです。日本には「八百万の神」という風習があり、まるでこの樹にも木霊が宿っていそうな、そんな雰囲気を醸し出しています。40半ばのはなたれ小僧が樹齢600年に向かって『なかなか立派』なんて言ったら生意気ですね。

紀州漆器

黒江と言う街は江戸時代から有名な「黒江漆器」で大層栄えたそうで、輪島(石川県の輪島塗の事です)・会津(福島県の会津塗のことです)などと並ぶ日本有数の産地として全国に名をはせたと記録がありました。室町時代から戦国時代に紀州檜をつかって製造を始めたのが始まりとされており、「黒江塗り」が完成して紀州徳川藩のもと発展を遂げたと言われています。

現在は中国などの安価な製品に押されて生産は大きく減少しており、かつての繁栄ぶりを伺うことは出来ませんが、我々がよく目にする「木目塗りのお盆」や「漆黒塗りのお椀」の元がここから発したのかと思うと、少々物悲しくもありそれでいて『紀州漆器の里・うるわし館』でみられる漆器の温もりになんとも癒されるのであります。私の住む町「愛知県瀬戸市」も『せともの』発祥の地ですが、現在は窯が随分と減って歴史展示物のようになっています。やはり時代の流れによって衰退していく量産品と、残っていく文化財の狭間は致し方ないのかもしれません。

もともとは川

街の真ん中を通っている「川端通り」は昭和の初めまではもともと川だったそう。ここで漆器を小舟に積み込んで黒江の港まで運び、全国に送り出していたのだそうです。やはり当時の輸送ラインは川が多かったみたいですね。「のこぎり歯状の家並み」が目につきました。これは通りに面して角度をつけて並ぶ家並みの事をそう呼ぶみたいで、当時の職人さんの住居兼作業場だったと教えてもらいました。何とも歴史を感じさせる素敵な街並みです。

紀州漆器伝統産業会館「うるわし館」には漆器資料室があり、漆器塗りを活かした珍しいスクーターが展示してあったり、漆器が展示してあったりと見るだけでも面白いのですが、ちゃんとお土産を購入できますし、お値段もお手頃です。やっぱり本物を目にすると実際お味噌汁のお椀とか100均で売っていますが、重厚感が全く違いますね。私も「これが本物の漆器というものかー」とまじまじと見てしまいました。

予約をすれば蒔絵による絵付け体験が出来るそうで、欧米の方々が日本の文化に触れる機会として体験していらっしゃいました。先述しました「せともの」にも「釉薬」という塗り物るのですが、片や木・片や陶器の違いでなんだか親近感を覚えました。海外の方が日本を訪れて下さって、古式ゆかしき日本文化に触れて戴けるのは大変ありがたい事で、これからオリンピックに向けてこの様な文化をどんどん発信していけたら素晴らしい事だなと感じました。さらにこちらでは黒江漆器で戴く「おぜんざい」がありまして、何とも雅な気分になりました。(昔のお殿様はこういう器で召し上がっていらっしゃったのだろうか)などと妄想しながら、甘すぎない「おぜんざい」を美しい椀と箸で戴いて参りました。

銘酒・黒牛

日本酒好きの方なら一度は耳にしたことがあるでしょう、銘酒・黒牛。どっしりとした重厚感のある純米酒「黒牛」は日本酒ファンの間では人気のある商品だとか。わかった様なこと書いていますが、私「下戸」なんです。申し訳ない・・・
『温故伝承館』という空襲を逃れた造り酒屋さんがあり、凄まじい数の古き良き時代の生活用品や酒造に関する資料や道具が残っています。

私は下戸なので、古い友人に990円というお手頃価格の漆器「ぐい飲み」を購入して帰りました。

暴れん坊将軍

暴れん坊将軍でおなじみの八代将軍『徳川吉宗』がいらっしゃったとされるのが、尾張・水戸と並んで有名な紀州徳川家なのだそうです。和歌山城は「白亜の天守閣」と呼ばれるほど美しいお城で御座いました。もちろん我が地元の「金の鯱名古屋城」も有名ではありますが。

和歌山城

市の中心部である虎伏山にそびえる和歌山城は、太平洋戦争前は姫路城に次いで二番目に国宝指定されるほど城の評判は高かったとの事ですが、残念な事に空襲で焼失してしまったという事で国宝指定は取り消されてしまったようです。天守閣は戦後に再建されたもので、天守閣から落っこちないようにちゃんと柵もありました。しかしながらその存在感は威風堂々として誠に美しく、和歌山県と言えば海に面している所。紀の川が海に向かっている様は絶景で御座いました。城内はとても広く、最近運動不足の私にはもってこいの散策道で、「ダイエットしなければならない」のにも拘らず和歌山ラーメンの誘惑に負けて、懐かしいナルトの入ったラーメンを戴いてしまいました。これが豚骨醤油ラーメンで、まあラーメン好きには堪らない一杯だと思います。

天守の中は資料館となっており、刀は勿論の事、当時の鎧や武具など展示してあります。当時の人が命がけの戦で着用したであろう武具を「180㎝の私には小さいな」などと不謹慎な事を考えながら見て回るのも、旅の楽しみであります。そして不思議なものを見つけました、石垣です。ものすごい数の何やら意味の分からない紋様が、石垣の石に彫られているのです。刻印付きの石垣が集中している横には看板があり、この刻印のデザインは「家紋」であったり「方位や日付」であったり、人名であったりと、はっきりした事は判った居ないそうです。でも140種類以上あるそうで、見れば見るほどミステリーです。

和歌山のさいごに

しらすや和歌山ラーメン以外にも和歌山の美味しいもの食べたい!やはりここに辿り着くわけです。和歌山県の海は潮の流れが激しく、海産物が豊かなそうで。お魚大好きの私としては興味津々なのですが、きました!鯛!!

全国でも屈指の真鯛が有名なんですって!丸ごと一匹お刺身やら煮物やら兜焼きやら美味しいものを沢山いただいて、男なのに美肌の湯に浸かり、和歌山県の旅は終了となりました。私自身、和歌山県の事を何も知りませんでした。あの綺麗な天守閣は夜のライトアップで見ると白亜が際立ってもっともっと綺麗に見えるそうです。次回は夜の天守閣にもチャレンジしてみようと、暴れん坊将軍吉宗公に誓って帰ってまいりました。

今回は和歌山県をご紹介しました。もちろん自粛中ですから、メモに書き溜めてあったものを書いているだけですよ。

りゅこころでした。ryukokoro

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5242文字の心理学士ならではの目線で書いた作品です。covid-19(新型コロナウィルス)で人間関係がギスギスしている今だからこそ読んでいただきたい。メンタリストと言われる私がどんな気持ちでお話を聞いているのか、子育てや人間関係に悩んでいらっしゃる方の少しでもお役に立つ事が出来れば幸いです。2980円です、カウンセリングを受ける事を考えたら特別価格でお値打ちです。


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