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解放の象徴

なぜかビールについて考えている。

すごく古い記憶があって、たぶん2.3才の記憶。

仕事を終えた父親が食卓を囲むなり、缶ビールを「プシュ」といきおいよくあけ、口元に運ぶなり「ああうまい」と毎回のようにいうものだから、ふと気になって「おいしいの?」と聞くと「うまいよ。のむ?」とそのビールを差し出してくる。

きっとすごく甘くて病みつきになるんだろうな〜と期待しながらいきおいよく口に流し込んだ瞬間、わけの分からない刺激と匂いが広がって「うえ〜まじ〜〜」とそのまま口からぼたぼたとビールを垂れ流す僕を見て、父親はケタケタと笑っている。

味覚への刺激として純粋にとらえたとき、ビールはどう考えてもマズいよな、と今でも思う。

だけど大人はみなうまいというから、自分が子供なだけなのか、それとも大人はいやいや仕事に行くようにビールも美味しいってことにしないといけない生き物なのかが子供の僕からするとずっと謎だった。

初めてビールをうまいと感じたのは、たしか高校生くらいの時に夏のイベントの出店を手伝っている時で、ホルモンか何かを売りながら、周りの人に合わせてビールを飲んでいたときだ。

そのとき何かが「来た」感覚(たぶん酔い)と、精神領域的な意味で「たどり着いた」感覚、慣れない労働による疲労感と達成感が合わさって、夏の祭りというシュチュエーションを丸ごと飲み込んでるような気がして、初めて心の底から「うめえ!!」と叫んだ。

あの日の体験がきっかけにあって、近頃は仕事終わりのビールがうますぎて、ビールを美味しく飲むために仕事をしてるのかもしれないな、と思ったりする。

つまりはきっと解放のために苦悩はあるんだな、とか。


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