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お金を払い、瞑想してみてわかったこと ③ ~違和感について

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 前回までを簡単にまとめると、運命を変えることのできる特殊なマントラ瞑想(ELM瞑想)ってのがありまして、そのメカニズムはカルマ(未完了の感情など)を浄化することにより、カルマの発露によって生じる様々な災難を小難や無難に変えてくれるというものでした。

 そんな瞑想を始めてからというものの、当初はかなり満足度が高かったけれど、徐々に違和感が生じてきましたよというのが前回までのお話でした。今回は、その違和感の正体について書いていきます。

 なお、本シリーズの①に書いたかもしれませんが、注意していただきたいのは、このシリーズはELM瞑想の悪口を言いたいがための記事ではありません。現在も私はELM瞑想を(サボりつつも)続けていますし、またこの違和感とその解決策については全部言語化が出来ています。それをシェアするための記事です。

 今後こういった瞑想を始めたい方、現在瞑想をしているけど行き詰っている方のための指針であり、そのためにあえてこの瞑想の問題点に触れる必要があるというだけです。ご理解頂ければ幸いです。

 さて、では本題にもどりましょう。

違和感その1 長時間瞑想した瞑想教師でもおかしな人がいる

 前回や今回のあらすじにも書きましたが、この瞑想のキモはカルマの浄化です。しかも、ELM瞑想創始者のアメリカ人、ボブ・フィックスによると、瞑想によって浄化されたカルマは二度と返ってこないとされています。

 ということは長時間瞑想すればするほど、カルマが浄化され、クリアになり、人格が向上するはずなのですが、そうはならない現象が自分の周りでチラホラと散見されるようになりました。それがタイトルにある「長時間瞑想した瞑想教師でもおかしな人がいる」です。

 「おかしい」と言っても、多少個性が強いという意味なら別に害はないのですが、モラルが低いとか人格が破綻しているという人が一部います。もちろん私が通っている教室の先生のように人格者も沢山いらっしゃるので、そこは勘違いしないでください。

 具体的にどんな風に破綻しているかについては狭い世界ですし、場合によっては個人特定に繋がるので詳細は差し控えさせていただきます。しかし、そういった人格破綻の先生についてしまったことで、先生だけでなく瞑想そのものに嫌気が差して辞めてしまった人もいるようなので、非常に勿体ないなと感じる次第です。

 ちなみに瞑想教師になるには、創始者ボブ・フィックスの下で、タイのチェンマイで2か月間に渡って「教師トレーニングコース」というものを受ける必要があります。その2か月間は大変濃密で、一日16時間以上徹夜で瞑想をこなし、残りの時間はボブ・フィックスの講話やその他様々なことを習うという非常にハードなものです。

 日本に帰国後晴れて瞑想教師となった後は、教室を持ち、生徒を持ちながら自分も瞑想に励むわけで、そこいらの人たちの何千倍も瞑想に当てているわけです。これだけ瞑想をこなしていて、「一度出て行ったカルマは戻ってこない」にも関わらず、こういった人格破綻者が存在する事実は一体どうすれば説明がつくのか。そういった問題にぶち当たったわけです。

違和感その2 瞑想を重ねても生きづらさがぶり返した人の話

 これは私の通っている教室のある生徒さんのお話。

 元々、その方は様々な問題や生きづらさをお持ちの方で、ELM瞑想を習うことで心のバランスを取っておられる方でした。そうした中で、自分も瞑想教師になると決め、上記のチェンマイでの2か月のトレーニングコースを終え、見事瞑想教師になられます。

 教師資格を取った後、しばらくしてから自分が通っている教室の瞑想会でお会いする機会があったのですが、やはり2か月ずっと瞑想をしていたからか、それなりに晴れ晴れとした表情であったことを覚えています。やはりこの瞑想の浄化力は凄いなと思ったわけです。

 瞑想会では、瞑想の合間に瞑想についての質問や、普段の出来事や気づきをシェアする時間があります。ところが、その方がその時シェアしてくださったのは、「トレーニングコースから帰ってきたけど、普段一人でいてもやっぱり感情が揺さぶられることが多いので、トレーニングコースで習ったヒーリングをセルフでかけている」と言ったような内容でした。

 これを聞いたとき、私は「あれ・・・?やっぱり相変わらず生きづらいのかな?あまり変わっていないのかな?」と感じました。
 そしてその後、その方は新しい目標を見つけてとある学校に入学するのですが、そこでのスケジュールがかなり過密で大変だったようで、メンタルだけでなく体調まで崩されたという話を風の便りで聞くようになりました。

 これはコロナ禍中の話で、現在では幸いにも元気を取り戻されてはいるのですが、一時は私が初めてお会いした時よりもひどい状態に陥っていたようです。

 この話を聞いたときに、「出て行ったカルマは返ってこない」ってホンマかいな・・・と私は非常に強い無力感と悔しさを感じました。そして「教師トレーニングコース」は決して安いものでは無く(大体当時のレートで延べ150万円くらい)、意を決して飛び込んだはずなのに結果的にこんなことになってしまうなんて・・・と当時は感じたものです。

 さらに、これらの違和感を目撃したのが私が瞑想を習い始めて丁度2年目くらいで、瞑想の効果に頭打ち感を感じていたころでした。こういったものを見てしまうとこのまま瞑想続けていても、この頭打ち感は恐らく解消されはしないだろうと感じました。だって、誰よりも瞑想に時間を費やした瞑想教師ですらこうなってしまうのですから。

 もちろん、ここで書いた人たちはかなり特殊な例ではありますし、実際には「トレーニングコース」まで行った方は、帰ってきてからも高い人生の満足感や人格を維持している方も多いです。

 一方で、少数ながらもこういう経験をした人がいらっしゃるわけで、こういった人たちを「元々そういう人間だった」とか「それも学びだ」とか良く分からない言葉で誤魔化したくないなとも思うようになりました。

 そうして、自分の目撃した違和感を言語化する作業に入ったわけです。次回以降ようやくそれについて説明できそうで、あと2回くらいでシリーズを終わらせられたらいいかなって思っています。長丁場ですがどうぞよろしくお願いいたします。

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