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お金を払い、瞑想してみてわかったこと ②

 前回の記事はこちら↓

瞑想いざ開始!


 前回の記事にあるような出会いを経て、瞑想を開始したわけですが、最初は効果を感じていました。

 朝晩1日2回、30分ずつ瞑想するというのがこのELM瞑想の推奨時間で、当時の私は律儀にタイマーで30分を測りながら、きっちり朝晩瞑想していました。あとは、前回も書きましたが瞑想すればするほど運命を変えることが出来ると聞いていたので、結構真剣にやっていたなぁというのが当時の思い出です。

 あとはELM瞑想の特徴として複数人で集まって瞑想をすると、一人でやるよりも濃密な瞑想が可能で、同じ時間の瞑想を一人でやるよりもずっと効果があると言われているのです。運命を変える目的で瞑想を始めている身ですので、当然参加の一択!で毎月律儀に参加をしていました。

思い出すのは、月1で先生と会うたびに先生が自分を見て「わぁ!」と驚いてくれたことでしょうか。元々先生が比較的エネルギーに敏感な方で、人の違いを見分ける力に富んでいるというのもあるのでしょうが、毎日律儀に瞑想してどんどん自分がクリアになっていくので、1か月経てば誰が見ても変わったというのが実情なのかもしれません。例えるなら、これまで一度も風呂に入ったことのない超汚い人間が、毎日風呂に入る習慣を身に付けてどんどんキレイになったみたいなものなのでしょう(笑)。本当に心も体も軽くなっていって、今までこんなにも色々と背負い込んでいたのだなと実感したものです。

そんなこんなで1年くらい続けていくと、段々と伸びしろが無くなってきたのか、瞑想会で会うたびに先生から「わぁ!」と言われることも無くなって来ました。ただ、代わりに本当に少しずつなのですが、瞑想に対してある種の疑問点・違和感みたいなのを感じるようになりました。

 その違和感の説明に入る前に、私が感じた違和感を理解していただくために、なぜELM瞑想が運命を変えるかという理由を知ってもらう必要があります。

ELM瞑想が運命を変えるわけ


 ELM瞑想のベースとなっているのは、インド哲学やヒンドゥー教の教えです。といっても、ELM瞑想は別に何らかの宗教団体やカルトではありません。勧誘することもされることもなく、お布施を強制されることもなく、あくまでインド哲学やヒンドゥー教の教えから瞑想にかかわる部分だけをエッセンスとして抜き取った感覚でしょうか。

さて、そのインド哲学の教えの中には「カルマ(業)」という概念があります。聞いたことがある方も多いかもしれませんね。ELM瞑想を行うと、このカルマの解放が起こるとされています。ELM瞑想を教えているある先生のホームページにELM瞑想で定義されているカルマについてとても分かりやすい記事がありましたので、引用させていただきます。

「カルマ」という言葉は、とても誤解を受けています。

日本では「業」とも訳され、倫理を説く方便とされたり、
「過去にした悪いことは裁かれ、その罪を償わなければいけない」
というようなイメージがあります。

特にカルト宗教や霊感商法の影響で、かなり悪いイメージが広まりました。
例えば、「あなたの病気は前世のカルマから来ているから、このお祓いを受けなさい」「運が悪いのは先祖のカルマだから、先祖を供養するためにこんなお墓を建てなさい」「あなたのカルマを解消するためには、この壺を買いなさい」など、恐れを使って人をコントロールするために、カルマという言葉が使われています。

そのため、カルマという言葉に対して、『罪悪感』『過去の報いを受ける』『償うべき罪』『悪いこと』などのイメージがついてしまっているのが現状です。けれども、本来、カルマという言葉には、そのような意味は全くありません。

カルマとは、サンスクリット語で、<行動>という意味です。

カルマの「カ」という音節は、<時間>を意味します。

人間は自然の永遠なる流れを分割し、過去・現在・未来という概念、時間という概念を創りました。つまり、カルマとは<時間にとらわれた行動>という意味なのです。

肉体的な行動でも、感情的な動きでも、過去(や未来)に
無視した未完了の行動すべてのことを、カルマといいます。

<中略>
私たちは、意識するしないに関わらず、たくさんの観念、カルマを持っていて、心の中に残しています。

それらのうち、今はもう役に立たなくなったものは、
何らかの形で私たちの自然な状態を妨げてしまいます。

体の老廃物については言うまでもないことですが、
心の老廃物も人生に問題障害摩擦停滞を作り出します。

ネガティブな感情を残していると、成長してからもそれを無意識に世界にも投影し、周りの状況も自分自身も見えなくなってしまい、色眼鏡をかけた状態で行動することになります。

観念は、特定の判断を作り出します。

そこには誤解や思い込みがあるため、問題や失敗を作り出します。

過去には必要に迫られて身につけた観念とはいえ、
今ではもう役に立たなくなっているにも関わらず、
心の中に残しているものがたくさんあります。

そのため、私たちは物事をありのままに見ることができず、
幸せになれる無限の可能性を見逃してしまうか、無視してしまうのです。

カルマというのは、残している限り、同じような出来事を繰り返し作り続けます。

同じ観念、同じ未完了の心の状態があるままだと、
次に出会う人や環境でも似たような失敗が起こる可能性が高いのです。

誰でも、多かれ少なかれ、こうした同じ失敗を繰り返すパターンを持っています。

カルマは、舞台が変わっても同じことを繰り返します。

ですから、あなたがもっと自由になり、幸せになっていくためには、
場所や状況、人を変えるというよりも、あなた自身が自分のカルマ(観念)を解放して、あなた自身が変わっていくことが何よりも大切なのです。

瞑想教室ホールハート ホームページより

 良く心理学・スピリチュアルでも抑圧した感情がそれと同質の感情を引き寄せるという言葉があります。つまり辛い出来事・嫌な出来事は自分の心の内に抑え込まれた未完了の感情(カルマ)が外界に投影されることよって起こると考えられています。

 つまり何らかの方法でこれらの未完了な感情エネルギーを解放し、大爆発する前にガス抜きすることが出来れば、外界に惨事が起こらない(もしくは小さく抑えることが出来る)というわけです。つまりこれが「運命を変える」という意味なのです。

違和感の正体

 ここまでの文章を理解頂けたら、論理的にあることが導き出せると思います。それは、「瞑想をすればするほどカルマが解放され、その人はより軽やかに幸せになるはずだ」と。

 加えて実際にELM瞑想創始者のボブフィックスによれば、「一度出て行ったカルマは二度と戻ってこない」とも言っているので、尚のことそうだと思うはずです。

 ところが、そうは問屋が卸さないと言いたくなるような、実に不思議なお話を私の周りでチラホラ聞くようになります。

 それについては次回お話しすることにしましょう。。。

 



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