イジメられてた人が性加害なんてするわけない!

最近のニュースを見ていて、どうしても気になることがあるんですよ。ジャンポケ斉藤さんが「性加害」で書類送検されたという話が世間を騒がせています。そして、同じ斉藤さんには「いじめの被害者だった」という過去があって、そこに対する同情も多いです。しかし、これを見ていると、私にはどうも違和感があります。

「いじめで辛い思いをした人が、性加害なんてするはずがない」とか「いじめられていたから、人の気持ちのわかる良い人だと思ってたのに、ショックだ」という声が多いんですけど、ここには大きな問題があると思うんです。人を「良い人」「悪い人」と二元的に判断してしまう傾向に、私たちは囚われすぎているんじゃないかと。

事実はこうです。斉藤さんはいじめを受けた経験がある。そして、今回の性加害疑惑が報じられた。それだけですよね。過去の被害経験が、その人を「良い人」に変えることはありませんし、今の行為が全てを否定するわけでもない。なのに、私たちはどうしても一つの側面で人全体を判断してしまう。これは、社会的にも非常に危険な考え方だと思います。

本能的なバイアスが影響している?

実は、この「良い人・悪い人」と一部分で判断してしまうのは、人間の本能的な認知バイアスによるものなんです。人間の脳は、複雑な情報を効率的に処理するために、物事を簡略化する傾向があります。これを「ヒューリスティック」と呼び、迅速な判断を下すために使われる脳の仕組みです。しかし、このプロセスはしばしば誤った判断につながります。特定のエピソードや行動に基づいて、その人全体を評価するのはまさにこの脳のエネルギー節約の結果なんです。

感情が絡むとさらに短絡的になる

さらに、心理学的には「認知的不協和」という現象も関係しています。これは、矛盾する情報が与えられたときに、人はその不快感を避けるために情報を簡略化して処理するという理論です。いじめ被害者である斉藤さんが性加害を行ったという情報は、多くの人にとって矛盾しています。そのため、人々はその不快感を避けるために、斉藤さんをどちらかの「箱」に入れたがります。「良い人」か「悪い人」か、どちらかに分類してしまうわけです。

性加害という重大な犯罪は特に感情的な反応を引き起こしやすく、これが個人全体の評価に影響を与えることがあります。感情的な反応が強くなるほど、その人の他の側面や業績は無視されやすくなるんです。

社会全体にとってのリスク

ここで私が本当に心配しているのは、こうした「短絡的な判断」が政治やリーダーシップにまで影響を与える点です。あなたもニュースで見たことがあるかもしれませんが、政治家が何か一つのミスを犯しただけで「降ろされる」というケース、ありますよね。もちろん、法的な問題や倫理的な失敗に対しては責任を取るべきですが、すべての過ちが即座に「辞任」や「除名」に繋がるのは過剰反応とも言えます。

社会科学的な視点から見ても、政治家やリーダーに対する「寛容さ」の欠如は、長期的な社会の安定に悪影響を与えるリスクがあります。一度のミスで全てを否定される風潮は、有能なリーダーを失う結果を招くかもしれません。政治やリーダーシップは、過去の失敗やスキャンダルだけでなく、現在の実績や未来への影響も考慮されるべきです。そうでなければ、長期的な政策の継続や安定したリーダーシップが失われてしまう危険があります。

短絡的な判断がもたらす不利益

ここで強調したいのは、「短絡的な判断をすることで、実はあなたにも不利益がある」ということです。例えば、非常に優れた政治的能力を持った人が、感情的な反応で排除されてしまったとしましょう。その結果、社会にとって有益な政策が失われたり、安定したリーダーシップが途絶えたりすることで、私たち一人ひとりが被る不利益は計り知れません。また、短期的な感情に流されて作られた変なルールや、過剰に厳しい規制が増えることで、社会全体が生きにくくなるケースもよく見られます。

これに対処するためには、冷静な判断力を持ち、感情に左右されずに事実を捉える姿勢を持つことが大切です。人間の複雑さを理解し、一面的な評価ではなく、全体像を見て判断する文化が育まれることが、私たちの未来にとって非常に重要だと思います。社会全体が成熟し、寛容で公平な判断ができるようになれば、私たちはより良い社会を築くことができるはずです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?